Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

あの夏、不完全な僕たちは殴り合うしかなかった。

去年の夏、まだアルバイト生活をしているとき、母から「地元のお祭りの手伝いでもしたらどう?」といわれた。どーせ暇なんだから、人様の役に立ちなさい、もしかしたらそれで仕事が見つかるかもしれないよ、と。地元の祭りは中学時代の友人や顔見知りが仕切っている。母からみれば、僕らは、まだ家に集まってファミコンで遊んでいる中学生グループなのだろう。だが、僕は彼らとのあいだに距離を感じていた。

昭和最後の夏休み(1988年)、中学三年生の僕はテレビゲームばかりしていた。仲間で集まってファミコンの「カイの冒険」をプレイしながら、エロ本を眺めたりジュースを飲んだり馬鹿な話をしたり。そういうくだらない時間の流れに心地よさを感じながら、妙な違和感が沸き起こってきた瞬間、温くなったスプライトを喉に流し込んだ瞬間を今も鮮烈に覚えている。

こいつらとはもう一緒にいられない、という自分がエイリアンになってしまったような感覚。裏切っているような後ろめたさ。それを感じた瞬間が、傍目にはファミコンとコントローラーのように有線で繋がっているようでも、僕が彼らとは違う人生を歩きはじめた分岐点だった。ボンクラな学生生活をしながら、本物のボンクラにはなりきれない自分、要領よくボンクラを演じている自分に嫌気がさしていたのかもしれない。彼らはこの町に死ぬまでいる人間で、自分はこの町から出ていく人間。シンプルにいえばそれが僕の認識だった。僕らは「カイの冒険」に挫折した夏が終わると、誰が言いだしたわけでもなく、自然と別々のグループにわかれて距離を置くようになった。不完全だった僕らは距離を置くことでお互いが傷つかないようにしたのだ。

ファミコンがスーファミになり、プレステの時代になった。大学を卒業して就職するときも、僕は彼らとは距離を置きながらも、彼らと同じ町に住んでいた。神奈川という土地は、東京に進学したり就職する際に、わざわざ出ていかなくても済んでしまうのだ。僕は気持ちは地元から離れているのに、身体と生活は地元に存在している、という状況に陥っていた。

違う人生を歩いている彼らとのランデブーは起こる。はっきりいって、ヤンキー、つーの?ジャージ姿でミニバンを乗り回す彼らを僕は見下していた。彼らのいう「地元愛」は地元から出ていけない奴の言い訳だと居酒屋でたまたま顔を合わした彼らに、酒の勢いではっきり言ってやったこともある。「変わったな」「勉強ばかりしてんなよ」という彼らの声も、「負け犬の遠吠え」と浅はかな僕は聞き流した。

僕は羨ましかったのだ。ホンモノのボンクラで在り続けている彼らが。結局のところ、僕はそのときの風にあわせているだけの風見鶏でしかない。根無し草なのだ。他人や世間が良いという価値観や人生に合わせているだけなのだ。アホでもいい。バカでもいい。自分の足で立ち、世の中を歩いてみたい。その感覚を知らない焦りみたいなものを、そのときの僕は覚え、彼らにぶつけていただけなのだ。彼らだって同じように感じていたと思うが決定的に僕と違うのが、町の外の人間の目を気にしている/気にしていない点だった。彼らとはますます疎遠になった。もう、永久に彼らとは打ち解けあえないと分かったとき、どうでもいいと切り捨てた関係を想って、寂しい気持ちになったのは今も苦い記憶だ。

去年の夏、僕はアルバイト生活の根無し草だった。結局、母の助言は無視して地元の祭りには参加することはなかったけれども、祭りには顔を出した。8月の夕暮れ。屋台がぽつぽつくらいのささやかな祭りだ。金魚の泳ぐビニルプール。その奥にあるミニバンと実行委員と貼り紙された仮設テントに懐かしい顔があった。目が合った僕は手に持っていた缶ビールを掲げた。それでおしまいにしようというサインだったが、彼は出てきた。タンクトップに金ジャラのネックレス姿のひどい姿だ。昔話に花が咲くなんてファンタジーだ。僕らはお互いに「久しぶり」とだけ言って何も言うことはなくなってしまい、「じゃあ」つって別れた。それで充分だった。

映画「スタンド・バイミー」のラストシーンに「私は12歳の頃の友人を二度と持つことはなかった」というリチャード・ドレイファスのモノローグがある。公開当時はピンと来なくて、ただのセンチメンタルだと思っていたけれども、今さら、やっと、意味がわかった。不完全だった頃の僕らの罪を許し、認め、理解し、殴り合えるのは、不完全だった頃に知り合った友人だけなのだ。

僕は、昭和最後の夏を共に過ごした彼らと違う人生を歩んでいる。おそらく、あのときのような関係に戻ることはないが、それでいい。あの夏、僕が感じた違和感を、僕はわりと最近まで自分だけの特別な感覚だと考えていた。それは間違っていて、おそらくカイの冒険を遊んでいた僕ら全員が抱いていたもので、だからこそ僕らはお互いに距離を置くようになったのだろう。僕は彼らよりそれを少しだけはっきりと感じることが出来たにすぎない。

地元の祭りで、かつての仲間たちが、僕の人生の向こう側でいきいきとしている姿を見て、なんだか嬉しくなってしまった。羨ましい、という成分のない純粋な嬉しさってなかなかない。自分とは違う人生にも違う喜びや楽しみがある、そんな当たり前のことにいまさら気付き、嬉しくなるなんておかしい。違いを認めることが人生を楽しむ秘訣なのかもしれない。

ある日、ふと「カイの冒険」が未クリアなままになっているのを思い出した。中古ショップで買ってきて、大袈裟ではなく《血を吐くような》苦労の末クリアした。あれほど皆で目指したクリアだったが特に喜びはなかった。そのとき、僕は、あの昭和最後の夏が、自分の中でもう殴ることのできない完全な過去になっていることを知ったのである。(所要時間26分)