Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「何ものにもなれなかった」と人生を振り返る中高年知人に対して「あなたは真剣に何かを目指したことあるのですか?」と詰問しました。

中高年知人から「何ものにもなれなかった」という人生の評価を聞かされたので、「真剣に何かを目指したことがあるのですか?」「何もせずに何かになろうとするのは少々図々しくはないですか」と詰問した、という話をSNSに投稿したら、人を傷つけて何が楽しいの、ちょっと不愉快、オーバーキル!ゾッとする、壮大なブーメラン(笑)という反応をいただいた。反応は予想通りで、特に面白いものはなかったけれど、反応の数は僕の予想を超えていた。短文でゾッとできる人は、感受性が豊かな証拠なのでその感性を大事にしていただきたい。嫌味ではなく、この世界が優しい人ばかりで良かった、と心の底から思う。無条件に優しすぎるので、僕みたいな心の汚い大人に騙されないよう注意してもらいたいものだ。僕に、傷つける意図や、論破した快楽はなかった。もし、僕の言葉から邪悪なものを汲み取ったのならば、それは、そう思う人が僕と同じ発言をするときに、そう思って言うからだろう。実のところ、人生の先輩に、「何ものにもなれなかった」と真顔で言われても感想はない。その自己評価を尊重して、そうですね、と追認するしかない。普通に考えれば、何ものにもなれなかった、とわざわざ他人にいって意見を求める行為は、よく頑張ったね、仕方ないですよ、その反省を今後に活かそうよ、と慰めて認めてほしいだけだろう。ある種の承認欲求のあらわれである。無難にやり過ごすなら、そんなことはありませんよ、頑張ったからいいじゃないですか、といって彼の承認欲求を満たして差し上げるのが正解だろう。おそらく、そういう大人の対応をする方が多いのではないか。ただ、僕は根拠もなく、そんなことはないよ、というのは無責任だと思うだけである。とりあえず、真剣に何か目指したものをヒアリングしなければ回答しようがないので質問した、それだけである。すると「何ものといわれても具体的には特に…」「何か特別なことは別に…」「自分が何もしなかっただけだけど…」みたいなファジーなことを仰るので、さすがにそれで何かになれなかったと自戒されても、時間の無駄なので、「何もせずに何かになろうとするのは少々図々しくはないですか」と正直な感想を言ったまでである。その結果が重苦しい沈黙であった。何ものにもなれなかったと自戒する人には、2種類いる。何かを目指したが実力不足や運不足により残念ながらダメでしたな人。何かになれたらいいな、と思っているだけの人。どちらがいいとか悪いとかではない。いずれも、負けを認めているのは変わらないが、負けの種類が違う。人を傷つけている!残酷!といった類の反応は、負けを認めている人に必要のないトドメを刺している、という状況に対する非難だろう。そういう見方もある。だが、僕から見れば、何もしていない人は負けようがなく、負けたといっているだけの人である。そういう人に負けていないよーと言うのは酒のつまみにもならないくだらない行為ではないか。頑張ったね。よくやった。そんな中途半端な優しさで絶望を先延ばしにするよりは、あんたダメじゃんと宣告して絶望させた方がいい。ずっと優しい。そもそも、人間は何ものにもなる必要がない。薄気味悪い言い回しで言うなら、キミはキミでしかない、のだ。何ものにもなれなかった、という自戒に対し、一様に、そんなことないよーで応じるのは、優しさでコーティングしてはいるが、視点を変えれば、乱暴で無責任な対応でしかないのである。長々と書いてきたが、実は、何ものにもなれなかった、と自己評価している時点で完結している話でもある。自分の人生を評価できるのは自分だけであり、他人の評価は意味がないのだから。余談だが、僕の少々厳しい言い回しにはそれなりの効果があったらしく、当該中高年の人は、「今から本気で将棋をやる、奨励会を目指す」と言い出したのだ。年齢制限に気づくまでの虚しい目標ではあるが、それでも何もないよりかはずっといいと思う。頑張ってほしい。(所要時間26分)