Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

夏に揺れる。

駐車場でときどき見かける、オバハン運転の高級外車の危なっかしい運転にムカつきながらやってきた、いつものスーパーの夏野菜コーナー。特売を報せるアナウンス。キンキンに効いたエアコン。入り口のドアが開くたびに侵入してくる猛烈な熱気。目の前にはナス、トウモロコシ、トマトが信号機のような色合いで並んでいる。

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僕の傍らにいた1人の女性がキュウリを手に取った。僕と同じ年代だが、ノースリーブの白く細い腕とたくましいキュウリのコンビが妙にエロティック。僕の視線は、甘い蜜をみつけたアリになって白い腕を舐めるようにはい登る。そして白い腕を持つ女性と目があってしまう。僕は彼女を知っていた。彼女の目も僕を補足していた。その目はあの夏の日と同様に、僕を睨みつけていた。

1994年、大学3年の夏休み。僕は隣町の山の上にあるゴルフ場のレストランでアルバイトをしていた。自転車で山道を登って通うのは一苦労だったけれども、仕事自体は楽勝だったし、時給もよく(900円だった)、何より綺麗な女の子が何人か働いていたので、ペダルの重さと筋肉痛は気にならなかった。注文を取り、料理や飲み物を運び、空いた食器をさげて、洗う。ゴルフを終えたあとの気持ちのいい一杯でほろ酔いのおじさんへの愛想笑いとお世辞。仕事はそれだけだった。

そのレストランは空き時間が多く、客の迷惑にならないかぎりという条件つきで比較的自由にその時間を使うことが許されていた。僕はテラスにある青と白のパラソルの下にある丸いテーブルでアイスコーヒーを飲みながら本を読んだり、大学のレポートを書いたりして過ごした。遠くでセミが鳴くのを聞きながら隠れて飲む生ビールは最高だった。

ゴルフ場には真っ白なプールがあった。晴れた日は水面が空を映して青く光った。そこだけがまるで「マイアミ・バイス」。外国のようだった。プールには監視員が何人かいた。全員、夏限定の学生アルバイト。サングラスをかけて脇のベンチからプールを見守るのだ。そのなかに彼女はいた。濃紺の水着と上にはおった白いシャツでは隠しきれない大きな胸と細く長い足。監視員の連中は日焼けしていたが、どういうわけか彼女だけは真っ白だった。

休憩時間に、運よく、彼女の白く長い足を見つければ、僕はパブロフの犬のごとく彼女を眺めつづけた。ヨダレも出ていたかもしれない。僕は彼女の胸の奴隷だった。足や尻の下僕にもなった。顔の向きは変えず、アイスコーヒーのかげから眼球だけでロックオン。あの水着の胸の部分を膨張させている白い力の源を想像しては、パラソルの下で足を組み替えた。客がいないプールで彼女はときどき泳いでいた。仰向けに手を横に、目をつぶり、十字架になって浮かんでいる彼女をみて、僕は「ジーザス」と何度も心の中でつぶやいた。

僕の覗き見は彼女に気付かれていた。何度か目があったことがある。彼女は一瞬睨みつけると、決まって、プールの水面へ目線を移した。それから、そこに何かがあるかのように見つめていた。僕の視線なんて気にしていないようだった。眩しさのなかにいる彼女には、影のなかにいた僕は見えなかったのだろう。

8月。激しい夕立が降った日、アルバイトを切り上げた僕はゴルフ場のレストハウスの前で、彼女と一緒になった。帰りが一緒になるのはそれがはじめてだった。Tシャツとジーンズの彼女は僕の姿を認めると近づいてきて「雨止まないね。どうするの?」と言った。今思い出してもどんな言葉を返せばよかったのかわからない。僕は「自転車を置いていけないから」と言った。いつも水着の彼女が、僕に話かけているときだけ服を着ていることにわずかな苛立ちを覚えていた。

