Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

店で出されたイマイチな料理に「マズい」を連呼する必要ある?

突然ですが皆さんの周りに、店で出された料理をその場で酷評する人っていませんか?僕はその行為がまったく理解できないのだけれども、皆さんはどういうふうに捉えているのだろう。

先日ランチタイムにこんなことがあった。市場調査を理由に部下氏と個人経営の定食屋に入った。席は7割ほど埋まっていた。隅っこの4人掛けテーブルに座る。部下氏はミックスフライ定食、僕は肉野菜炒め定食屋を頼んだ。部下氏が「マヨネーズを別盛りで付けて」とまるで常連客のような気軽さで大将に声をかける姿に、僕は不安を覚えた。料理が出てきて箸をつけてから数分、嫌な予感は当たる。

 「ここマズくないすか?脂っこくて食べられたもんじゃないですよ」と部下氏が大きな声で言ったのだ。小さい店だ。全員に聞こえている。誰も反応しないのがかえって恐い。申し訳ない気持ちになる。僕は仲間と思われたくなかった。「おい。少し声を落とせ。感想も発言も自由だよ。つか今、それ言う必要ある?。しかもそんな大声で」と注意した。バカと言わないように気を付けた。うざすぎるコンプライアンス。ちなみに、当該部下氏は飲食店で「いただきます」「ごちそうさま」をいう僕を「恥ずかしいからやめてください」と笑った部下と同一人物である。

店で「いただきます」を言ったら、部下から「恥ずかしい」と否定された理由が斬新すぎた。 - Everything you've ever Dreamed

 僕の「いただきます」を笑うのは、「考え方の相違」で納得できるが、現場での料理酷評大声拡散は、考え方や見解の違いをこえて悪口や営業妨害につながるから、見過ごせない。誰も幸せにならない。

 部下氏は「代金を払っているから評価する権利はありますよ」と僕にワンダーな理屈をぶつけてきた。終始、声がでかい。「声をさげて。権利の話はしていない。評価するのもかまわない。ただ、この場で口に出す必要はないでしょ」と反論した。その場で評価を口にすることに意義があるんですよ、と聞こえたが相手にするのはやめた。料理に問題があるなら、こっそりとスタッフを呼んでその旨を伝えれば済むはずだ。「味覚は人それぞれだろうよ」と指摘すると「脂の量の多さはわかりますよ」とああ言えば上祐状態。もうだめだ。

 だいたい、店で料理がマズいと騒いで誰が幸せになるというのか。無意味だ。正解はわからない。嘘をついて美味しい美味しいと声をあげるのも変だが、それでも、「ここの飯マズっ!」と大騒ぎするよりは、ずっとマシだろう。言葉を失った僕が沈黙していると、部下氏は「まめな評価活動が、評価経済に繋がります」などとミラクル論理で僕をノックアウト寸前に追い詰めた。彼は、評価は周知することでその評価自体が評価されて価値が高まります、と続けた。評価経済がそんなはた迷惑な概念とは知らなかった。落としどころが見当たらないので、食事を終えると、すぐに店を出た。店内は微妙な雰囲気だった。逃げ出したかった。部下氏はわざわざ頼んだ別盛りのマヨを丸々残していた。そういうとこだぞ…。

 他部署から、悪い人ではないけれど、と前置きして部下氏に対して意見をいただいている。苦情以上クレーム未満の声だ。「距離が近い」「フレンドリーすぎる」「もしかして人の嫌がることがわからない系?」そんな声だ。ご指摘はもっともである。付け加えるのなら、部下氏の行動に悪意がないこと、本人は良いことをやっているつもりでいる。それが問題をややこしいものにしている。善意の悪とでもいえばいいのか。

 僕は、この定食屋での話を営業部のスタッフに話した。「店で出された料理の悪口をそこで大声で言うのおかしいよね」という僕に全員が「おかしいです!」と賛同してくれる…と思ったら、「あまりに酷かったら私も騒ぐかも」「やらないけれど理解はできる」的な意見が出てきて、結果は半々といったところだった。中には「ライバル店でそれをやるのはありかも」みたいな情けない意見も出てきて、悲しい気持ちになった。情けない仕事するなよ…。皆さんの心には何が残りましたか?(所要時間20分)

