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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

死ね死ぬマーケティングは誰でも出来る。

ちょっと古い話題で恐縮だが、長谷川豊さんや瀬戸内寂聴さんが「殺せ」や「殺したがるばか」といった過激な言葉を使って話題になっていた。もっと古い話題になると「保育園落ちた。日本死ね!」という匿名記事もあった。長谷川さんが何者なのか(誰?)、寂聴さんの恋愛体質、事の経緯には興味がないので、ずいぶんと過激なフレーズを使う人たちだなという印象を僕は持った。なぜ「殺せ」「殺したがるばか」のような過激な言葉を使うのかといえば、注目を集めるためでしかない。ゲスな言い方をするならば人気者になるため。意見というのは人に聞かれてナンボなので、過激なフレーズで注目を集めるのは、人格としては褒められたものではないが、方法としては間違いではない。僕はどんな過激でゲスい意見があっても然るべきだし、過激で下品は言葉やクソフレーズもバンバン使えばいいと思う。ただそこには覚悟がなくてはならない。言葉ほど意のままにならないツールはない。一人歩きした言葉は必ず自分に跳ね返ってくる。殺せはそのまま自分に向かってくる。それを受け止め、反撃する覚悟があるのなら、好きにやればいい。覚悟があって、確固たる持論があるのならそれは過激な言葉を使った強い意見になりうるだろう。炎上マーケティングか否か、なんてことは覚悟があるかないかの違いにすぎないのではないかと思う(そしてそれは大きい)。長谷川さんや寂聴さんが過激な言葉を使うことが問題ではなく、覚悟や持論もなく使ったことが問題なのだ。その証拠に彼らはすぐに謝罪撤回をしている。もし覚悟があったなら謝罪ではなく反論するだけのこと。発言は消えない。謝っても、謝り方がなってないとイチャモンをつけられる無理ゲーな世の中、好きにやればいいのだ。突き詰めれば彼らは、本人の真意はともあれ、覚悟もなく、注目を集めるために、デリケートな話題×過激な言葉の安易でゲスい集客をやったにすぎない。僕の場合はどうだろう?僕には覚悟があるだろうか? ある。どーん!と受け止めるのはきっつーと感じる僕にあるのは逃げ続ける覚悟だ。そしてカイ・シデンのような臆病者であろう、ついでに出来る限りゲスくあろうと思っている。一方、「保育園落ちた」に長谷川さんや寂聴さんのような印象を持たないのは、被害を受けている当事者であること、僕の知る限り謝罪や言い訳をしない強い覚悟が見られることが大きい。僕が言いたいのは、ゲスになりきれないならゲスなことは言うなということ。なお、老婆に老婆心でいうのも気が引けるが寂聴さんは対談の席ですでに小説らしきものを書かれている人に小説執筆を薦めるのは失礼なのでやめたほうがいい。(所要時間12分)