僕が駐輪場から自転車をレストハウスの前にあるロータリーに持ってきたとき、ちょうど彼女は国産のスポーツカーの助手席に乗り込んでいるところだった。運転席には40歳くらいの中年男性がハンドルを握っていた。いけすかない派手なシャツにサングラスをかけていた。父親だ。父と娘。二人を乗せたスポーツカーは走り去った。彼女は何もない水面を見つめているときと同じ顔をしていた。

僕が父親だと思っていた男は、彼女の彼氏だとアルバイトの同僚から教えられた。彼女のもうひとつのアルバイト先の経営者で、既婚者という情報もあれば、すでに離婚しているという者もいた。全員が遊ばれているだけ、すぐに捨てられると言っていた。どうでもよかった。20歳前後の僕にとって、既に彼女が僕とは違う世界の住民であることがすべてだった。

僕は夏が終わるまで彼女の水着姿を見つめ続けた。あの男とのエロティックな姿を想像しては足を組み替えた。ときどき、男のスポーツカーに乗り込む彼女も見かけた。プールにいるときあれだけエロティックに見えた彼女の白い腕が、幽霊のように儚く今にも消えてしまいそうに見えた。僕は次の年の夏もそのゴルフ場で働いたけれど、彼女は現れなかった。

あれから25年経って、今僕らはスーパーの野菜売り場にいる。麻色のノースリーブから伸びる白い手も、僕を虜にした大きな胸も、あの頃のまま。そして僕を睨むようなあの目はあの頃と同じだった。だが声は掛けられなかった。「あいつとはどうなったの?」「大学は無事に卒業できたの?」聞きたいことは山ほどあった。だが、胸を眺めていただけの覗きマンの僕にそれを聞く権利はないように思えた。

何より彼女が僕のことを覚えていないような予感がして、その予感が僕にブレーキをかけた。マスクをしているからなおさらだ。試しに僕は彼女の目線の先にまわってマスクをズラして笑ってみた。彼女は「中年のオッサンがマスクを外し笑っている。キモいヤバいアブない」と危険信号を点滅させるような不審な表情を浮かべただけであった。彼女の中に僕はもういなかった。寂しかった。気が付くと彼女の姿は消えていた。あとには特売のアナウンスとカラフルな夏野菜だけが残った。

 僕はスーパーを出て駐車場へ向かった。さっき引かれそうになったオバハンの銀色の高級外車が出ていくところだった。ハンドルを握っているのは、彼女だった。マスクを外した彼女の頬には、年齢相応のほうれい線が刻まれていた。これまで何回も見ていたはずだが、彼女の目と胸しか観ていない僕には、年齢を刻んだ彼女を彼女と認識することができなかったのだ。マスクは魔法だった。マスクで目もとしか見えなかったからこそ、僕は彼女をあの頃の彼女だと認識することができたのだ。

目の前を彼女の車が通り過ぎていく。助手席には派手なシャツを着た初老の男がいた。間違いなくあの男だった。薄くなった髪を精いっぱい整髪料で後ろに向けてかためていたが、彼女を迎えに来ていたスポーツカーの男だった。あの頃の僕らが終わってしまうと決めつけていた彼女たちはまだ続いていた。年齢差は変わらないが、お似合いのふたりになっていた。遠ざかっていく銀色の車に太陽の光が跳ねていて眩しさのあまり目をとじる。二人にはこのまま走ってほしいと心から願った。

そして気づいた。あの頃、彼女だけが眩いばかりに輝いていたのではなく、僕も同じように眩しい光の中にいたのだ。目をあけると二人の車は視界から消え去っていた。僕は助手席に買い物を放りこんでからエンジンをかけてあの頃よく聞いたロックをかけた。おなじロックでも1994年の僕と2020年の僕では同じようには響かない。それでいい。そのときどきの今を生きるしか僕らには出来ないのだから。(所要時間46分)