あおり運転で警察に通報された。

「じゃこの書類にサインして」声の主は総務部長。目の前に「今後は自動車の運転には気を付けます」と書かれた誓約書。サインをすれば、この誓約書はボスに回る。そう思うと気が重くなった。午後5時。逃げ場はない。僕は普段の運転を恥じながらサインした。罪状は、あおり運転。僕は無実だ。なぜこんなことになったのだろう。ボールペンを握る手に力が入った。

午後3時。得意先に向けて営業車を走らせていると電話がかかってきた。総務部長からだ。「今すぐ社に戻ってくれ。理由はあとで話す」声に緊張感があった。コロナ対策の一環で営業部は原則直行直帰となっている。「外回り営業はウイルスを持ち込んでくる可能性が高いから社に寄り付くな」と主張した総務部長直々の呼び出しに、嫌な予感がビンビンした。総務部長は顔をあわせるやいなや、顎で僕を奥にある面談スペース、通称「懺悔室」にうながし、腰をおろすなり「通報を受けたY警察署から連絡があった。あおり運転だ」と告げた。

「ついに部下の誰かがやらかしたか」、僕は天を仰いで、天井に容疑者候補を浮かべていった。「君だよ」総務部長の声。彼は「あおり運転をしたのは君だ」といってメモを出した。僕が使っている営業車のナンバーと車種が走り書きされていた。オーマイガー。間違いなく僕であった。なぜだ。「今日の午後2時過ぎ、Y市のS図書館の近くにいなかったか?」「いました。お客さんとアポがあったので」「そこで君からあおり運転をされたと警察に通報があったらしい」 違う。僕はあおったのではなく、あおられたのだ。

午後2時。営業車を走らせる僕の前で、ジャンパー姿のおっさんがバイクで蛇行運転とポンピングブレーキを繰り返していた。どこに出しても恥ずかしくないほどのあおり運転である。僕は平常心を守るための魔法の言葉をつぶやいてやりすごした。距離を起きたかったが、後ろには湘南乃風メンバーに似た強面がハンドルを握る紫色のミニバンであったため、出来なかった。二車線になった。車線変更をしてオッサンのバイクを一気に抜いた。少し先の信号で止まると、追い付いてきたオッサンが横で意味不明の言葉を叫んでいた。目がやばかったので無視した。ここまでで1~2分間。それだけの出来事。この行為のどこにあおり運転があるというのか。

「それだ!そいつが君から『あおり運転、幅寄せをされた』と警察に通報したらしい」きっつー。逆だ。あおったのではなくあおられたのだ。そもそも幅寄せしていない。警察からは、事件にも事故にもなっていないから、該当者にヒアリングして事実なら注意しておくよう言われたとのこと。「ただ、運が悪いことに」総務部長は嬉しそうに続けた。「私が警察から電話を受けたとき、ちょうど総務部に社長がおられて…」 事実確認後、後で報告に来るように言われたそうだ。警察からの照会。あおり運転。ナンバー一致。心証ワルっ!

「で、実際どうなの?」と総務部長は尋ねると、僕の答えを待たずに、「大ごとにするつもりはないから、誓約書にサインしろ。証拠はないんだろう?」と彼は言った。なげやりでムカついた。お天道様に誓って、僕はあおっていない。何で僕が。証拠さえあれば。あった。「ドラレコがあります」「ドラレコの映像を確認して大丈夫か」「はい?」「大丈夫かっていってんの。あおってなくてもヤバそうな相手に追い抜きをかけていたら、心証悪くなるだけだぞ。それでもいいのか?」

このやりとりのなかで僕はとんでもないことに気づいて「やっぱドラレコはやめておきます。事件にはなっていませんし、僕に落ち度があった気がしてきました。反省します」と引き下がった。総務部長は疑うような眼差しを一瞬僕にむけると「わかった」のひとこと。さすがことなかれ主義の第一人者。

僕はドラレコを確認されたくなかった。社長室で社長と総務部長と僕がいる情景を想像する。しん、として耳がいたくなるような室内に再生されるドラレコ。蛇行運転を繰り返すバイクの映像とそこに重なる僕の声。おまじないの言葉。「綾瀬はるかたんにピー(自主規制)」「深キョンにピピーー(自主規制)」。想像するだけで地獄すぎた。僕は人によってはあおり運転にとらえられかねない荒っぽい運転をしました。自分に嘘をついて、偽りの罪を受け入れた。男には汚名をかぶってでも守らなければならないピーな秘密があるのだ。(所要時間23分)

