Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ぼくの目の前でバブルは弾けた。

昭和49年2月生。団塊ジュニア。子供のころは、いつも、たくさんの同級生がいた。小学校は初日に遅刻をして一瞬スターになったがすぐにマンモス校で埋没。大きなホテルが燃えて蝶ネクタイのオーナーが言い訳をしていた。日航機が2回堕ちた。それからファミコン、スーパーマリオ。親から隠れるようにみた深夜番組は、エロティックで、楽しそうで、まぶしかった。

中学校はヤンキーが仕切っていた。国鉄がJRになって、車両内の灰皿がなくなった。同級生でも気の合うやつとしか話をしなくなった。CDラジカセが流行ってドラクエ3は飛龍の拳と抱き合わせで買わされた。ニュースは景気のよさそうな話ばかりで、大人たちは金をばらまいて楽しんでいた。天皇陛下が崩御されて時代がかわる。平成。

高校は進学校だった。ごく少数の親友とそれ以外の誰か。消費税。カラヤン。天安門。ベルリンの壁とソビエト連邦がボカン。クラシックからロック・ポップスへ、音楽の興味がかわり、ゲーム、エロ、漫画。ボンクラになった。話を合わせるためのトレンディドラマ、心を寄せたのは満月テレビ、おとなの絵本。大人たちの景気のいい話。タクチケ。アッシー、メッシー。記録的な株価、路線価。そして受験戦争。たくさんの同級生が敵になる。競争率10倍超の戦い。オヤジが死ぬ。

山が当たって大学に滑り込む。超オタクやマニアにもなれない中途半端な目標のないボンクラへ。ぼんやりとした煙草とコーヒーと小説、アルバイトの日々。Jリーグがはじまる。阪神大震災と地下鉄サリンで世紀末を実感。新卒就職活動。目の前でバブルがパチーンと目の前で弾けて就職氷河期がはじまる。同じ年代の仲間が脱落しはじめる。

大きな会社に入るが、学生時代にブラウン管で見せつけられたキラキラした世界はなくなっている。神戸で透明な中学生が事件を起こす。リストラという言葉が日常に。証券会社や銀行が潰れる。キラキラどころか社会全体に余裕がなくなる。プレステで遊ぶながら、心や体を壊して脱落していく仲間を見送る。グローバル化、少子高齢化、IT革命、東日本大震災、同じ年代のSMAP解散の目撃者となって日本経済の衰退だけでなくあらゆる面での、いってみれば、この国にあったすべてのバブルがはじける目撃者になる。そして令和元年。45歳でお荷物扱い、プチ高齢者扱い。きっつー。

ざっと僕の人生を社会の出来事とリンクさせてみるとこんな感じになる。あくまで僕の個人史なので現実とはすこしずれている。たとえばバブルが弾けたのは文中より数年前の高校時代だが僕の人生に直接影響が出たのは就職活動期になる。こう書きだしてみると「失われた世代」と揶揄されるように、なんだか酷い人生だなあ、と思ってしまう。少し年上の、僕が味わえなかったバブルを謳歌した世代にも、後進のゆとり世代にも、「いいよなあ気楽で」と文句を言いたくなってくる。「僕の世代きっつー」と愚痴りたくなる。実際、愚痴っている。でも、最近はこうも考えるようになった。「振り返ってみるとこんな酷い時代だったけれど、なんとか生き抜いてこられた。今生きているだけでやるじゃん」。嘆くばかりでなく自分で自分の人生をジャッジして勝利宣言してしまおうと。

実のところ、上の世代や下の世代がどうやって生きてきたのか、悩んできたのか、僕にはわからない。だけど、先日、酒を飲んだ年上の知人から「バブルのとき、バブルの恩恵を受けられなかった俺みたいなヤツもたくさんいたんだよ」と言われて、彼らにもまた彼らの世代だけの悩みや苦しみはあるのだと考えるようになった。同じ出来事でも年齢や個人の能力や条件によって受け止め方も違うはずだ。生まれてきた時代によってツイてるツイてないは確かにある。どうにもならない不平等もある。世代の中でうまくやれたヤツもいれば、ダメだったヤツもいる。だが、結局のところ、自分の人生を決めるのは自分だけだ。他人から「ホニャララ世代www」「お前は負けた」といわれても関係ないのだ。だから僕らは「あーあ冴えない人生だ」と嘆くのもいいが、ときどき、自分自身が今なんとか生きているという事実を、もっと、ずっと、評価するべきだ。人生は、決してつかまえることの出来ないそれぞれのバブルを追いかけているようなぼんやりとしたもの、だからこそ、生きているという小さいけれど確かな実感を大事にしたい。そんなふうに僕は思っている。(所要時間23分)

