Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

就職氷河期世代の答え合わせがキツすぎる。

今年の夏から同級生と会う機会が多く、毎回、まったく異なるメンバーと会っているが、どういうわけか申し合わせたように「俺たちの世代って何だったんだろう…」という世代の話になっている。これまで、仕事や家庭のきっつーな話をすることはあっても、世代がどうのこうのといった自分たちを俯瞰でとらえるような話になることはなかった。1973~74生まれ。45、46才。50を前にして、ここでいったん、自分たちの人生を振り返っておこう、中間地点で答えあわせをしておこう、という気分に何となくなっているのだろう。

家族や老後という話題からではなく、仕事や働くことから自分たちの世代を振り返っていた。大卒で社会に出て20数年、技術や経験を蓄積して、管理職やそれなりの立場で仕事を任されている者が多い。これまでは会って話をしても話題は、ごく個人的な仕事の愚痴や悩みが多かったけれども、この夏からの一連の会合では、俺たちの世代が、これまでどう仕事や社会と向き合ってきたか、そしてこれからはどう向き合っていくべきか、という世代という視点での話が多かった。俺たちはさー。俺たちはサー。という感じで。

そんな世代視点からの仕事や働き方についての話を聞いていて、おや、と思った。「培ってきたもの、自分の能力や経験を活かして新しい会社で新しい仕事をしたい」「おそらく次が最後の転職になるから、やりたい仕事の出来る職場へ行きたい」「会社なんてどこでもかまわないから、いい仕事がしたい」。そんな前向きな働き方の話のなかで、「働くこと」がどれも「会社で働くこと」になっていたからだ。つまり仕事=会社。もし、僕らよりも少し若い世代(30代)が集まって、仕事について、働き方について、語り合ったら、会社などにとらわれずに独立!起業!という話になるのではないか、と皆で自嘲気味に話した。俺たちは、なぜ、会社で働くことにとらわれてしまっているのだろうか。

僕が子供時代を過ごした80年代、日本は絶好調で、24時間働けますか、という今じゃ信じられないようなCMが流されるような、会社サイコー企業サイコーな時代だった。「いい大学を出ていい会社に入ること」が一般的に良いことされていた(と思う)。僕はそんな生き方を「安定志向でつまらない生き方だなあ」と思っていたが、それは、会社は良いところという認識の裏返しでもあった。大学在学中、「さあ就職」というとき、サイコーだった会社はサイコーではなくなって、悲惨な就職氷河期がはじまっていた。いい大学を出ても希望の会社に入れないし、就職することも難しいという有様だった。希望の会社に入れなかっただけの僕のような人間はまだいい。就職浪人してしまったり、今だに誰が何のためにもてはやしたのか怒りすら覚える「フリーター」ブームに乗っかってしまったりして、今だに苦しんでいる世代の仲間は悲惨だった。それが今、社会問題になっていて、ふざけたことに「人生再設計世代」と呼ばれる始末だ。

グローバル化やIT化にさらされ、変わり続けた、ここ20数年の日本社会のなかで、僕らの世代が見てきたもの、見続けてきたものは、会社はサイコーではないけれど、サイコーではない会社からこぼれおちてしまったときの、どうにもならないきっつーな現実だった。会社に夢見て、裏切られ、痛めつけられ、それでもそこからは出られない。それが僕ら世代の代表的な姿かどうか分からないが、ある一面であることは間違いない。

ここ数か月で会った同級生たちは例外なく、「生き残れたのは、実力ではない。ほんの少し運が良かっただけだ」と自己評価していた。これが「自分の力で勝ち取った」「俺たちは成し遂げた」「実力だ!」と言うことのできない、負けないようにしがみつくことに必死で、勝ち残った実感の乏しい氷河期世代の悲しくキツい答え合わせなのだ。10年後か20年後に現役世代を終えるとき、勝ったとか、負けたとか、そんな他人の目を気にした評価なんかどうでもいいから、やり切ったという実感を得られるようにはしたい。(所要時間25分)

最近、こういう人生を生き抜くためのエッセイ本を出しました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。