Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

物忘れがひどくてきっと明日もトイレ流すのを忘れてしまう。

最近、物忘れが激しい。公衆トイレで社会の窓を閉め忘れ、そこからヤバいものがハロニチワしてたり、外出の際に鍵をかけたかどうか不安になり戻って確認することもしばしばだ。若い頃から記憶力には自信があるし、それは今でも変わらないけれど、記憶の引き出しへのアクセスに支障が出ているみたいだ。

物忘れの基礎知識|ワスノン|小林製薬

このサイトによれば「家族に物忘れがひどい方がいる」と物忘れリスクが高いらしい。ばっちり該当。70を越えている母の物忘れが酷すぎて笑えないレベルだからだ。(以前ここに書いたかもしれないが)母は友人とシニア向けの洋裁事業をやっていて、僕はその運転資金を援助しているのだが、先日も金を渡した翌日に「真顔で貰ってない」と言ってきたりした。驚きよりも寂しさが大きかった。母上、衰えられましたな…。そのとき僕は自分の物忘れのせいにしてやり過ごした。「やべー最近なんか忘れちゃんだよね」。甘いかもしれない。ただ僕は年老いた母が、残りの人生を楽しく過ごしてもらいたいだけなのだ。昨日、用があったので実家に立ち寄った。呼び鈴を鳴らしても反応がなかったので鍵をあけて入ってみると母のスリッパが玄関に並べられていた。外出していた。前日の夜に伝えておいたはずだが、僕の来訪を忘れてしまったらしい。母上。老いられたな…。父が死んで生活のために朝から晩まで葬儀屋で働く、たくましいはずの母の背中が思いのほか細かったことに気づいてしまったあの夕食どき。少しニンジンが硬かったハウスのシチュー。あれは10年前かそれとも20年前だったか、思い出せないが、そのとき胸に去来した何ともいえない寂しさとやりきれなさを思い出してしまう。仏壇に線香をあげて、火が消えるまでの短い時間、台所のシンクにあった食器を洗い、風呂場と洗面所の掃除を済ませた。それから僕は頼まれていたものをダイニングテーブルの上にあるビクター犬の像の下に隠した。鍵をかけて実家を出た。庭を見るとタローが使っていた犬小屋の前を野良猫が横切っているところだった。夜になって母から電話があった。「ありがとうね。一人で暮らしてるとこれだけでも嬉しいよ」意味がわからない。僕はお金を置いてきたのだ。例の仕事で使う金だ。確かに多くはないが、それを「これだけ」とは…。著しく礼を失するのではないか。親の顔が見てみたい。僕は言い返そうとした。しかし僕が何かを言おうとするのを遮るようにして母の口を突いて出てきた言葉に僕は何も言えなくなってしまった。「頼んだ金額より少なくない?残りは今度よろしくね」実は母の忘れっぽさにかこつけて、僕は求められたよりわざと少ない額を置いてきたのだが、母はしっかりしていた。「それとトイレも流し忘れてたわよ」僕は大便を流し忘れてしまったらしい。齢44にして、ちょうど漢字の「回」を一筆書きしたような形の一本クソを年老いた母に咎められる人生。「来るなら前もって教えてよ」もしかして僕が連絡を入れ忘れたのか。怖くて通話履歴を確認出来ない。これらの僕にとって厳しすぎる母の言葉が僕の言葉を奪い去ったのではない。僕が何も言えなくなってしまったのはこれらの厳しすぎる指摘の前に母がこう言ったからだ。「わざと家の灯りを点けっぱなしにしてくれたんでしょ。暗い家に帰ってくるの嫌なんだよね。あんたがこんな気づかいの出来る人間になれて嬉かったよ」物忘れによる消し忘れ。僕はまたやらかしてしまっていたらしい。妻には消し忘れで叱られてばかりだけどこんなやらかした本人が思いもよらない結果をもたらす物忘れなら時々あってもいいかもしれない。物忘れがひどいのは母ではなく僕かもしれない。母は僕が思った以上にしっかりしているけれど、こんなことでありがとうなんていう人じゃなかった。母は確実に老いている。あと何回、母とこういうやり取りをする機会があるだろうか。数えるほどとまではいかなくとも、もうそれほど多くはないだろう。父が亡くなって家がきつかった頃、僕はこんな時間はやく過ぎてしまえと祈っていた。だが、今は、自分の身勝手さを棚上げして、時間が出来るだけ緩やかに流れて欲しいと神様に願っている。(所要時間19分)