本を出しました。この文章のような庶民の人生についてのエッセイ集です。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

痴情最大の侵略がきつすぎる。

まだ暑かった時期に送られてきた一枚の画像が僕を悩ませている。生後数か月と思われる女児の画像。文面は「かわいい」のみ。送り主は今世紀初頭に僕とチョメチョメな関係にあった女性(メールのタイトルに名前が記されていた)。生きていれば現在40代前半。彼女が今どこで何をしているのか僕は知らない。この文章を書く前に共通の知人へ彼女の現状をたずねるメッセージを送ったので近いうちにわかるはずである。


女児の画像は僕へのリベンジだと考えた。「私はこんな可愛い子供に恵まれて充実した人生を送っている。あなたはどうですか?」という冴えない人生を送る僕にジェラシーを起こさせるようなメッセージ、あるいは「あなたのような人物が我が国の少子化に拍車をかけている」というバンクシーの作品のような批評性のあるメッセージ。そういった強いメッセージを画像にこめて僕を追い詰めようとしているのではないかと。もしくは、僕の精子、あの目に見えない、小さなオタマジャクシーが僕の許可なく冷凍保存されており「かわいい子供だねえ」とメールに反応したら「あなたの子供です…」という言葉が返ってくる驚きの展開も考えた。近いうちに届くかもしれぬ養育費の請求書に震えた。そんなことが倫理的に許されるはずがない。だがどれだけ僕が「倫理ガー!常識ガー!」と騒いだところで敵の手中に僕のオタマジャクシーがあるかぎり無力だ。第二第三の女児が「次女よパパ」「三女ですパパ」と襲撃してくるかもしれない。キャッツ・アイの来生3姉妹のようにセクシーな3姉妹ならウエルカムだがそれは儚い夢。厳しい現実は強烈なコシノ3姉妹もどきを僕のもとに派遣してくるのだ。きっつー。妻にオタマジャクシーの冷凍保存についてたずねたら「本体の人間が死ねば、冷凍保存されている種も廃棄処分されるのではありませんか」という答えがかえってきた。神は冷蔵庫より冷酷であった。

十数年という年月をこえての復讐。やはりあれか、ベッドの上で筋肉バスターをかけたのを根に持っているのだろうか。人間は自分が他人に屈辱を与えたことなどひとかけらのケーキで記憶の奥底に沈めてしまうが、受けた屈辱は永遠に忘れない。今、知人から連絡が入った。バンクシーでもオタマジャクシーでもなかった。「彼女には子供がいない」という事実が明らかになって、あずかり知らぬオタマジャクシーの冷凍保存より遥かに強い恐怖が僕の心を侵略していく。何のために…つか、その子誰なんだよ。怖いよ。(所要時間12分)

本を出しました。こういう日常を破壊する小さな悲劇についても書いてます。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

20年の営業マン生活でわかってきた「仕事の本質」を全部話す。

20年ほど営業という仕事をやってきて、小手先のテクニックにとらわれない本質みたいなものがつかめたのが、数年前、給食の営業をやっている時期だった。ニッチな仕事ではあったけれど、営業という仕事を見つめなおすにはちょうどよかった。現在は違う営業をしているけれど、今のうちにそのとき気付いたことを忘れないためにまとめておこう、というのがこの文章の目的だ。


給食の営業というだけでピンとこないはずだ。僕もわからなかった。ピンとこない理由は、1)誰に 2)どうやって 3)何を売るのかわからないからの3点だろう。
1)誰に=営業の対象は法人の社員食堂と福祉施設で僕は主に社員食堂を担当していた。一般的に社員食堂は自前で運営しているか、業者(給食会社)が、管轄保健所から営業(給食)で許可を取って運営している。給食というと学校給食を連想してしまいがちだが、社員食堂も給食なのだ。あなたの会社の社員食堂にも給食とかかれた営業許可証があるはずだ(マックやスタバが社食がわりに入っているかもしれないが、それはテナントとして入っているので今回は割愛)。確認してみてほしい。

