Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「自分をサブスクで使えて会社はラッキーですね」と自己評価高いマンは言った。

自己評価高いマンに命を削られている。30代半ば。男性。企画職。彼は仕事がひとつ終わるたびに「自分どうです?」と意見を求めて回っている人物。真顔で「自分どうです?」「今回の仕事の仕上がりには自信があります」「実は…横浜市民です」と突き押し相撲でどどーんとこられたら、あ、まあ、いいんじゃないかな、て誤魔化すしかない。「全然ダメだよ」「きっつー。あれが君の本気なの?」と冗談でも口にしたら、アソコを千切りにされかねない。それくらいの勢いなのだ。彼についたあだ名=自己評価高いマン。彼は「会社からの評価がすべて」と口癖のように言っている。評価がいいものだと思いこんでいるからうらやましい。彼のなかで評価はプラスのみでありマイナス評価は存在しない。かつて賞与の査定の際にマイナスをつけられたときなどは、自分はやめますよ、いいんですか、いいんですか、と騒ぎを起こし、周りの精神的に弱い同僚を巻き込み「こいつと一緒にヤメますよ?」と退職カードをチラつかせてマイナスを回避させた。そういうスタンスが評価をガタ落ちさせていることに気づかないのだから幸せだ。同じ部署でなくて良かった…と安心していたのだが、昨年、僕が営業の部長になった途端、それまで僕を中途採用の陰気なオッサン扱いしていたのが嘘のように、部長~、部長~、と絡んでくるようになった。その厚顔ぶりに思わず睾丸が縮みあがったのをつい昨日の出来事のように覚えている。以来、僕は、自己評価高いマンの「自分どうです?」攻撃にさらされている。「ダメじゃん」とダメ出しをすれば、「その部分は自分も納得いっていない部分なのでそれがわかっている自分の客観性すごくないですか!」、「普通かな」と平均的な評価をしても「普通にいい企画っていうのは一般ウケ最高という意味ですね!」とムテキングな反応しかないので、相手をすればするだけ心身を削られていくばかりのクソゲー仕様なのだ。嫌味のつもりで「自己評価高いね」と言うと「自分で自分を愛せない人間は誰からも愛されませんよ。ご自身を愛せない部長はかわいそうですね」と愛を説かれる始末。評価。評価。評価。最近は「自分をサブスクで一カ月定額で使える会社はそれだけで得をしているんですよ」と言い出したので評価獲得の神に祟られて少しおかしくなっているのかもしれない。そんな自己評価高いマンあらためサブスク君が今月いっぱいで会社を辞める。「お世話になりました」「お疲れ様」型どおりの挨拶をしたあとで妙なことを訊かれた。「周りから私はどう見られていますか?」自己評価から抜け出したらしい。率直に「ヤバい奴」と答えたら「ヤバいってヤバいくらい良いという意味ですね」とワンダー変換されるのを恐れて答えに窮してしまう僕。「何もないですか?」「うーん。別に」「別にとはどういう意味ですか」「辞めていく人間に評価をくだす立場じゃない、というか、フェアじゃないかなって…」「誰からも慰留されませんでした」「辞める人間に対してはそんなもんだよ」「そうですか」「ま、サブスク精神で新しい職場に得したなーと思わせてあげなよ」というペラペラなやりとりと気持ちの入っていない握手をして別れたら、あら不思議、サブスク君が「あの営業部長、私が退職するのに労いの言葉も評価もない冷血人間だ」と社内で言いふらしているので、マジで死んだ。新しい職場でサブスクでボロキレのように使い倒されてほしいものだ。(所要時間19分)

9月27日発売↓

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。