Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

子は親の介護をするために生まれてくるのか。

地球が太陽の周りを50回まわる前に自分が生まれた意味を知ることが出来た。生を与えられた意味を知ることも出来ずに、命を終える人も多い。だから僕は内容は別として己の生まれた意味を知ることが出来たという事実を今は喜びたいと思う。

ここ一ヵ月ほど実家に住む母を避けていた。70代後半になる母の介護問題を回避するためである。11月某日。母から「隣の家が滝なのよ。滝なのよ」「隣りの屋根から水が湧いているの」「川が流れている」という連絡があった。海外のレスキュー番組のような鬼気迫る声色。空を見上げると澄みわたるような秋の晴天。赤トンボの編隊はいない。次の秋へ飛んでいってしまっている。秋空を見上げる僕のなかで点滅していたのは介護の2文字。途端に寂しくなった。夕焼、小焼の、赤とんぼ。40年前。幼稚園からの帰り道。一緒に赤とんぼの歌を口ずさんだ母はもういない。今の母は執拗に電話で、滝なのよ、滝なのよ、と繰り返すだけなのよ…。

以来、数週間、実家を訪問しなかったのは、僕が冷血ヒトデナシ男だからではなく、某警備会社のサービスを信頼していたからであり、ただただ介護が面倒であったからである。それでも実家へ行ったのは、将来設計を立てるために、母の要介護度をこの目で確認する必要があったからだ。結論からいうと母はしっかりしていた。宇宙人のようなシワシワの指で母が指した先を見ると、確かに隣家の屋根から猛烈な勢いで水が流れていた。滝のようにという形容は、さすがに大げさだがウォシュレット(中)レベルの勢いはあった。屋根に設置された太陽熱温水器が老朽してそこから漏れている模様。このままでは屋根が腐る。家屋も倒壊するかもしれない。住んでいる老夫婦が心配だ。隣家は低い位置にあるので倒壊しても直接の被害はないが、パジャマ姿で潰れたジジババはあまり見たくない。人として。隣家の老夫婦はどうしたのか、母に訊ねるとジジイは地域の隣組的な組織のリーダー(順番制)を嫌がって北海道に2年ほど仕事で単身赴任するといってから姿を見ないらしい。「バアさんは?」という僕の問いかけを母は聞えないふりスルーした(役所に連絡済)。お察し。

80近くになるジジイが冬の北海道で何をするのだろうか。ババアはまだ人間の形状を保っているのか。床のシミになっていないのか。そんな隣家の問題はさておき、母がしっかりとしていたので僕は安堵していた。安心したのは、母の健康状態に対して、ではなく、介護しなくていい、という己の状況に対してであった。母は鋭い感覚を持っている人である。僕の「こんなに嬉しいことはない。僕はまだ介護しなくていいんだ」という意識の動きを察知して「もし私がボケてもあんたが面倒みてくれるから安心している」と言ってきた。「当たり前じゃないか」僕は相槌を打った。「だよねえ。一所懸命育てたのだから感謝してもらわないとね!私の老後を看てもらうためにあんたを産んだのだから」と母は笑った。本人は冗談のつもりだろう。だが僕は少なからず傷ついていた。そういう意図はあるかもしれない。いやあるだろう。だが、心の中で思っていて、それがどれだけ自分の正直な気持ちであっても、絶対に言葉にしてはいけないこともある。初対面の女性がどれだけセクシーで、心の中で、あーチョメチョメしたいなーと思っても、現実で口にしてはいけないのと同じである。

《親の老後の面倒をみるために生まれた》が僕の生まれた理由。育ててくれたことには感謝している。過度な感謝を表明しないのはそれほど迷惑をかけていない自負があるからだ。メジャーデビューしたラッパーがやたら育ててくれた両親や地域に感謝するライムをしたためるのは、若かりしときに両親や地域に対して暴言、借金、準破壊行為などの迷惑をかけてしまった罪の意識からだろう。ひるがえって僕の場合。両親や地域に迷惑をかけたことがないので、どちらかといえば感謝してるかな…みたいな平均的な感謝になってしまう。平均的な感謝の気持ちしかないが、そういう状況になったら介護はする。しなければいけないし、わりと近年まで紅茶キノコを栽培していたような母だけども僕にとってはたった一人の母だから介護はするさ。だが、しかし、でもさ、親の介護をするのが当たり前と言われて、まあ、当たり前っちゃあ当たり前なのかもしれないが、それを当たり前って断言されてしまうと少しひいてしまうのも事実。だって人間だもの。そして、感謝の気持ちから介護したいと思うようになるのが理想だけれど、親の介護は子供の役目っつう、強制がなければ誰もやろうとは思わないだろう。もし僕が逃げたら?母に訊ねるとそのために弟を生んだという明確な答がかえってきた。強すぎる。覚悟できたよ。

母は老後の面倒を見させるために僕を生んだ。いいじゃないか。どんなものであれ人から期待されて生を受けるのは素晴らしいとポジティブに受け止めたい。生きる意味を見失っている人たちには、あなたたちは親の老後の面倒を見るために生まれてきた、と教えたい。そうやって他人を巻き込んで、このどうしようもない悲しみを薄めていきたい。ちなみに妻からは僕が要介護者になったら財産を没収して即施設に入れると宣言されている。スタンスが明確で大変よろしい。(所要時間28分)

こういう逆境を乗り越えるための、会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。