Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年引きこもっていた友人の社会復帰への決意が悲壮すぎて言葉を失った。

この記事の続きです。20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。 - Everything you've ever Dreamed

就職先で心身を壊して1997年の夏から20年間引きこもっている友人Fが社会復帰するらしい。僕は、たまたま美容室でFの母と一緒になった母からその話を聞いたのだが、嬉しさより不安の方が大きかった。なぜなら、数ヶ月前にスーパーで会ったFは20年前の世界からやってきた時間旅行者みたいに、僕がすっかり忘れていた中学高校時代の友人や出来事の話をしていたからだ。仕事。家族。病気。人にはそれぞれの戦いがある。生真面目なFにとってのそれは20年前のことを忘れないでいることだったのだろう。僕にはそう見えた。そんなFが社会に復帰するというのだ。不安を覚えないといったら嘘になってしまう。Fとはずっと同じ学校だったけど、一度もクラスメイトになったことはない。そんな僕ら二人の共通項はピアノ。高校時代。放課後の音楽室で即興の連弾で遊んだ記憶は強烈な印象をもって僕の中にあり続けている。久しぶりに会ったFは失業期間まっ只中でくたびれた僕を見て、連弾が不調に終わったときと同じように「お前大丈夫なのか?悩みでもあるのか」と声をかけてくれた。そのFの引きこもりが終わる。今度は僕がFにエールを送るターンだ。僕はFの家に電話をかけた。オバさんが電話に出て、少し、世間話をしてからFに繋ぐ。待っている間のビートルズのオルゴール。携帯電話やスマホをもっていないFとのコミュニケーションは僕にあの頃の気分を思い出させてくれた。「もしもし」少し声が明るくなった気がした。Fは近所の小学生低学年向けの塾でアルバイトとして働くらしい。「時給930円、最低賃金からのリスタート」とFは言った。企業への就職は、40代半ばで職歴がないことが理由で叶わず、諦めたらしい。「何も悪いことはしていないのになー。ムショ帰りみたいだよ」と笑えない冗談にあわせて無理矢理に笑った。確かに20年の空白期間は大きすぎる。世間一般的にはその時間は《無》と判定されてしまうのだろう。だがその20年はFがふたたび動けるために必要な時間だったのだ。Fの個人的な戦いは今までの20年よりもこれからの方がずっと厳しいものになると僕には予想出来た。乗り越えて欲しい。20年という時間が無駄でなかったと証明して欲しい。エールを送るつもりで僕は提案した。「就職祝いで飲みに行かないか?」「俺、金ないよ?」「もちろんオゴるさ」「ありがたいけどやめとくわ」断られると思ってなかったので少し驚く。かつての連弾パートナーは続けた。「ヤメておく」「お前と同じくらいのレベルになれたら、そのときにご馳走になるよ」「何年掛かるかわからないけれど」続けざまに出てくるFの言葉に悲壮な決意を見てしまい僕は言葉を失ってしまう。「やれると思うだろ?」Fの問いかけに僕は素直に頷けなかった。出来なかった。少なくとも僕は20年間社会人としてやってきている。自分が優れているとは全く思わないけれど、その差を埋めるのは僕には不可能なことに思えた。高校時代。ふいに連弾をしているときFが言っていた言葉を思い出してしまう。《俺のピアノに問題があったら、遠慮なく言ってくれ》 正直に「厳しいと思うけど頑張れ」と言うべきか、それとも「余裕だろ」と言うべきか。あの頃。僕はヘラヘラして誤魔化したのだった。でももう僕らは高校生じゃない。大人になった僕らには誤魔化したりはぐらかしたりして逃げる余地はない。迷っている僕にFは「気を使わなくていいよ。俺も無理だとわかってるから」と声をかけてくれた。そんな甘いもんじゃないのはわかってる、自信なんかあるわけない、と。Fは「でもやるしかない。もう俺には次はないから。許される年齢じゃないから」と。見透かされていた。Fの20年をどこかで僕は見下していたのだ。恥ずかしかった。僕は自分の過ごしてきた時間がFよりも絶対に価値や意味があると信じ切っていた。間違っていた。引きこもっていたFの20年と僕の20年は違う場所を走っていただけで、その価値は本人が決めればいい。ピアノと同じだ。連弾を弾く二人の関係は完全にイーブンで上下はない。あるのは時折の役割の違いだけ。役割。僕は自分の役割を果たさなければならない。僕は言った。「何年でも待ってるよ」。Fは何も言わなかった。かつてピアノの先生はこんなことを言っていた。《ピアノは歳を取っても楽しめる》 こんなことも言っていた。《ピアノは人生》。つまりそれは人生は歳を取っても楽しめるということになるのではないか。今、僕は20年間の引きこもりから蘇った年老いた友人とピアノの前に座るのを楽しみにしている。その日が何十年先だろうと僕は構わない。(所要時間21分)