元給食営業マンが「なぜ新型コロナ感染防止の臨時休校方針で給食食材取扱業者が厳しくなるのか」その背景を簡単に説明してみた。

新型コロナ感染防止のための全国的な休校方針で、学校給食にかかわる業者が悲鳴をあげているというニュースを見た。ざっくりというと給食向けの食材がキャンセルされて困っているという話だ。引用は牛乳だが給食に使う食材はほぼ同じような状況と推測される。

www.agrinews.co.jp

食材ロスの観点からはもちろん業者の死活問題なので、給食以外での活用が望まれるが、なかなかうまくいっていないようだ。その理由として学校給食というボリューム(受け入れ場所がない)、生鮮食品特有のリミット(消費期限)があげられているが、近年の学校給食ならではの「背景」については指摘されていないようだ。そこで、元給食営業マンとして学校給食の営業を担当した経験をもつ僕が、その背景にフォーカスして、なぜ学校給食が厳しいのか解説してみたい。

理由1「地産地消」 なぜ、学校給食用の食材がキャンセルされて困るのか。その理由は簡単で「他の販路を確立していないから」だ。たとえば学校給食専門(または高い比率で取り扱っている)食材業者は、取扱いボリュームもあり、かつ、安定し確実な売上を見込めるために、特に地元の小規模な事業者などは、学校給食以外に販路をつくる必要がなかった。それだけで食べていけるからだ。学校給食用の食材を確保するだけで大変な労力がかかるため、販路を拡販する余裕がなかった可能性もある。学校給食に使用する食材は、大ボリュームかつ安定してオイシイ仕事であるが、今回のように給食が停止してしまうとと、販路がないうえ、そのボリュームゆえ他にもっていきようがない、生鮮食材は工業製品のように急に生産をとめられない、という事態に陥る。これまでの強みが弱みに一転してしまうのだ。

ではなぜ地元の中小規模の事業者が給食食材を取り扱うようになっているのか(大手も取り扱っているけれど)、それは、ここ数年、国が主導してきた給食の地産地消方針が背景にある。地産地消とは地元、地場食材は地場で消費しようという取り組みと考え方である。学校給食にも採りいれられていて、たとえば、「第3次食育推進基本計画」の中では、学校給食での地場産物の使用割合(食材ベース)を、平成32年度までに全国平均で30%以上にするとしている。食育基本法・食育推進基本計画等:農林水産省

実は第2次基本計画の目標も「30%以上」であったのだが、未達だったために第3次計画に目標が繰り越されている(平成24年度から25%前後でほぼ横ばい)。ざっくりいうと国が学校給食で地産地消を推進してきており、その比率は上がっているということ。平成16年度は21%程度なのでその比率は上がっているのは明らかだ。一見すると低い数値に見えるが、それは消費地である東京や大阪を含めての全国平均の数値となっているためであり、生産地では高くなっている。たとえば代表的な生産地である北海道では70%と全国目標の30%を大きく越えている.

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/shs/data/deep/file/H26-6.pdf

地産地消を推進して地場食材を活用するためには、地域にある中小規模の業者を活用せざるをえない(地域振興にもなる)。そしてそれらの業者は先に述べたように、給食だけで食べていけるため、他に販路がなく行き詰まってしまう。大手に比べれば体力もない。今回のような事態になると、在庫の山と廃棄コストを前に悲鳴をあげてしまう。

理由その2「地産地消の解決策」もうひとつ、地産地消を推進するとともに、それがかなわない地域もあるため、「国内生産品」も推奨していることもその背景にある。先の第3次計画では地場産物の使用割合目標とともに国内生産率80%以上を掲げている(現状は77%程度)。ざっくりいうと、地産地消を推進しているが、地域の事情でそれがかなわない場合は、国内生産率を高めていこうという施策を推進してきたということ。

