Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

犬は知っている。

取り返しのつかない過ちなんてない。失敗Aは成功B、成功Cの2つで取り返せばいい。その繰り返しが人生だ。取り戻せないものもある。時間だ。個々に与えられている時間は少ない。だから、無駄な時間なんてないし、無駄になんて出来ない。それくらい貴重なものなのだ、時間というやつは。

お彼岸には欠かさず墓参りに行くようにしている。家族の墓だけでなくタローの墓へも。タローは80年代の終わりから00年代まで20年生きて、12年前に死んだ我が家の愛犬だ。今も生きている気がする。お彼岸が近づくと、夢に出てきて「おいおい」という顔をするからだ。タローは家族の気持ちがわかるみたいで、たとえば泥酔した僕が玄関の前でキャッツのメモリーを熱唱したときや、腹を下しているときの勇気あるオナラに成功してガッツポーズをしたときなどは、「おいおい」と言いだしそうな顔で僕を見つめていた。タローが死んだとき、僕は出張中で、臨終に立ち会えなかった。腰も曲がって、日々弱っていたので、覚悟はしていたけれど、いや、覚悟をしていたからこそ、出張の日程を無理矢理調整して立ち合うべきだったのだ、僕は。取り返しのつかない過ちであった。彼岸に会いに行っているのは、せめてもの償いのつもりだ。余談だけれど、タローは旅立った朝、離れて住む弟の家に立ち寄っていた。子供向けの、ボタンを押すと決められた言葉をしゃべるオモチャが、突然、誰も触れていないのに「じゃあ。またね!」とお別れの言葉を吐いたのだ。弟はそのときタローが逝ったのを悟ったらしい。義理深いやつなのだタローは。毎日、世話をしていた僕の出張先に立ち寄らなかったのは、たぶん、出張先を教えていかなかったからだろう。おいおい。

僕が出張から戻ったときにはすでにタローはペット霊園に埋葬されていた。遺された緑色の屋根の犬小屋や、使っていた銀色のお椀や、色あせて橙色になってしまった赤い首輪を見て、そこからいなくなったことより、そこにいたことを忘れないようにしていこうと強く思ったのを覚えている。タローは共同墓地に埋葬された。「一人ぼっちより仲間がいたほうが寂しくないでしょ」とは母の弁である。最高に美しい言葉。「なにより安く済むし!」と言葉を続けなければ、最高であった。僕は彼岸には必ずタローの墓参りをしている。最初はひとりで。ここ数年は妻氏とふたりで。最近、弟が犬を飼い始めた。名前はレオ。ウルトラの家族である。レオきっかけで母とタローの話になり、「今年も〇〇ペット霊園に行かなきゃ」と僕は言った。すると母は「誰のお墓?」などとおかしなことを言う。「タローに決まってるじゃん。冷血だなー」「冷血はあなたよ馬鹿」「何で」イヤな予感。「タローが眠っているのはそこじゃないわよ」ウソーン。どこで聞き間違えたのだろう。縁もゆかりもないお墓に線香を立てていたとは。墓前で、目に涙をためながら、ぶつぶつ思い出を語る見ず知らずのオッサンは、動物たちから見て異様であっただろう。取り返しのつかない過ちをしてしまった。

彼岸である。ひとりなら、墓間違いを墓まで持っていけばいい。この彼岸から、久しぶりだなあ、と墓参りをするだけのこと。だが妻氏にどう言えば?1.墓間違いを隠してこれからもタローのいない霊園へ足を運び、後日ひとりでタローの墓を訪れる。2.正直に、「墓間違えちゃいましたー!」と告白し、今後はタローのいる霊園に足を運ぶ。会ったこともない犬のために墓前でうううと涙を流す彼女の姿を見ているだけに、どちらの選択肢を選んでも地獄を見るのは間違いなさそうだ。失敗Aを取り返すためにどれだけの成功を積み重ねればいいのだろうか。Z?ZZZZZ?いずれにせよ、あの厳粛な墓参りの時間は取り返せないのだ。十数年もの長きにわたり、タローが夢枕に立つ理由がわかってよかった。これからも、つーか、とりあえず今夜さっそく、地獄を見るであろう僕を見守ってほしい。あの、おいおい、って顔で。(所要時間21分)