死について考えている。

先月、俳優の三浦春馬さんが亡くなられてから、ずっと、死について考えている。特別、三浦さんのファンでもないのに、時間があると、つい、彼のことを検索してしまっている。検索できるかぎりの動画やインスタは全部見たはずだ。理由ははっきりしている。当初報じられていた彼の死にかたが、20数年前の父のそれと酷似していたからだ。報道を信じるなら、そのまま、と言ってもいい。おそらく、「そこ」に至るまでのルートは人それぞれだが、決めてしまったあとのルートは、作業的になってしまうのだろう。スターであれ、庶民であれ。10代の終わりに父を亡くしたとき、死と自らそこへ向かう心理については散々考えて僕なりに結論を出している。「人の気持ちはブラックボックス」というのが僕の辿り着いた結論だ。人の気持ちはブラックボックスで、それがどういうものなのか推測はできるけれども、中身を知ることは出来ないのだ。遺書があったとしても、そこに書かれているものが本音かどうか本人以外には確認するすべがない。だから、多くの自死の知らせに際しても、「ブラックボックスの中身はわからない」という哀しみと諦めに似た感情が沸き起こって、その死にとらわれない心理的な距離を置くことが出来ていた。そうやって処理しないように、外に置いておくように、対応することで、自分自身を守っていたのだ。今、振り返ってみると、父の死で、いちばんつらかったのは、死そのものではなくて、死のハードルが低くなってしまったことだ。土曜日の朝、焼き魚を食べていた人が、昼間に散歩に出かけるように、ふっと消えてしまう。その身近さと呆気なさに、それまでずっと高い、手の届かない高さにあったハードルが、自分の腰くらいの高さまで下りてきたような気がはっきりとしたのだ。父の葬儀葬式のあと、祖父から「上を向け」「空を見上げろ」と言われた。そのときは、涙もながれていないのに、空に父がいるわけでもないのに、なぜ上を向けなければならないのかイマイチわからなかった。センチメンタルすぎやしないかとバカにしたくらいだ。だが、今はわかる。祖父は低くなってしまったハードルに目を向けないように教えてくれていたのだと。父の死後、そのハードルは低いままだ。下がってしまったハードルが上がることはないのだろう。何かの拍子。わずかなきっかけ。きまぐれ。そんなものでふと越えられてしまう高さにそれはあり続けている。いつでも越えられる、越えてはいけないものという存在が背中に貼りついたままなのは、若い頃は苦しくてしかたなかったが、今は、「いつでも越えられるもの=つまらないもの」として、うまく付き合っている。いいかえれば、越えてはいけないハードルのかわりに越えなければならない別のハードルを見つけて越えてきたのがこれまでの僕の生き方だった。強力な兵器で平和のバランスが守られているような感じだ。そのバランスが、三浦さんの死のありようについての報道で崩れてしまった。彼の決めてしまったあとの父と酷似したルートを報道で知教えられて、父の死がほぼ完全なかたちで再現され、ハードルは一段階低くなってしまった。今、僕はそのハードルを越えないために、別のハードルを探しているところだ。高くて厳しいものがいい。集中力が求められて気が紛れるから。これは僕の戦争で、僕ひとりが戦えばいいだけのこと。だが、自死の報道は慎重にやってもらいたい。詳細はいらない。死はそれ以上でもそれ以下でもない。死んでしまった人がブラックボックスであるように、その死のありさまもブラックボックスのままにしてほしい。人を引き寄せるためのショッキングな詳細や憶測はいらない。マジで。死のハードルは誰にでもある。その高さが違うだけで、危ういバランスのもとで生きている。その危うさのもとで今生きているから、生きるというのは素晴らしく価値があるのだと僕は思っている。(所要時間22分)

