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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

この夏、地上最強のオッパイと

 実家の梅の木を切りにいった。梅の枝は夏の空に向かって伸びていて、今にも電線に届きそうだ。青い夏の空と、まだセミの鳴かない静けさと、真夏のような熱い空気はどこかミスマッチで、不思議な感じがした。汗をかきながら覚束ない手つきで通販で買った高枝切りハサミを操っていると「意外とやるじゃない」、母が誉めてくれて思わず手を止めてしまう。今でこそ夜の街で「らめぇ。内臓の位置が変わっちゃう」「おやおや、いい声で鳴く子豚ちゃんだねぇ」と誉められる僕だけれども母に誉められた記憶は何一つないからだ。


 父が亡くなったのは5月の初夏だ。その季節を選んで逝った父には少しだけ感謝している。母が父を思い出すであろう初夏。そこから本格的な夏に向けて長くなっていくばかりの明るい時間が、僅かでも母を影から遠ざけ、明るくしてくれるような気がするからだ。でも僕は気づいている。夏の日差しの明るさは寂しさを消し去るものではなく、一時、ただ誤魔化してくれるだけなのだと。母が僕の慣れない枝切りよりも不慣れな調子で誉めてくれるのが辛かった。弱さを見せないでくれよ。今まで通りに誉めないでくれ。ケチョンケチョンに貶めてくれ。その方が気が楽なんだよ。僕は聞こえないふりをして枝を切り続けた。


 思い出すのは台風の夜だ。僕は小学生だったあの夜、そして、父がいなかったあの夜。僕と弟と母は川の字になって寝た。雨と風の音は激しく恐ろしかった。普通、親ならば子供を落ち着かせるために「大丈夫。台風なんて怖くない。大丈夫」というのではないか?母の《大丈夫》は少し違った。「流されても三人なら大丈夫だから」流されても、大丈夫。小学生の僕が流されるのはやだなーと心底思ったのを昨日の出来事のように覚えている。

 

 それから何年か経って父が亡くなったとき、真っ先に思い出したのはその台風の夜の母の言葉だった。ピンチになっても大丈夫、という逞しさ。あたかも自分の言葉を証明するかのように、母は父が死んでからすぐに専業主婦を引退し、フルで働きはじめた。葬儀場で朝から晩まで働く母に僕は強さと逞しさを見た。「母つええ」「さすが母」と何度言ったことだろう。僕のアホな言葉に対してほとんど母は何も言わなかったけれど一度。一度だけ母がこんなことを言った。「母親になったから強く変わったんじゃない。変わったような気持ちにならなきゃ人の親なんか出来ないよ」本当の強さというものがもしあるとしたら、多分、それはそのときの母の言葉に宿っていたものだ。僕も人の親になれば変われたのだろうか。強く。逞しく。子供を持たなかった僕は自分で強くなるしかない。それは果てしなく、難しいものに僕には思える。


 枝を切る僕の下で脚立を支える母は背中も丸くなりただでさえ小柄なのに一層小さく見える。歩くのがしんどい。腰が痛い。弱音を吐くようにもなった。でもそれでいい。僕が母を支えるときが来たのだ。この役目は、誰のものでも、もちろん父のものでもなく、僕に許された、僕だけのものだ。僕の乗る脚立を支えてくれているように結局僕はいくつになってもこの人に支えられ続けている。その全てに報うことは不可能だとわかりきってはいるけれども、その不可能に挑んでいきたい。「来てくれて嬉しいよ」不意に母が言った。僕は手を止めて、汗をぬぐい、梅の向こうに広がる夏空を見上げた。溢れてこぼれてしまわぬように。膨らんでしまわぬように。情けない顔を見せないように。胸元の伸びきったシャツを着たノーブラの母を見ないように。そして僕は、母がよく持ち帰ってきていた、あの、たいして美味くもない葬儀屋の弁当の味を思い出していた。