その結果、生産地と呼ばれる地域に対する全国からの学校給食食材の依存が高まり、それに応えようとする生産地にある食材業者は、地域だけでなく全国からの給食に食材提供をおこなうようになっていた。この状況下で、全国の休校要請にともなって給食食材のキャンセルがきたら…残るのは地域で消費できるボリュームをはるかにこえた食材と迫りくる消費期限だけである。

僕がネットでニュースを確認した範囲では、今回の騒動で悲鳴をあげている業者はほぼ生産地の業者だ。いわゆる生産地の、全国からの学校給食を受けている食材業者にとっては、質とボリュームを確保するだけで学校給食以外の販路を開発する余裕もなかったのではないか。限定されたエリアだけの休校措置ならばともかく、全国的な休校措置によって、全国からのキャンセルに対応できないのは、経営努力というレベルを超えた事態であり、悲劇である。もちろん、余ってしまった給食用食材を即売会などで売るという試みも大事であるが、民間だけでなく、施策を進めてきた国も対応するべきだろう。感染者のいない自治体の給食だけは実施するとか、給食をこども食堂的に使うとか、いろいろ出来ることはあるし、こういうときにしか出来ない「食育」を示すのも、大切なことではないかと僕は思うのだ。(所要時間30分)

 

マスク着用を部下に拒否された。

新型コロナウイルス騒動下の営業職の在り方について頭をかかえている。時差出勤やマイカー出勤も認めた。営業部の部下各位に、不要不急の外回りは控えて、とお願いもした。すると誰も外回りに行こうとしなかった。悲しかった。たまたま不要不急であったと信じたい。マスク着用もお願いしたら、それは出来ません、と3名から拒否された。リーダー格は10才以上年上のスタッフで、スポーツジム通いの健康的な肉体が自信ありげで、いかにもウイルスを寄せ付けないような雰囲気を醸し出していた。3名はマスクをしていた。

応接コーナーで言い分を聞くことになった。「私はインフルエンザに感染したことがない」「マスクが予防になるとは思えません」そんなことを言うのではないかと予想した。良く聞く話だ。予測は外れた。「部長、マスクは出来ません」とリーダー氏がいうので「どうして?」と質問すると、他の2名ABから「出来るわけないっす」「それだけは無理ですわ」と答えになってない答えが飛んできた。

「部長、相手に失礼じゃないですか」とリーダー氏は言う。面談している相手がマスクを外しているのに、こちらがマスクを外すわけにはいかない、という理由であった。「会社方針なのでと言えばいいじゃないですか」と僕が言うやいなや「失礼です」「それだけは譲れません」とABブラザーズが畳み掛けてくる。「会社の方針とひとこと断れば、相手も納得すると思いますよ」という僕の言葉に、「部長、いつも相手の立場を考えろと仰っているのと矛盾してますよ」と反論するリーダー。矛盾しているだろうか。重ねるようにABブラザーズが「相手はこちらを信用しているのに」「その信用を裏切れない」。卒業式の呼びかけかよ。「僕たち」「私たちは」「今日!卒業します!」

自分が間違っていることを言っているとは到底思えなかったので、「じゃ、相手がマスクをしていたらどうするの?」と質問をかえた。愚問だった。「部長、それでも私は外します」とリーダー。外すのかよ。理由を聞くまえに「顔を覚えてもらうためです」「営業は顔を売ってナンボです。部長がいつも言っていることじゃないですか」とABから理由が僕へ向かって飛んできた。それからリーダーは、商談前に相手サイドがマスク着用を求めてこないかぎりは、こちらからマスクをすることはありません、と言い切った。

マスクがコロナウイルス予防にどれだけ有効なのか、安全衛生の問題だけじゃないのだ。もし、マスクをしないことで相手が「この営業マン、このご時世にマスクもしないなんて!」という印象を持ったら、営業活動としてマイナスになるから、マスクをして欲しいという話なのだ。僕がマスク着用の意図を伝えるとリーダー氏は、なるほど、というふうに頷き、そして「部長は現場を知らない」と言った。今、何と。年下ダケド上司ハアナタジャナクテボクダヨネ。

