Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

社長と対立しました。

査定の件で、ボスと対立してしまった。これまで問題にならなかったボスとの意見の相違が明らかになったので、この対立をポジティブにとらえたい。営業部を任されている僕が査定する対象は、一部の事務スタッフを除けば営業スタッフとなる。会社の業績がいいので、基本的には全員プラス査定がボスの考え方で、その点について異存はない。だが、基本プラスであれ、営業スタッフ(営業職)として会社の業績にどれだけ貢献したのか、査定しなければならないと僕は考える。ウチの営業部は案件ごとにメンバーの組み合わせとリーダーを変える変動チーム制を採っている。だから部署全体でうまくいっているときは、ほとんどの営業スタッフが数値を達成できる。だが、中にはリーダーを任されて負け案件が続いてしまう者もいる。不運なのか、実力不足なのか、わからない。だがそれは事実でありその者の結果だ。僕は、冬季賞与に当たって、そういう者を低く評価した。いくら会社が好調であっても、数字をあげられない営業マンは評価すべきでないと考えたからだ。

僕の評価を、ボスは「厳しすぎる。会社が絶好調なのは全スタッフの貢献があったから」という観点から、差し戻したのだ。ボスは僕に「もし、会社全体の調子が最悪のときに一人だけ営業成績が抜群の者がいたらどう評価する?」訊いた。「最高の評価をします」「好業績のときと同じレベルで?」「ハイ。会社の業績を蔑ろにするわけではありませんが営業マンの評価とはそういうものですから」僕の答えにボスはあまり満足していなさそうだった。営業職以外の仕事を僕はやったことがないので他の職種の評価がどうなされているのか僕は詳しく知らない。だが、営業職は良くも悪くも数字で結果が出る仕事だ。だから僕は営業の仕事については、シンプルに、出た数字だけを評価したいと考えている(勤務態度とかは別ね)。

ボスは、はっきりと言わなかったが、結果が出ていない営業スタッフの「頑張り」「努力」といったものを評価して差し上げろと仰っている。笑止千万。僕に言わせれば、まともな頑張りや努力は数字にあらわれる。数字にならない頑張りや努力は、何らかの間違いがあるから、反省して次に活かせばいいだけのことだ。ボスのように、それらを評価したら、反省や活用はなくなってしまうというのが僕の考えだ。もちろん、そういう数字にならない頑張りや努力を評価することで、気持ちを折らずに次に繋げられる者もいるのは分かっているので、ボスの考え方を否定出来ないのだが。


前に勤めている会社のことを思い出す。営業職の評価に数字以外の要素を多く取り入れていた。上司の前で頑張っている姿。会社内で努力している姿。社長のマラソンを応援したかどうか。社員旅行の参加不参加。上に好かれた者が評価され、嫌われた者はコースアウト。数字を出さない謎上司が飲み会と社内営業で重用された。失敗したときは吊るし上げられ、成功はスルー。上司の見えないところで努力して数字を出しても評価に繋がるとは限らなかった。酷いときは何かインチキをしていると疑われた。きっつー。

結果として何が起きたか。失敗をおそれて何もしない、消極的な営業マンたちの爆誕である。「この案件は厳しそうなのでヤメときます」「競合他社がちょっと多いので戦略的撤退を提案します」「どうせ契約を勝ち取ってもまともに評価されないんでしょ」こんな声を何度聞いたことか。そういう環境にいたからこそ、営業職の評価は余計な要素を出来るだけ排除して、シンプルに数字だけにしたいのだ。数字にあらわれない努力頑張りは評価しないけど、逆にいえば、数字にあらわれる結果さえ出してくれれば、確実に評価に繋げるのだけど。間違っているかな…。

まあ、会社の業績は好調で冬季賞与も平均2.5ヶ月支給された。もっとも評価された者でも2.55ヶ月程度なので僕とボスの対立は0.05月という小さな戦場で行われたともいえる。でも、僕は危惧するのだ。会社が好調な今はいい。会社の業績が悪くなったときも、ボスが仰るように、数字にあらわれない努力や頑張りを評価対象に出来るのかと。評価の対象を変えずにいられるのかと。まあいい。僕はもう会社や仕事に過度の期待をしていない。僕の仕事は会社を良くすることではなく、営業部門の責任者として会社の好調継続に貢献することだ。僕に出来ることは、評価に対するボスの考えがどうあれ、意味不明な努力や頑張りといった曖昧なものに左右されない営業部門の責任者としての実績を積み上げていくこと、それだけしかない。(所要時間22分)