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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「評価し終えること」の重要性について。

かねてより自分を評価することがマジ大事クソ大事だと考えていたけど、その考えはますます強くなるばかりである。評価するだけではなく、評価しきることが大事で、必要なのだ。仕事ならば、どんな職業であれ自分のやった仕事をリリースする前に徹底的に評価分析することが大事。人間とは勝手なもので、評価というとプラス評価に目が行きがちだけれども、徹底的に評価するというのは自分の仕事に対する反応をプラスマイナス構わず予想し尽くすことだと僕は考えている。逆説的にいえばそうでない仕事はプロの仕事ではない。己の仕事に対する評価を予想するというのは、自分の仕事をあらゆる点から見つめなおすことなので、その結果修正することも可能であるし、諸事情により修正できない種類のものであっても(たとえば僕の場合、商品価格とか)マイナスの評価を予想してあればこそ、今後の仕事に即座に反映できるのだ。

 

なぜ評価しつくすことが大事なのかといえば、自分で予想できていた評価(特にマイナス評価)にはなかった新らたな評価を抽出するためで、これに尽きる。極論をいえば、事前に評価できていた評価など評価に値しないとさえいえる。僕は営業職なので企画提案書を書くことが多いのだけれど、実務的には与えられた〆切までの時間のなかで企画を練り上げる時間よりも企画を自分で評価しつくす時間の方が大きなウエイトを占めていて、この傾向は年々顕著になっている。すべては自分の仕事をより良いものにするためであり、評価に一喜一憂するのではなく、役に立つ評価を抽出し自分の糧にするためなのだ。

 

昨今のインターネット社会でのふるまいもまったく同じで、たとえばブロガーならブログを書いてその反応に一喜一憂している人はそこまでの人である。僕はブログ記事を公開するときには徹底的に評価し尽くし終えているので一喜一憂することはない(実際、ほぼ予想どおりの反応と反響に終始している)。「フミコ死ね」「キモイ」「インポ」「マンネリ」「アクセス稼ぎ」こういうゴミ評価の海のなかでも、ごくまれに僕の予想できなかった声に触れられる瞬間というものがあって、それを得ることがもしかしたら僕のブログを書くモチベーションになっているのかもしれない。そういう宝物を発見するためには事前に自分の仕事を評価し終えていることが必要不可欠なのである。

 

さて、私事になるが現在僕は絶賛転職活動中である。悲しいかな、現時点でまだ自分の行き先を見つけられないでいる。自分というのもこれまた自分の商品なので、事前に評価をやり終えてから面接に臨んでいる。今、これからの面接に備えてあらためて自分の評価をしているところだ。先日の面談におけるやりとり、面接者「フミコさんは忍耐力に自信があるそうですが具体的にどのようなエピソードがありますか?」僕「今、この瞬間も退屈極まりない面接に耐え忍んでおります」。的確かつインパクトある受け答えなのでどう考えてもプラス評価するしかないのだけれども、皮肉が効きすぎていたかもしれない。反省。このように評価しつくしていてもなかなかうまくいかないこともあるので人生は難しいと思う今日この頃、嫌味と皮肉で武装された自分を変えないかぎり、どれだけ自分を評価しつくしたところで、いつまでたっても「面接落ちたの私だ!」状態なのである。僕は評価ではなく人間が終わってるのかもしれない。(所要時間16分)