2)どうやって営業をかけるか。これが難しかった。むやみに企業リストそのままに当たってもまずうまくいかない。まず、リストからターゲットにする会社のホームページで資本関係や関連会社をチェックする。調査会社に依頼するときもある。メーカー系の大手に多いのだが子会社に給食会社を持っているところが多いのでそういうところは原則パス。なぜか。そこは天下り先のようなものであってアンタッチャブルだからだ。僕は「あんた、俺たちの定年退職後の行き先をなくすつもりなの」と笑われたこともある。うむ確かに。僕は某メーカーの社食をその子会社から取ったことがあるが、それはレアケース。

次に、絞りこんだ見込み客リストからターゲットの社員食堂がどのような営業形態をしているか裸にしていく。具体的には管轄保健所で情報開示手続きをおこなう。管轄保健所から営業許可リストというカタチで入手でき、そこにはターゲットの住所連絡先に加えて運営形態が記載されている。つまりターゲットを誰が運営しているのか一目瞭然である。ここで大事になるのは相手ではなく敵を知ることだ。現在食堂と運営している敵が、どういう会社なのか、強みと弱み、基本的な事項は営業として暗記しているはずなので(もし、忘れていたらこの時点で復習)、チェックするのはその給食会社の最近のトピック。

「健康食はじめました!」というポジティブなニュースはもちろんだが、食中毒事故を起こしていないかどうか、をまずチェックする。チェックするのは過去3年間分。3年間というのは営業許可申請の際に「過去3年間で食中毒事故を起こしていないか」が問われるからだ。気をつけなけれならないのはターゲットとの商談の際に「御社の社員食堂をやられている会社さん先月食中毒事故を起こしてますよね」とこちらから切り出さないこと。もしその事故を担当者が把握していなかったらメンツをつぶすことになりかねないからだ。あくまで相手がその話題を出したときに対応するときのため。競合他社を貶めることは言わず、一般論として安全衛生の重要性と食中毒の怖さとそれによって失われるものを説明して、オマケで自社の考えを付け足す程度でじゅうぶん。大事なのは「この人、ウチのこと考えてくれている」と思ってもらうこと。そのための敵の情報なのだ。貶す材料ではない。

社員食堂の営業でもっとも困難なのは、アポ取り。相手はターゲットの総務か人事。電話は100件かけて3~4件程度のアポしか取れない。企画提案をできるのは100件のうちいいところ1件だろう(紹介案件のぞく)。ここでめげるか、それともこんなもんか、と考えるか。そこが給食営業として生きていけるかどうかの分岐点になる。毎日マシンのように100件かけて1日あたり3~4件の新規客と会うことを続けていく。会えた客は見込み客からランクひとつレベルアップさせていく。その継続。もっともこのもっともつらい部分を外注にしていくことも可能だ。僕の個人的な経験からいうと、社員食堂の営業といわずに、社員食堂をカイゼンするお手伝いをさせてください、と話を切り出すと相手の「で?」という次のステップに進める可能性が高かった。もっともそれでも100件のうち10件にも満たなかったが(笑)。

3)何を売ればいいのか。ターゲットの担当者に会えるようになったら、訪問回数を重ねていく。給食営業の大きな特徴は動かないこと、時間がかかることだ。僕の経験で一発で成約したケースは1件だけだ。面談数が年間200日×5件×10年=10000件だとすると、10,000分の1。平均すると初訪問から3年くらいで成約というケースが多かった。社員食堂の営業はサンプルを持ち歩けない。だからこそこの動かないという特性を活かして、訪問回数を重ねて情報を取りながら、信頼を積み重ねていく。自社での試食会や現状の社員食堂の分析をおこない、関係性を築き上げて勝負のとき(コンペ等)を待つ。

