Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年営業という仕事をやってきて近いうちにこの仕事はなくなると思った。

「仕事を断るのも営業の仕事」と常々言っているけれども、それが言えるのもノルマや目標を達成しているからこそだ。もし未達成ならただの言い訳になってしまうからだ。だが今期の見通しは、目標達成ギリギリといったところ。僕の力不足もおおいにあるけれども、営業という仕事が変わつつあるのではないかという言い訳めいた考察をしてみるのがこの文章の目的である。

20数年前、新卒で営業という仕事をはじめた当時、社内で「営業サン」と呼ばれるのがイヤで仕方なかった。「サン」には「作る側の思いも知らずに商品やサービスを売ってくるだけの存在」という意味がたっぷりと入れられているのがわかったからだ。同僚たちからなぜそんな扱いをされるのか当時はわからなかった。だから、サンと呼ばれないよう、売ってくるだけの営業にならないのが個人的な目標になっていた。社内でうまくやりたい、というよりは、そうしないと営業として生きていけない、と思ったのだ。同時に、根拠はなかったけれど営業という仕事は今後30年くらいは存在し続けるという楽観もあった。

そんな僕の予想よりも営業という仕事は早い時期に滅亡しそうだ。数年以内に滅びそう。最近、自分の仕事を通じて強く思う。実際、プライベートでも営業マンに頼るシーンは少なくなっている。事前に商品のウェブサイトや口コミ、レビューをチェックすれば、自社商品を売り込んでくる営業マンに惑わされず、客観的に商品を選べる。実際、僕も車を買い替えるときに営業マンの話をまともに聞かずに買った。そのせいで納車翌日に新型が発表がなされるという悲劇に見舞われ、奥様から「アホバカマヌケ」とお褒めの言葉をいただく結果になったけれどね。

半年ほど前、春の日に、スーツ姿で野山を駆け上がった。今、勤めている食品会社でも営業職で、新規開発営業が主な仕事ではあるが、クライアントが望むもの(売るもの)をそろえる(買ってくる)仕事の比重が年々大きくなっている。その流れの中でクライアントからの「山菜や自然食品の扱いは?」という要望に応じるため、山菜の生産者さんと会うことになった。僕は自分が関わる商品の生産現場には必ず足を運ぶようにしている。「営業サン」と揶揄されるのは二度とごめんなのだ。

食品工場っつうから郊外にあるかと想像していたら山だった。つかガチ野山。道なき道。ウサギ追いしカノヤマ。革靴をドロドロにしながら生産者さんについていき山の頂きに達するとそこに粗末な工場が、と思ったら、ない。なんにもない。謀ったなこのジジイ。と憤りかけていると、彼は「今、通ってきたところ全部が私の工場です」といったのだ。最高のセールストーク、プレゼンテーションだ。

「ガチ野山を最低限の手入れだけしている/シーズンは毎日登って採取している/大変だけど楽しみにしている人がいるからね」と彼はつづけた。僕は考えた。もし、彼のつくったものを営業が売り込んだら。「産地直送。私が育てました(顔写真)。健康!」みたいなありふれた文句になってしまうだろうと。「ガチ野山を毎日わたし自身が登って採っている。楽しみにしてね!」というストーリーはご本人が語るからこそ価値があって、誰かが間に入ったら価値がそこなわれてしまうと。僕は「ご自分で直接売られたほうがいいですよ」とアドバイスしていた。わからないことは教えますからお気軽にご相談くださいと。

実際にものを作っている人の言葉は、多少拙くても、重い。以前はそれを届けるのが営業の仕事だと思っていたが、今は、ダイレクトに生のまま伝えたほうが伝わる。結局のところ僕のような営業はものを作っていない。残念だけどどこまでも「営業サン」なのだ。確かに売ることに慣れてはいる。だけどそれだけ。今はネットなどで生産者が直接発信できるし、その情報に比べたら、気の利いた宣伝文句や営業テクなんて些末にすぎない。極端な言い方をすれば、営業があいだに入らないほうが商品が売れる場合もあるのではないかと、自分の職業を否定するようなことも最近考えてしまう。結局、ガチ野山の生産者さんとは契約しなかった。後悔はしていない。生産者さんをクライアントに紹介して、直接、商売をしてもらうようにした。ウチには一円も金は入らなかったけれども、両者から感謝してもらっているようなのでよしとする。これが投資になって将来的に寄与してくれればもうけものだ。

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ノルマや目標を達成できない営業はいらないが、売るだけの営業はもっといらない。セールスよりコンサルかアドバイザー的な役割が今よりも強くなって、極端な話、自社の商品やサービスを売ることにとらわれないようになるのではないか。コンサルとは第三者と当事者という部分で差別化が図られるだろう。売る側と買う側のニーズを当事者の立場で見て最適解を見つけることが営業職の仕事になる。今はノルマ=売上の営業マンが多いけれども、ノルマの意味合いも変わってくるのではないかな。たとえば「役に立った」ポイント制みたいな(ネーミングセンスなくてすみません)。管理職としては、長期的にみて、営業マンがかかわった人の利益を最大化しているかどうかが評価の対象=ノルマになっていくのではないかと予想している。

僕は営業なので営業職の変化について語っているけれども、どの職種も一緒だろう。時代や世の中が変われば仕事もそれに応じて変わる。変化にアジャストしていくのは誰にとっても大変だ。なくなってしまう仕事もあるだろう。だけど、一歩一歩やりきるしかない。やりきっていれば、かならず、今の仕事の隣にある新しいヒントを見つけられる。普通の仕事を積み上げていけば、普通が普通じゃなくなって、そのうち新しいものが見えてくる。きっつーと愚痴ることはあっても、絶望している暇は案外ないのだ。そういうものだろう?頑張ろう。(所要時間32分)

最近本を書いた。このような仕事にまつわるエッセイも収録されてるよ。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。