Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ロスジェネ世代が失ったのは生きている実感ではないか。

就職氷河期世代が「人生再設計第一世代」に名称変更、SNSでは「言葉遊びか!?」の声も(AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース
「ロスジェネ世代」が「人生再設計第一世代」へ名称変更するらしい。ふざけているのだろう。いや、ふざけているのだと信じたい。もし本気でこの名称にしたのなら、この国の未来に希望がないからだ。この名称変更から垣間見えるのは、ロスジェネ世代が失ったのは就業機会という考えである。だがロスジェネが失ったのはそれだけではない。僕には「自分たちが、なぜ、こうなったのか」という「実感」が失われたのが大きいように思えてならない。

ロスジェネ世代の僕が、今も何とか生き残れているのは、実力ではなく運が良かったからだ。謙遜ではない。非正規や引きこもり状態といった厳しい状況にある同じ世代の人たちと比べて、僕が能力や資質で優れていたとは思えないし、特別な努力をした記憶もないからだ。実際、僕より優れた資質を持ち、正しく努力した人もたくさんいたが、彼らの何人かは今も厳しい状況にある。本当に、たまたま、紙一重で綱渡りから落ちなかっただけなので、「運」に恵まれたとしか言えないのだ。僕と同じ年代で、今もなんとかやっている人は、運が占める割合に個人差こそあれ、同じように運がよかったという感想を持っているのではないか。

でも、運で片付けちゃいけないのだ。なぜ、綱渡りで生き残れたのか、どうして綱渡りから落ちてしまったのか、説明出来ないのはおかしい。僕の知人に20年も引きこもってしまった友人がいるのだが、彼は「何も悪いことはしていない」「どうしてこうなってしまったのかわからない」と言っていた。厳しい状況にある人たちには失敗したという実感がない。同じように、さいわい何とか生き残れている僕にも成功したという実感はない。どうにもならなかったのだ。ただこうなっただけなのだ。ロスジェネ世代は、生き残っている者からも、沈んでしまった者からも実感が等しく失われている世代なのではないか。ロスジェネ世代はまだラッキーなのかもしれない。世代で括るのは乱暴なのであまり好きではないけれど、同じような体験をしている仲間がいるからだ。でも、ロスジェネ世代のあとにも、実感のない人生を送っている孤独な人はいるからだ。

厳しい言い方をするなら人生再設計はただのリカバリーだ。だが本当にリカバリーできるだろうか。僕らは機械じゃない。生きている人間だ。人生において10年、20年という年月をリカバリーするなんて僕には想像がつかない。確かに人生を再設計することで、救われる人はいるだろう。だが、生きている実感が得られない社会のままでは、これからも失われた世代は生まれるだろう。再設計以前に、自分で自分の人生を設計できないところに問題はあるのだ。このままでは、人生再設計第一世代のあとには第二世代、第三世代が続いていく暗い未来しかない。

これからは、ロスジェネ世代でしぶとく生き残ってきた人間が社会のリーダーになる。正当な努力がそれなりに報われる、原因と結果が明確な社会を生きることができなかった彼らは、原因と結果が明確な社会を目指していくのではないかと僕は予想する。ヤな言い方になってしまうけれど、自己責任が求められるような社会だ。でも、ロスジェネの逆襲がはじまる…ふるえて待て!という気分にはまったくならない。その自己責任が少し優しいものであるようになればいいと僕は思う。やられたからやり返すに希望はないからね。(所要時間17分)