営業はセールスが仕事ではない。コンサル的な立場から働きかけて相手にプラスを与えるのが営業の仕事だ。給食営業なら「あ、この人はウチの食堂を良くしようとしてくれている」と相手に思わせるのが仕事だ。僕は、社員食堂を良くするよう進めていって結果的に自社のサービスをサービスを薦めないこともあった。自社のサービスが相手の利益に合致しないのなら、相手の利益を最優先して、競合他社を紹介するくらいでいいと僕は思う。今でも、過去にそういう対応をしてきたクライアントからの紹介でより大きな仕事をいただくことがある。相手にプラスを与えない仕事でノルマを達成しても、その場かぎりで、その相手から長期的に仕事を得ることはできないだろう。案件を大きく育てていくには捨てることも大事。営業という仕事を続けていくためには継続的に仕事を得られる仕組みを作っていくことが必要だろう。

食堂のコンペがはじまったときに、関係性を築きおえていて、「コンペをやりたいのだが、どうすすめればいいのか?」というふうに、相手から相談を持ちかけるようになっておけば高い確率で契約を取れる。逆にいえば関係性を築けずに後ノリでコンペに参加しても勝率はあがらない。継続的に勝てない。営業は何を売ればいいのか。それは「商品と営業マン自身がアナタの利益に寄与できますよ」というメッセージではないか。

f:id:Delete_All:20191006175938j:plain
給食営業について書いてきたけれど、実のところ、営業の仕事として特別なものは何もない。己を知る。相手を知る。敵を知る。与えられた時間(商品によって違う)を最大限に活かして関係性を築いていく。考えうる最高の準備をしておく。目先の利益にとらわれずに案件を育てて継続的に仕事を得られるようにする。それさえ出来れば売るものは変わっても営業という仕事は出来る。今、僕は食品の営業をやっているけれど、変わったのは成約までの時間と手間だけだ。売るもの、「商品と営業マンがアナタの役に立てますよ」というメッセージであることは何も変わっていない。僕も20年以上営業という仕事に携わるうち、その時々に流行った営業メソッドに走ったこともある。派手で見栄えのするカッコいいメソッドばかりだったが、すべて些末であった。どの業界の営業、もしかしたら営業以外の職種、どんな仕事でも、根底にあるものはもっと地味でシンプルなものなのだ。勝者と敗者をわけるものは、それを愚直に続けられるかどうかなのだ。(所要時間40分)

本を出しました。仕事についても書いてます。

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

妻がカロリーメイトをくれました。

現在2019年10月4日午前11時45分。神奈川県某所にある公園のベンチでこれを書いている。13時の約束に備えて少し早めのランチだ。

f:id:Delete_All:20191004121108j:image

私事で恐縮だがという書き出しをかなり高い頻度で使っているが、今、僕の心にあるのは恐縮ではなく恐怖の2文字。実生活はこづかい減額のため緊縮の2文字。昼食代と酒代を確保するためにSpotifyとダゾーンとAmazonプライムは解約した。「神とロックンロールは死んだ!」と嘆いていたら、今朝、妻が「こづかいを減らしちゃったから」といってカロリーメイトを10箱くれた。ランチの足しにして欲しいとのことだ。そのうち一箱をカバンに入れて、今、食べようと取り出して前立腺まで戦慄している。

f:id:Delete_All:20191004121048j:image

賞味期限19.7.22  本日は19.10.4  古いやん。妻は管理栄養士として働いている。「仕事柄」といって我が家の食材の期限はラベルを貼って管理しているくらいだ。その妻が7月に期限切れしているものを寄越すとはこれいかに。ふざけんな。このやろー。と文句を言うべきだろうが、消費しつくされて面白味のない消費期限と賞味期限の議論に終止するのは目に見えているのでやめる。ただ食品に対しての意識が高いはずの妻がわざわざ期限切れの食品を購入してそれを僕に渡したという事実をあるがままに受け止めたい。そういえば先日、彼女は宗教の勧誘を「私が神です」と宣言して退けていた。すべては神の采配。人間には神が与える役割がある。僕は己に与えられた残飯処理機という役割を果たそうではないか。キゲンギレタベラレルヨー!永遠を生きる神と〆切に終われる我々人間とでは時間のとらえかたが違うのだ。神からは地をはうように生きている人間が口にする賞味期限は見えないのだ。そんなふうに僕は自分に言い聞かせている。そして久しぶりに口にしたカロリーメイトは甘くて美味しかった。(所要時間5分)

