Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ある個人事業主の死

現在事業展開していないエリアへの進出が決まり、出張が続いている。連日の新幹線移動で腰がきっつー。そこで羽根を伸ばすというか腰を伸ばしたくなり、息抜きも兼ねて、空いた時間を使って前職でお世話になった方に会いに行った。2年ぶり、完全なアポなしである。その方は個人で経営しているいわゆる個人事業主の「厨房屋」、厨房機器業者で僕の知るかぎりどの業者よりもサービスが良かったので重宝していたのだ。気がかりは、前の会社を辞める前年に取り引きを停止してから付き合いがなくなっていたので彼の現状を知らないことであった。店はシャッターが下りていた。隣の商店の人に聞いたら昨年彼は亡くなって、一緒に店をやっていた奥様は子供と暮らすために引っ越したらしい。結果的に彼に引導を渡したのは僕である。そのときすでに70才をこえていた彼を僕が追い詰めたのは間違いない。

十年ほど前のことだ。その時点で厨房屋の彼との取引は数年続いていた。厨房機器を導入する際に他の業者との見積もり合わせをするのだが、いつも彼が一番安かった。はっきりいって安すぎた。僕も業界には長くいるのでその金額では十分な利益を得ていないのはわかった。何回か僕は注意をした。この金額は安すぎるよ、安いのは嬉しいけれどそれで潰れられたらウチも困るんだよ、と。彼は、大丈夫です、1人でやってるから、オタクに切られたら回らなくなっちゃうんで、といい、その後は多少僕に配慮した金額を出すようにはなったけれど、それでも市場と比べれば激安といえる金額を見積もりに載せてきた。彼と取引をしていたのは会社内で僕だけではなかった。ある日、僕が同僚のデスクの上にある彼からの見積書を偶然見つけてしまった。ふと、気になって中身を見て、驚いた。それは中古の業務用冷凍冷蔵庫(4ドアタイプ)の見積書で、配送料・工賃込み。驚いたのは金額。僕がその前月にほぼ同じものを頼んだときの金額と同じような数字が並んでいると期待しながら覗いた、御見積金額の欄には、僕に出してきた金額とはほど遠い数字が並んでいた。市場価格に近い数字。そんなに商売がうまいようには見えないジジイの彼が担当者ごとに価格差をつけるとは思えなかった。僕はイヤな予感がして見積を頼んだ同僚をつかまえて尋ねた。「あそこから貰ってるのか?」同僚は僕に「え?貰ってないの?」と言った。それだけで十分だった。同僚は市場価格に近い見積を彼に出させて、彼から見返りを貰っていた。その見返り分を引いてしまうと、僕に出した金額より低いものになってしまう計算になる…。その同僚だけでなく彼と取引をしていた者は同様の行為をしていた。もちろん規程違反だが、同僚たちは「向こうから言ってきたから仕方なく…」と異口同音にいった。僕は同僚たちに文句を言いながらも「彼ならやりかねないな…」と思っていた。「オタクに切られたら回らなくなっちゃうんで」が悪い方向に出てしまったのだ。同時に、同僚たちに彼を紹介したのは僕だったので少し罪の意識も感じていた。なので同僚たちを密告するぞ、大事にするぞ、解雇になるぞ、と脅し、回収した「見返り」分の金を持って、僕は彼の小さな店に直接赴いて「こういうのは規程違反だから受け入れられない」と話をした。今後一切バック行為はやめてくれ、と。こういうことがあると取引きの見直しを考えなければならなくなるよ、と。彼の、わかりました、の弱弱しい声が妙に記憶に残っている。その数年後、いろいろあって僕は事業本部長という会社のナンバー2になるわけだが、その際に見返りをもらっていた連中はリストラリストに入れた(異動)。

それでも彼は安すぎる見積を出し続けてきた。誤解がないようにいっておくが、僕は薄気味悪い正義をかかげて、彼のために行動していたわけではない。正直な気持ちをいえば、僕も見返りが欲しかった…。なんで僕にもちかけなかったんだよー、絶対バレないようにうまくやるのにー、くっそー、という思いは今もある。僕が彼のために働いたのは、彼が潰れてしまうと一人の勝手のいい、細かいことまでなんでもやってくれる業者を失い、結果的に自分の仕事に跳ね返ってくるのは目に見えていたからにすぎない。そう、使い勝手のいい道具だったのだ、僕にとって彼は。僕がもっとも残酷な使い方をしていた。人間扱いしていなかったのだから。見返りをされなかったのは、僕のそういう部分が見透かされていたからなのかもしれない。

僕が前の会社を辞める前年、社の方針で彼との取引を見直すことになった。会社からは取引業者を減らすようにお達しが出ていた。さまざまな条件があったけれど、経理サイドからの要求で、手書きの請求書の業者は改善、それが出来なければ取引停止という「業務改善」という名の方針が出されたのだ。数十年、手書き請求書でやってきた彼は第一ターゲットになっていた。僕は、彼に会社の方針と考え方を示した。そのうえで手書き請求書を改善してくれれば取引の継続を約束した。子供のパソコンを使ったり、詳しい人に作ってもらったりすればいい、そう僕は簡単に考えていた。彼は違った。個人事業主のプライドなのだろうか。一人で何から何までやらないとダメな人だった。結局、手書き請求書を変えられなかった彼との取引は終わってしまった。「無理ですわ」と笑いながら答えた彼の顔をイヤでも思い出してしまう。

僕の勤めていた会社が一番の得意先だったはずなので、その後、彼は苦労したのは間違いない。会社の方も彼みたいな使い勝手のいい業者を失って余計な労力を使う羽目になった。仕事の最前線にいる人間で得をした人は誰もいなかった。それのどこが業務改善なのだろう?確かに前時代的だけれど手書きの請求書のどこが悪いのか?ぶっちゃけ読めればいいではないか請求書なんて。実際、彼は達筆で読みやすい字を書いていたのだから。例外もあるけれど70才を越えた個人事業主のおっさんにパソコンを使えというのは死刑宣告に等しいときがあるのだ。今も、この国では、業務改善という旗のもとで何人もの高齢の個人事業主が仕事を失っているのではないか。現場がちっとも楽になってもいないのなら何が業務改善なのだろう。はっきりいって無意味。時代の流れだから仕方ない面もあるけれど、どうか、効率化とか業務改善のひとことだけで彼のような個人を切るようなことはしないでほしい。「人間は道具じゃない」と彼を道具として使い後悔している僕は言い切れる。彼は、取引停止のあと、それほど時間が経っていない時期に倒れて亡くなった。いろいろ言いたいことはあるし、後悔や罪の意識もあるけれど、彼が最期まで厨房屋のオヤジとして生を全うできてそれだけは良かったと今は思うしそれだけしか言えない。(所要時間29分)