Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「無敵の人」とどう付き合えばいいのか。

川崎市登戸で起こった痛ましい事件は、テロだと僕は考えている。被疑者のプロフィールには興味はない。ただの人殺しであり、それ以上でもそれ以下でもない。僕らに出来ることは犠牲になられた方とご遺族に哀悼の祈りを捧げること、そしてテロ対策のように予防策と起こってしまったときの安全確保について考えていくことである。いちばんよろしくないのは、こんな凶行は防ぎようがない、と諦めてしまうこと。途方に暮れて諦めたくなるけれども、諦めたら何も変えられない。ゲームセットだ。事件直後から被疑者を「無敵の人」と評したり、「自殺するなら一人で死ね」という意見をインターネットで多く見かけた。僕は父を自死でなくしている。相当のショックを受けた。だから「自殺するなら一人で死ね」という感情は理解出来るけれども、自死は良くないと考えてきたこれまでの自分との間で少々抵抗を感じてしまう。また「一人で死ね」は、被疑者と同じような状態にある「無敵の人」を刺激する可能性があるから控えた方がいい、という文章もいくつか読んだ。今回の事件のように、社会から断絶した状態の人間を作らない、そして断絶した人間の復帰が容易に出来る、社会に変えていくことがこのような事件を起こさないためには必要なのではないか、という意見である。つまり「無敵の人」=失うものがない人を生み出さないようにしていくことが大事という考え方である。素晴らしい考え方だと思う。でも少々性善説に寄りすぎではないか。はたして、環境さえ整えれば、人は道を外さないようになるのだろうか。

今回の事件の被疑者の情報が入ってきたとき、僕は自分の友人を連想せずにはいられなかった(もちろん彼は凶行に走ったりはしない)。その友人は新卒で入った会社で心身を壊して20年以上も部屋に閉じこもってしまった。久々に彼に再会したとき、今でも昔の人間関係への強いこだわりと、20年社会を生きぬいてきた僕やその他の人間への劣等感の強さに驚いてしまった。実際、経験や技術的なものではなく、そういったものが復帰への最大の障害になっている。要するに、社会から断絶してしまった人間の中には、復帰への環境を整えて、部屋から出しても、適応するのが難しくて、より深い底に落ちてしまうような人もいるのだ。当初、僕も友人に復帰してもらいたいと思っていた。でも今はそうは考えていない。別に部屋にとじこもっていてもいいじゃないか。そんなふうに考えが変わってしまった。これが正しいとはまったく思っていない。ただ、環境を整えて、部屋から出て来てもうまくやれない人もいるのではないか、というクエスチョンに対する僕なりの答えにすぎない。無敵の人がすべてを失ってしまった、これ以上失うものがない人であるなら、しかるべき人生を提示したらそのギャップに絶望してしまうのではないかと愚考する次第なのである。

それならば無敵の人の人生にもまだ失われていないものがたくさんあるのだと評価して実感させたほうが暴発は防げるのではないか。たとえば、「引きこもりや閉じこもりは全然恥ずかしいことじゃないからガンガンやろうぜ(もっとうまい文句があるはず)」といって、まだすべてを失っていないように感じてもらえばいい。正しい生き方を教えるだけでなく、ちょっとズレた生き方を認めることも、無敵の人を武装解除できる方法だと僕は信じている。残酷なことを言っているのはわかっている。下手をすると一人の人間を部屋の中に、塩漬けにして閉じ込め続けてしまいかねないからだ。でもね、それでも誰かが死ぬよりはずっとマシだと僕は思うのだ。(所要時間25分)