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。



逃げ場所のない僕らはポエム化するしかない。

小泉進次郎議員の大臣就任後の発言が「まるでポエム」と批判されている。学生生活の一時期(一週間ほどだが)オスカー・ワイルドを崇拝し、萩原朔太郎さんの「月に吠える」に憧れ、詩人を目指したものの周囲から「ポエムというよりはペテン」と酷評されて挫折した苦い経験を持つ僕からすれば、意図せずとも発言がポエムと認識される小泉議員のナチュラル・ボーン・ポエマーぶりには嫉妬しかない。しかも、いつのまにか脇にはなんとなくクリステル。確かに大臣になってからの議員の一連の発言「気候変動はセクシーに取り組む」「30年後は何歳かな」「私ノドグロ大好きなんですよね」はピントのあっていないものばかりではあるが、これをポエム(詩)と呼ぶのはポエム界を愚弄していると言わざるを得ない。それに今振り返っても議員の「ノドグロ大好き」と僕の「風俗の風が吹いている」にポエムとしての完成度に差があったとは到底思えない。

世間様の小泉議員に対するポエム批判は、僕のポエム愛からの批判とはいささか異なる。「自分は彼が生粋の詩人だと見抜いていましたよ」と後出しで指摘する人をのぞけば「期待していたのに!なんでポエムなんだ」という失望の声が大きいようだ。私は本質を見抜いていた人と仰る人の多くが事後、声をあげるのはどうしてだろう。見抜いていたのなら事前に叫んでほしかった。人間は一方的に期待したり愛情をもったりしてそれが裏切られると「裏切りやがって」「愛していたのに」と勝手に攻撃的になる厄介な生き物である。今回のポエム批判はその構図に僕には思える。大臣のポエム発言の是非は置いておいて、現在の日本社会では、ポエム発言がそれほど特別なものではなくなっている事実に着目したい。身の回りにいないだろうか。前向きだがぼんやりした言葉で煙幕を分厚くはって逃亡をはかるような人間が。一見薄気味悪いほど前向きで良い感じのことをいうので、批判するのを躊躇してしまうのだ。

たとえば我が営業開発会議において案件の進捗を確認すると、何人かは具体的な回答ではなく「仕事というものは人と人とのつながりだと私は思います。ひとつひとつの人間が石となってスクラムを組むように力強い石垣にならないとそのうえにどのような強固な建物をたててもすぐに崩れてしまいます」「結果はおこないのあとについてくる影法師です。光をさえぎる雨雲がさっていけばおのずと影はさしてくると私は思います」といった具合にポエム回答をされるので目まいがする。なんとなくいいことを言っているし、澄んだ目をしているので「もっと簡潔に!」と強い調子で注意することもできず「そっか…人っていいよね…。で、進捗を教えてもらえるかな」と軟着陸させて話を終わらせてしまう。彼らは30代でで小泉議員とほぼ同世代である。彼らがこのようなポエムを垂れ流すのか考えてみると、インターネットやスマホの普及であらゆることが容易に調べられてしまうになったことが原因にあるのではないか。つまりスマホでぴぴぴで簡単に調べられるのになぜ事前に調べないのか?と受ける側がハードルをあげているのでうかつに「わかりません」「知りません」「調べていません」とは言えない汚染された土壌が仕上がっているということ。また事前に調べてあってもとんでもない発言をすればそれが誰であれツイッターに「馬鹿がアホな発言をしていた」と投稿されてネタにされてしまう。それならば適当に無難で前向きなことを言っておこうではないか、という心理になっても不思議はない。

何もいえなくてポエムなのだ。これは「わかりません」がいえない悲劇なのだ。

先ほどの進捗確認でも僕よりも上の世代、60近くの人などは「まだ終わってません」「調べてません」と何の葛藤もなくゲロする。そんなふうに出来ればどれだけ楽だろう。それでも僕は、大臣が「ノドグロ美味しいよね」とポエム回答が出来るくらい平和な世の中であってほしいと祈っている。残念ながら、今は問題が山積みでそんな平和な世の中ではないということ。小泉議員のポエムは、話をはぐらかしているのではなく、人に対して厳しすぎる現代社会が生んだ哀歌なのだ。もちろんポエムな回答のすべてが悪いわけではない。キャバクラでお姉ちゃんに自分の印象を尋ねて「黄昏セクシーだと思います…」というポエミーなことを言われたときすげえ僕は嬉しかったもん。(所要時間22分)

9/27に本が出ました。アマゾン→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。