Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

デキる上司は二度部下を殺す。

野垂れ死にした部長の墓参りをしてきた。貴重な休日を、そのような有害行事で潰したくはなかったので、部長の息子氏からの執拗な墓参り誘いに対して僕の意志が揺らぐことはなかった。亡き部長が東大に入る学力があると自慢していた息子氏は、都内Fラン大学を中退後事業を起こして失敗、現在格闘家を目指してジム通いを続ける有望な人材である。僕の鉄の意志が一転することになったのは「キャバクラおごります」という有望な息子氏の一言による。たかが墓参りに私財を投じるアホがいるとは…今思えばこのとき感じた疑念を本格化させておけば良かったのである。後悔先に立たず。僕はいろいろなものが立たない。


誰からも惜しまれずに自称寿退社した後、蒲田→足立区→戸越と流浪の末行き倒れ、帰らぬ人となった部長。家族から縁を切られ無縁仏となったはずの部長が、どのような経緯で墓に入居できるようになったのか…全く興味がわかなかったのであえて聞かなかった。


結局墓参りに参加したのは息子氏と僕だけであった。誰もが固辞した。息子氏は「父の生前の知り合いに声をかけたのですが、誰も応じてくれませんでした…」というと、目を細め冬の薄い青色の空を見上げ「父は厳しい人でしたから」と寂しげにポジティブな感想を呟いた。架空の人物を思い浮かべているのだろう。部長は、他人に対してだけ激烈に厳しかった。


郊外にある静かな墓地は故人の騒々しい人柄を僕に想わせなかった。部長の入居されている墓はごく普通の灰色の石で作られているタイプ。墓石に「怨」の文字が刻まれていた。「死してなお戦闘モードなのか」と戦慄、一瞬、心拍数が上がったが「憩」の見間違いでした。



あの部長がこんな小さな墓に入っている事実を、僕はうまく受け入れられなかった。走馬灯のように溢れ出す思い出たち。「顧客ごと木っ端微塵にしてやる」「なるへそ」「俺はチャンスをピンチに変える男だ…」「なるへそなー」「えー昨日、遂に、別居中の妻との協議離婚が成立したことを皆様にお伝えして新郎新婦へのお祝いの言葉に変えさせていただきます。フミコ君おめでとー」「な~るへそ~」「おい…刺身が生なんだが…」振り返れば公私共に心と体を掻き乱され、ひどい目に遭った。部長が死んだら思いつくかぎりの汚い言葉で罵りながら墓に卵をぶつけてやろうと心にずっと思っていた。けれども今、実際に墓前に立ってしまうと部長に対して投げつけるべき言葉は浮かんでこなかった。何も。一つとして。ただ、言葉にならない激しい憤りがあるだけだ。


墓前で手を合わせ、部長の冥福を祈った。どうか安らかにお休みください。どうかジバニャンにならないように。どうか二度と夢枕に立たないように。どうかどうか。手を合わせているうちに体の奥底からこみ上げてきた熱いものを僕は押さえられなかった。猛烈な吐き気。きっつー。これがフラッシュバックか。

部長と働いた十年間。部長に追い詰められ二十数人の退職者を出した我が営業部。他部署にも相当数の退職者を出した。就職三年以内の離職率は九十パーセントに達し、新人は全員一年以内に退職。一人は精神を病み部屋から出られなくなり、また別の一人は会社のデスク内にNゲージを残して失踪した。


「解雇の二文字は俺の辞書にはない」と豪語していた部長は部下を自主都合退職に追い込むリストラの天才。リストラマシーンだった。そんな地獄を生き残ったのは僕だけだった。


ううううう。突如、墓前で手を合わせていた息子氏が糸の切れた操り人形のように崩れおちた。ご覧。バカのために泣き崩れるバカもいるのだね。って急速に冷めた気持ちになっていたがどうも様子がおかしい。顔面蒼白で息も荒く変な汗をかいている。ぜーぜー言って死にそうだ。死ぬならキャバクラ後にしてくれ。

僕は肩を支えて彼を立たせると霊園内にあったベンチに座らせた。話を聞くと生前の部長から日常的に激しい叱責を受けていたらしい。DV地獄だ。その暗い思い出が突然ぶり返してきたらしい。死してなお、大人の男二人にフラッシュバックを引き起こさせるとは恐ろしいかぎりだ。

「墓参りなんてやめればいいのに」僕は言った。「オヤジが夢に出て来て墓参りに来いと呟き続けるんです」あの汚い声で墓参り墓参り墓参り墓参り墓参り墓参り墓参り墓参りと呟かれ精神的に追い詰められ彼は墓参りをしたのだ。一人では不安なので倒れたときに面倒を見てくれる介助犬が必要だった。それが僕だった。こんなハードコアな墓参りだと知っていたら僕も断っていた。


「父にいいところはありましたか?」息子氏は僕に訊いた。涙目だ。絶対的な悪は存在しないと信じている僕は激しく上下する息子氏の肩を眺めながら部長の良いところを見つけようとしていた。なかった。「ない」僕は即答した。本当はあったが彼に言うべき種類の話ではなかった。


先日、何千人もの大規模リストラをするハメになった東芝のニュースを受けた会社上層部が「ウチには辞めさせる社員は1人もいない」と高らかに宣言していた。感銘を受けて真意を訊ねてみると「極限までリストラをした結果、各部署で定員割れ状態となり辞めさせたい社員はいるが辞めさせられない」という心温まる話だった。ウチの会社は部長のおかげでリストラをやらなくてすむのだ。僕もリストラされずにすむ。全部部長のおかげ。ありがたい。


「弱い奴は生き残れない」と部長は言っていた。それを他者への暴力でしか表現出来なかった部長の生き様を僕はこれからもときどき思い出すだろう。