かつて「必要悪」を自称した元同僚が面倒くさすぎる客としてあらわれて心が死にました。

去る7月30日の朝、何の前触れもなく突然、目の前に地獄の門がひらかれて死んだ。前の職場を自己都合で辞めてから流浪の人生を送っているはずの、5年ほど音信不通であった「ゆとり世代」の元同僚くん(通称「必要悪君」)が、客として僕の前に現れたのだ。それ以来頭痛と目まいに悩まされている。回避する術はなかった。というのも彼はメールで商談していた相手の同行者としてあらわれたからだ。メールの「当日は私の上司が一名同行する予定です」という一文が地獄の門をひらく呪文と見抜ける人はいないだろう。

「よっ!」と軽い感じに手をあげる元同僚くん。動揺を見せないように「お、久しぶりじゃん。このご時世なのでマスクのままで失礼するよ。換気のために窓は開けさせてもらうから」と面談ルームへうながし、名刺交換。元同僚くんは競合他社の営業主任になっていた。珍獣を雇用する余裕のある会社なのだろう。「お久しぶりです。課長。今日は後輩のサポートでやってきました」と元同僚君は僕の名刺に視線を落としてから言った。「いちおう部長なんだけど」と注意したら「俺にとって課長は永遠に課長ですから」と言われた。

「用件は?」「一緒に戦った仲なのにいきなりビジネスの話ですか?」対決した記憶はあるが共闘した記憶はない。異なる世界線を生きているようだ。「商談しようよ」という僕の懇願を無視して「あれから大変だったんですよ。子どもが生まれて、親とはじめた事業もうまくいかなくて…」を身の上話をはじめようとする彼。あれから何年たったのだろう。8年?僕が海の家で働かされたり、駐車場の切符切りのアルバイトをしたり、ツライ時代を過ごしたように、彼にもつらい時代はあった。興味はないが話を聞いてあげるポーズをして差し上げるのが武士の情けというものだろう。

慈悲の心から「親御さんとの会社どうなったの?」と質問すると「相変わらずの昭和サラリーマン意識ですね。個人情報に対する意識が低すぎます。課長」と言い返された。想定外すぎてビビる。今、なんと?戸惑う僕に「課長には少し世話になったので忠告しますが、それ以上の詮索は個人情報になるからアウトですよ?」と彼は言った。あームカつく。「じゃあいいや」という僕を無視して彼は「少しだけ情報を開示させていただきますが、カンパニービジネスとファミリービジネスの二刀流は能力があっても難しいんすよ。メジャーの大谷君も能力があるから二刀流を無理強いさせられてますが、残念ながら今季はバッターに絞っていますからね。能力があるがゆえの悲劇ですよ」とワンダーな理論を述べた。彼の戯言が僕の脳みそを融解しているのがリアルタイムでわかった。質問した僕がバカだった。

やられたらやりかえす。僕は、「貴様の話にはメモする価値もない」という態度を表明する対営業マン専用必殺技/手帳パタン閉じを繰り出した。これを喰らった営業マンはだいたい「ああ…」と軽く絶望した表情を浮かべるはずだが、元同僚君は「じゃあ商談はじめますよ~」と何事もないように話をすすめた。手帳パタンは相手にその行為の意味を理解できる程度の知性が必要な技であった。

セールストークは元同僚くんの後輩がおこなった。極めて普通のセールストークであった。元同僚くんはサポート役のはずなのに、後輩くんの話の終始スマホをいじっていて、話が終わると「ぶっちゃけそんな話です」と付け加えただけであった。そしてなぜか自信ありげに「こうして課長と、客として再会できるなんてマジで奇跡ですよね。この奇跡を大事にするべきだと思いませんか?」とキテレツなことを言うので、たまらず「客、客言ってるけどさ、セールスを受けている客は僕なんだけど」と話を遮ると、彼は外人のように両の手の平を天に向け、それから「課長…。そうやって売る側と買う側という固定概念にとらわれるのは平成で終わりにしませんか。そんな意識では中国に追いつかれますよ。今は売ると買うがシームレスかつプライスレスに動いていくのがグローバルスタンダードですよ」と意味不明なことを言った。うなずく後輩君。こいつら大丈夫か。

