Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ゲス乙女とベッキーが結婚5年目の僕に突き付けた厳しい現実

 「ゲスの極み乙女。」の休日課長じゃない方の男性とベッキーさんの不倫のおかげで清廉潔白な既婚者である僕までもが大変迷惑している。金で解決出来る問題ではないが、背に腹は代えられぬ、少額でいい、慰謝料を頂戴したい。


 不倫がこれほど話題になるのは石田純一の「不倫は文化」発言を例外とすれば「金曜日の妻たちへ」ブーム以来ではないだろうか(僕が他人の不倫に寛容でいられるのは、金妻により不倫イコール純愛と刷り込まれているからだ)。時代は変わった。今は一個人が思うことを自由に世の中へ発信できる時代。それゆえ「ゲスの極み乙女。」の休日課長ではない男性とベッキーさんには激しい非難と厳しい批判の的になっている。しかし僕は思うのだ。芸能界のようなヤクザな世界で生きている人間に、まともな倫理観や価値観を求める方が間違っているのではないかと。まともでない芸能人を広告塔にするために、スポンサーは巨額なマネーと分厚い契約書で芸能人を縛り付けているのが何よりの証拠だ。


「ゲスの極み乙女。」の休日課長ではない方の男性とベッキーさんは感情的に行動して周りに迷惑をかけ、損害を与えた。それは非難されるべきだ。特に「ゲスの極み乙女。」の休日課長でない方の男性が駆使したであろう離婚をちらつかせるというゲスゲス手段にハマってしまったベッキーさんにとっては痛恨の極みだろう。その部分については同情を禁じ得ない。南無阿弥陀仏。


 直接的な被害を被ったわけでもない外野から彼らに投げつけられる非難をざっくりまとめれば「感情に走ってアニマルかお前たちは!」となるだろう。だが、その非難自体も感情的な行動であり、その意味では非難対象と変わらず、むしろ安全地帯にいる分タチが悪いように僕には思える。僕はそういう非難はしたくない。

 

 しかし、あえて僕は彼らを非難する。僕が非難するのは、彼らの行為に対してではなく、彼らがピースフルなお茶の間に「不倫」の二文字を持ち込んだことに対してだ。テレビも雑誌も不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫不倫、まるで不倫のパレードだ。おかげで日本の夫婦間の会話は不倫がテーマのものにならざるをえず、僕らもそこから逃れられなかった。そういうムードをつくった彼らの罪は重い。

 

 「不倫とかないよね」と呟く妻に対し、「僕が不倫してたらどうする?」と僕が返しても、彼女は取り合おうともしない。「経済力も甲斐性も男性機能もないのに不倫など出来るわけがない」といって高をくくっている。その言葉に慈しみはなかった。同情もなかった。愛情も感ぜられなかった。「不倫してるよ」「無理」「不倫してるってば」「出来るわけない」

 

 悲しかった。悲しみのあまり、不毛なやり取りのあと、湯船につかり涙を流しながら《私は立ったことがない、飾りじゃないのよアソコはハハーン、病気だと言ってるじゃないのホホーッ、真珠も付けられないのよハハーン》と中森明菜を歌ってしまう。不倫していると言っても信じてもらえない。僕の言うことは信じない。それは、つまり、それほど愛していない、そう言っているのと同じではないか。きっつー。そんな悲しい事実を突きつけたゲス乙女の休日課長ではない方の男性とベッキーを僕は、絶対、許さない。

 

(この文章は、ゲスな悲しみに衝き動かされて22分間でかかれた)