動揺する僕に「想像してください、部長。初回訪問、相手が二人、こちらが二人。声もわからない状態で、全員がマスクをしていたら、誰の発言をしているのかわからず、営業活動に支障が出かねません」とリーダーは真顔でいった。真顔で言うようなことだろうか、と思いつつ、スーツ姿の中年のおっさん4人がマスクをつけて静止している姿を想像して笑いそうになってしまう。いやいやいや、そんなことを気にしてはいられない。一応話を聞いたけれど、原則マスク着用で、と僕は押し通した。「部長」というバカにしたような、呆れたような声がマスクの向こうから聞こえた。3人のうち誰の声かは分からなかった。

マスク着用が相手に対して失礼になる、という理屈で異議が出るとは、正直、驚いた。3名から出てきたことには、もっと驚いた。マスク姿の声質の似た3人がバルタン星人の分身の術のように、「今、誰が話しているかわかりますか、部長?」と、言ってきたとき、確かに瞬間的にはわからなかったけどさ~。(所要時間18分)

もう一度、昔のカノジョがつくった料理を食べてみたい。

奥様がつくった生姜焼きは美味しかった。二人だけのダイニング。スヌーピーの丸皿に残った豚肉の脂が虹色に揺れて光っている。いつものように「ごちそうさま」を言ったとき、稲妻に打たれたように、僕は、10年前に食べた生姜焼きを思い出した。当時、付き合いのあった女性がつくってくれた生姜焼きだ。その思い出は僕の心に特濃で刻まれているけれど、その生姜焼きの味は薄味だった。「おばあちゃんのために薄い味付けにしているの」と彼女は笑った。

彼女は病身のおばあちゃん(すでに故人だった)の体を気づかって、味付けを薄くしていた。タレはしょうが多めで、口に残らないさっぱり風。豚肉は、軽く焼いて脂を出したあと、さらにお湯を通して脂を流していた。「薄味でしょ。クセが抜けないの。でも体にはいいはずよ」と彼女は言った。最近、「優しい味」という言葉が安売り大バーゲンされているが、本来、優しい味とはあの生姜焼きのような作り手の優しさの入った味をあらわすものだろう。「おばあちゃん、とても嬉しかったと思うよ」と僕が言ったときの、指で目をこする仕草をした彼女の姿を、今でも僕は、まぶたのウラにはっきりとフルカラーで映し出すことが出来る。

奥様はジャンクな料理と味付けが大好きである。唐揚げ、ハンバーガー、豚骨ラーメンの虜。糖と脂質の守護者。茶色の支配者。奥様のつくる料理はジャンク風のとてもはっきりした味付けになるときがある。きっと前世はアメリカ人だったのだろう。胸やけをおぼえることもあるが、とても美味しい。美味しいものを美味しく食べる教の熱狂的信者である奥様がつくる料理は、ひたすらに情熱的で、血液や血管をドロドロにするのを厭わない脂質と糖質と塩分大正義クッキング。最高だ。奥様のつくるジャンクな生姜焼きと、10年前の彼女がつくってくれた優しい生姜焼き。それぞれに良いところがあって、順位をつけることは出来ない。そこにあるのは違いであって差ではない。決して。

私事になるが、長年にわたる不摂生によって、僕の血圧はかなり高くなっている。2020年2月24日は上160下は105を計測。医者からは「適度な運動!それと食事に気を使いなさい」と言われている。僕が夕食当番のときは、極力油を使わず、味付けも薄くしている。奥様にも「少し料理の味付けを薄くしてほしい」とお願いして、「うん。わかった」と快諾されたが、味が変わったように思えない。悪いのは僕だ。きっと、長年の不摂生で舌が馬鹿になっているのだろう。奥様は三大成人病待ったなしの僕を気づかって「万が一のときは生命保険があるよね。成人病でもお金出るよね」と明るく振舞ってくれている。本当に感謝しかない。

それでも、奥様を裏切っている後ろめたさを覚えながら、僕は、脂の浮いた丸皿の前で、十年前の彼女がつくってくれた、あの優しい生姜焼きを思い出してしまう。もう二度と戻れない日々とともに思い出してしまう。今の生活に不満がないわけではないけれども、10年前の優しい生姜焼きから、ずいぶんと遠い場所へ来てしまったと愕然とする。なんだか、信じられない。10年前、僕に優しい生姜焼きを食べさせてくれた彼女は今、僕の奥様になっている。本当にいろいろと信じられないよ。(所要時間18分)