気を取り直して僕は彼らの提案を冷静かつ瞬間的に分析した。そして却下した。なぜなら提案の内容が、競合他社にもろ競合する商品を高く売りつけるというものだったからである。アホなのだろうか。ウチにメリットがまったくない。無下に却下するのも哀れなので、提案の真意を訊いた。驚くべきものだった。元同僚くんの奇天烈な日本語を解釈すると、競合する商品を高く売ることによって利益を見込めると同時に競合他社にダメージを与えられるというものであり、やはりウチの会社にはメリットがなかった。元同僚君は二重に勝つという意味で「win-winです」と胸を張っていた。いつか恥をかいて滅亡してほしいので「それいいね」とだけ言っておいた。

提案を却下すると、元同僚くんは「おい信じられるか?」とでも言うように後輩君の肩をたたいた。猪木のように顎を突き出してそれに応える後輩くん。世界一ウゼえバディ関係がそこにあった。機会損失ガー、新型コロナで苦しんでいる今こそ共存共栄ガー、などとあーだこーだうるさいのでいい加減頭にきて、ハラスメントにならないよう配慮しながら、「馬鹿も休み休み言え」と丁寧に言ったら、根は良い奴なのだろうね、彼は「高く、、」「売れば、、」「儲かる、、」とバカのように休みを入れながら従来の主張を繰り返した。

元同僚くんは「多少強引な手をつかってでもキーパーソンと会う、手ごわい相手には手数をかける、商売相手の役職は間違わないようにする。全部、課長が教えてくれたことです」と僕に訴えた。確かにそのとおり。「実践できていると思うか?」とかつての教育担当の名残で問いかけると「おおむね出来ていると思います。誤算は課長がキーパーソンではないことだけでした」と手数もかけずに役職もあやまったまま、失礼きわまりないことを彼は言った。

元同僚君は「実はもうひとつセールスしたいものがあります」と切りだした。もういい。心の底から帰ってくれと思った。すると後輩君が元同僚くんに「主任。時間です。これ以上は濃厚接触になってしまいます。感染します」と話を打ちきってくれた。ありがとう後輩君。少々、失礼な言いかただが帰ってくれるならこんなに嬉しいことはない。「濃厚接触を避けるのはこれからのビジネススタンダードだからね。今日はこれで帰りなさいよ」と僕は帰るよう促した。元同僚君は商談を続けたい様子であった…。そのときである!

3人のスマホとガラケーがけたたましく鳴った。緊急地震速報。房総沖を震源地とする地震が発生して数秒後に震度5の揺れが襲来するとのこと。こんなアホたちと被災したくない。同じデスクの下に非難したくない。。嫌だ。と思っていたが、いつになっても揺れない。結局数分経っても揺れなかった(のちに誤報だと判明)。「さあ、どーぞどーぞ」と帰るよううながすと元同僚君は悟ったような表情で「いつ大地震がやってくるかわからないすから、今できる商談はその日のうちに」と言ってまだ商談を続ける姿勢になっていた。帰るムードが完全にリセットされていた。

その後に展開された話は僕の人生にとって最悪な商談のひとつであったが、それはまた次の機会にしたい。最後に、「なんで僕につきまとうのか」という僕の問いかけに対する彼の回答をここに記して結びの言葉としたい。

 

「まだ気づいていないのですか。課長は、俺にとっての必要悪なんですよ?」まさか僕自身が必要悪にされているなんて…。(つづく)

(所要時間60分)

 

突然アシュラマンのごとく

生き馬の目を抜くような会社で生き残るためには、成果を出すのはもちろんのこと、状況に応じてアシュラマンのように「顔」を切り替えていかなければならない。笑っていいときと笑ってはいけないときの見極めを誤るだけで出世コースから外れることもある。社内でオッサンが仏頂面になっているのは、仕事に集中しているのではなく、顔の選択をしくじらないための自己保身に他ならない。

