わざわざ退職しましたブログを書くような意識の高さを持ち合わせていないので会社に対して思うことは皆無だが、ひとつ気がかりなのは僕のゴリ押しで昨秋採用した事務係の部下のことである。ピンク色のチョッキを着た六十過ぎの経験豊かな男。僕がいなくなったら彼の居場所は百パーなくなる。彼の人生なんか知ったことではないが、逆恨みで刺されたくない。僕がピンクチョッキ氏だけに転職活動を暴露したのは我が身可愛さゆえの行動に他ならない。
場末の居酒屋で話を聞いた彼は、生ビールを一口飲みウンウンと頷くと「わかりました」と言った。そのときの彼の爽やかな笑顔とLED電灯に照らされて鮮やかに発色したピンクチョッキを僕は生涯忘れないだろう。「課長が困らないように就業規則を確認しておきます」と事務屋の矜持を見せる彼に僕は頭を下げることしか出来なかった。
僕の転職を会社に密告したのはピンクチョッキ氏でした。これはテロい。詰め寄る僕にピンクチョッキは「就業規則を確認しました」と言うばかり。何の恨みがあるのだろう?って見捨てるのだからあるにはあるだろうけど、頭おかしい。こいつはヤバすぎる。僕は総務人事に事実確認のため呼び出された。会議室には総務人事部長、総務人事課長、総務係長、人事係長、総務主任、人事主任、知らない人、そして僕の八名のみ。無駄に総務人事だけ人が多いのはなぜなのだろう。
重苦しい空気を切り裂くように総務人事部長が「就職活動をしているのか?」ときいてきた。隠しても仕方ないので「はい」。総務人事部長の次の言葉は想定外だった。「どっちなんだ?」どっち?意味がわからず戸惑っている僕を追い討ちするように「君の部下から話は聞いている。どちらがメインなんだ」と凄む総務人事部長。謀ったなピンクチョッキ。しかしわからない。メインて何だ?話の意味がわからないので尋ねた。その回答を要約すると「就業規則を数年前に変更し副業を許可したが届け出は必要なのでちゃんとやってほしい」というもの。つまり副業の未届けが呼び出しの理由らしい。アホらしい。
転職とはメイン=主業を変えることなので「もちろんメインです」とありのままに答えた。現実逃避なのか知らないが、僕の《転職しますよ》意思表示はまったく伝わらず、自分たちの勤務先がサブではなくメインと確認出来て総務人事一同は安堵していた。おめでたいかぎりだ。ピンクチョッキは僕の転職をどういうわけか副業と捉え、就業規則違反はいかんという謎の行動原理に従って今回のテロを実行したらしい。ピンクチョッキ氏は定年間近のオッサンである。彼が面接時に「これだけは自信がある」とアッピールした「豊かな経験」や「真面目さ」は既に僕の疑惑リストに入っているが、彼の聴力も加えざるをえないだろう。彼の試用期間が無為に経過してしまったことだけがただただ悔やまれる。
(この文章は昨日ディズニーシーのレストランで24分程度かけて書かれたものである)