Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

はじめてネクタイを締めた日を覚えているかい。

はじめてネクタイを締めた日のことを時々思い出す。僕には忘れられない「はじめてのネクタイ」が二つある。ひとつめは普通のネクタイで、僕は父からその締め方を教わった。親戚の葬儀に出るときに父が僕の前後左右に立ち悪戦苦闘しながら教えてくれたのだ。この人はどうしてネクタイを締めるのが下手なんだろうと可笑しくなったのを、つい昨日のことのように思い出せる。ネクタイの締め方を人に教えるのはなかなか難しい。僕がそれを思い知らされたときには微笑み返してくれるはずの父は既に亡くなっていたのだけれど。

就職してからはほぼ毎日ネクタイを締めている。スーツにネクタイ。それをかつての上司は「サラリーマンにとっての鎧と刀だ」と言っていた。僕はスーツとネクタイがなかなか似合っているらしく、妻からは毎日、キャバ嬢からは毎回、誉められる。「カッコいい」「似合っている」。誉められたり虐げられると伸びる性分なので、休日もスーツにネクタイで過ごすことが自然と多くなっている。イチキュッパ、パンツ二着付のスーツとネクタイを締めて休日を過ごす僕を見て妻は「死ぬまでずっとスーツとネクタイでいてください。余計な服を買わなくて家計も助かりますから」とうっとりとした顔面で言う。

誤解してほしくないのは我が家が経済的に追い詰められているわけでも、オシャレ感覚が欠落してるわけでもないことだ。僕は決して貧ぼっちゃまではない。確かに僕が自分の洋服を買うことはほとんどなくなってしまった。その分、妻がドールのドレスや自身のロリータ服を買いあさっている。具体的には横浜ビブレにあるベイビーザスターズシャインブライトという店で。オシャレ万歳。

もうひとつのはじめてのネクタイについて語るのはひどく難しい。

スーツとネクタイが似合いすぎた僕が洋服を着ているだけで妻は不機嫌になってしまう。ジーンズ姿でオフのキャバ嬢に声を掛ければ悲鳴を上げられてしまう。日に日に汚れていく街でそうした悲劇を僕は乗り越えてきた。「スーツとネクタイは鎧と刀」かつての上司の言葉は時間が経つにつれ、僕の中で大きなものになり、今ではほとんど戒律のような存在になっている。スーツ、サイコー。ネクタイ、サイコー。

かつてサムライは床につく際、脇に刀を置いて警戒を怠らなかった。僕もサムライの末裔なので、女性とベッドを共にする際、生まれたままの姿になっても、刀たるネクタイだけは外さないようにしている。歴代のガールフレンドたちはネクタイ一丁で池上遼一先生のクライングフリーマンの真似をする僕を畏敬の眼差しで見つめたものだ。リスペクトのあまり泣きだして逃げた女の子も。ベッドの上のネクタイはサイコーにカッコいいだけでなく便利だった。手首や首を縛られることも恥ずかしい体勢をキメられることも出来た。縛られて自由になれた。フリーマンになれた。

もうひとつのネクタイの話だ。はじめて裸でネクタイを締めたときのことを僕ははっきりと思い出せない。激しい性格のガールフレンドによりネクタイで首をキメられ意識が飛んでしまったからだ。気が付くとバスルームのミラーに「死ね変態」、ルージュの伝言。今は何もかもが懐かしい。

僕はこれからもネクタイと共に人生を歩んでいく。その歩みを止めるときまで二つのネクタイは僕の道標であり続けるのだ。