先日、上層部の1人に呼び出された。「急遽2週間ほど入院するので後は頼む」と言われた。後は頼む、と言われたが、引き継ぐ業務はなかった。65才の彼は、社内ナンバー3である。業務全体を統括する立場にあるが、統括をしている様子はないので、名誉職なのだろう。

3番目の男が入院してから社長出席の部門長クラスの会議がおこなわれた。いつもなら「はじめてくれ」と切り出す社長が「ちょっと皆に話がある」と話しはじめた。真剣な表情。僕は「話を聞いています」という顔を選ぶ。話は衝撃的なものだった。社長はその席にいない3番目の男を指して「今、入院している彼だけど会社にいる?どう思う?皆の率直な意見を聞かせてほしい」と言った。瞬間、「あとは頼む」といった後に「特にないと思うが」と続けた3番目の男の顔が浮かんだ。旦那、特大のがありましたよ。きっつ…。

社長が指名した順に意見を述べていく。役職が上のものから下のものへ。在籍年数が長いものから短いものへ。最後は僕だ。皆、その場を生き残るために、ふさわしい顔を探している哀れなアシュラマンだった。「彼はまだ会社に必要な人間です」「何の仕事をしているのか正直わかりません」「私の業務とは関係がありません」。3番目の男に近い者もそうでない者も、皆、社長の真意を探りながら言葉と顔を選んでいた。僕の番が来た。「彼がいなくなっても、まわるような体制をつくっていく必要はあると思います」と無難に答えた。表情に出さないように淡々と。それぞれの立場に応じた無難な意見を述べることが、僕らが見つけた処世術だった。

社長は「なるほど皆の意見は参考にさせてもらう」と感謝を述べると、「彼には退いてもらおうと考えている」と続けて、僕らの意見を参考にする意志がないことを示した。露骨な踏み絵だ。社長は、後釜を外部から連れてくること、3番目には今のポジションを外れてもらうこと、を決定事項として告げた。理由は業務怠慢と体調不良。「そのほうが彼もいいだろう」と社長は言った。笑っていた。3番目に近い者たちが、こんなときどんな顔をすればいのかわからない、という顔をしていた。笑えばいい。笑うしかない。僕は笑った。笑えないけれど笑った。ゴッド・ファーザーに逆らったら消されてしまうのだ。当惑する僕らをよそに、ボスは「じゃあ会議を始めよう」と何事もなかったのように言った

帰る際、たまたま社長とエレベーターで一緒になった。社長は「ああいう連中は好きじゃない」と言った。社長は先代の時代から会社にいる上層部の連中には手を焼いているのは僕も知っていた。ふと、社長の顔が気になった。目を閉じていたが険しい顔だった。この人も僕と同じようにアシュラマンだと僕は思い知らされた。生き残るために顔を選んでいるのだ。エレベーターが1Fに到着。「開」のボタンを押して社長をうながす。社長はドアから出る際に、「だが、彼らを処分するようなことはしない。キミも次は曖昧な態度はやめるんだ」と言った。見抜かれていた。次があるなら顔を決めなければならない。さもなければ3番目と同じ運命が待っている。「お疲れ様でした」といったとき、自分がどんな顔をしたのか思い出せない。大事なのは、肝心なときに自分の顔を決めることであって、その顔が正しいか間違っているのかは、些末なことなのだ。(所要時間21分)

「悪気はなかった」で全部許されると思わないでくれ。

トラブルの内容については社外秘なので差し控えさせていただくが致命的なものから些細なものまであらゆるトラブルを定期的に起こす人がいて周りにいる同僚各位が疲弊している。彼の人は「悪気はなかった」と言い訳するが、それが問題をややこしいものにしていた。繰り返されるワルギハナカッターが、周りの怒り爆発のトリガーになっていた。その様子を見ていて「直接、本人に注意すればいいじゃないか」と助言したら、どーぞどーぞ、そこまで言うなら言ってください、と背中を押されて、僕が注意することになってしまった。 

僕はトラブルマンに声をかけて時間をもらい注意した。もう少し慎重にことにあたったほうがよいのではないか、と。「注意はしていますが…ミスのない人はいませんよね?」と彼は反論してきた。「ミスのない人はいない」「じゃ、悪気はないのだからいいじゃないですか」出た!悪気ナッシング。「悪気の有無の話はやめたほうがいいのではないかな」「なぜですか?」「悪気がないと言われ続けると、惰性で言っているだけなんじゃないかと人は思うんだよ」「本当に悪気はないんです」だーかーらー。それがトリガーになっているんだっつーの。僕は言った。「なかったのは悪気ではなく相手への配慮では。悪気はなくて当たり前。もし悪気があってやっていたら君はテロリストじゃないか」トラブルマンは完全に沈黙した。「なかったのは知性と常識」まで言ったら人工呼吸が必要だったかもしれない。

彼のように悪気がないといえば許されると考えている人は多い。だが、悪気の有無をはじめ、人の心はわからない。だから僕らはそれらを結果と行動から推しはかり、推しはかられる。そもそも、悪気がないといえば免責されるという考えは甘えだと僕は思う。「とりあえず悪気がないといって謝るのはヤメなさい」と僕は彼にいった。「確かに部長の言われるとおりですね」彼は納得した様子であった。 

数日後、その納得はちがう意味であったことを思い知らされて僕は死んだ。トラブルマンがまたミスをおかした。〆切勘違いという致命的なミスだ。周りから注意されても「謝っても問題は解決しません。まずはこの問題を解決する方法について皆で話合いましょう」という彼と、フザケンナヨーという雰囲気の周囲とで険悪なムードになっていた。彼は僕の教えたとおり、「悪気はなかった」とは言ってなかった。そして僕が教えたとおり謝るのをヤメていた。ちーがーうーだーろーこのハゲ―!と一喝したくなる気持ちを僕はおさえて、仲裁して、その場をおさめた。

僕はトラブルマンを呼び出して「大の大人に何回も言いたくないけれど、もうすこし周りに配慮してよ」と注文を入れた。「私なりに気をつけているつもりです。私からもいいですか?」「何に対して?」「部長に対してです」なんとー。「聞こうじゃないか」余裕を見せる。「配慮と仰いますが、先日の私に対するテロリスト呼ばわりは言い過ぎではありませんか?少なくとも配慮に欠けていると思います」確かにそうだ。テロリストはバイオレンス。意地の悪い言いかたで、配慮に欠けていると指摘されてもしかたない。反省。猛省。「確かにテロリストという喩えはよくなかった。謝ります」僕は言った。「私はテロリストのように無差別に民衆をキズつけません。被害は一部の社員に絞られますからね」そこかよ…。「それから部長」「何」「部長は悪気はないというなと仰りますが、部長も私を注意するとき必ず《悪気はないけど》と言ってますよ?」嘘…

 数日の自分の発言を振り返った。「もう少し慎重にことにあたったほうがよいのでは。《誤解のないように言っておくけど悪気はないからね》」「君はテロリストじゃないか。わかってると思うけど《悪気があって言っているわけじゃないよ》」「大の大人に何回も言いたくないけれど、もうすこし配慮してよ。《これは悪気があって言っているわけじゃないからね》」「確かにテロリストはよくなかった。謝ります。《この発言も悪気はなかったんだ》」…確かに言っていた。僕らは《悪気はなかった》といえば多少キツいことを言っても許される…そんな症候群を患っている。

「部長も気を付けてくださいね。これは悪気があって言っているんじゃありませんよ。心配からです」とトラブルマンは言った。正論だけど何かムカついた。それは、彼の言葉に、強い復讐心と、悪意の存在しか感じなかったからだ。(所要時間24分)