Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ツブれない個人経営飲食店のリアル

僕は食品会社の営業マン。僕の営業先という狭い観測範囲になってしまうけれども、新型コロナ(COVID‐19)の感染拡大の影響で、つぶれてしまう個人経営飲食店とそうでない店の違いが見えてきた。従来、個人経営の飲食店にアプローチするときは、営業マンというよりは飲食店のコンサル的な立場を取ってきた。店舗経営にアドバイスをして、経営を安定させたうえで商品を買ってもらうという流れをつくるためだ。なぜならおっちゃんおばちゃんがやっている家族経営の《ちゃんちゃん食堂》は良い意味でも悪い意味でもアバウトに経営しておられていて、取引するにはリスクは高いからだ。ビジネス面だけではない。個人的に僕はそういうお店が大好きで、なくなってしまうと寂しいので助言している。歯がゆいのだ。せっかく美味しいものを出しているのに不安定な経営が原因で商売をやめてしまうのは。

f:id:Delete_All:20200925114020j:image

※画像はイメージです。

「美味しい料理を出しているのだから、利益出しましょうよ」「食中毒を出さないように安全衛生だけはしっかりやりましょう」「休みはちゃんと取らなきゃ。パートスタッフを雇いましょう。紹介しますよ」といって経営、安全衛生、労務管理について、いくつかの店に助言した。驚いたのは、個人経営の飲食店の、比較的高齢のご夫婦がやられているようなお店の多くは、朝から晩までの長時間労働もさることながら、店の運転資金と自分たちの生活費を確保するだけで、自分たちのまともな給料や利益を確保していなかった。意識すらないのだ。僕が指摘すると彼らの答えは決まってこうだった。「お客が離れるから値段はあげられない」「生活ができればそれでいい」。

僕は、時間をかけて 説得と、会社としてのサポートを約束して、そういった個人経営の飲食店を「まともな経営」に近づけるお手伝いをしてきた。健康と、老後の蓄えを残しつつ出来るだけ商売をやってもらいたいという個人的な願望と、経営を安定させる飲食店に商品を継続して買ってもらうというビジネス面を両立していたと自負している。もちろん、僕のやり方が個人経営店の問題のすべてを解決できるとは思っていない。特に、多くの店が抱える後継者問題はプライベートに係る要素が大きいこともあって解決策が見いだせていない(人は紹介できるけれども)。実際、「ウチはウチのやり方がある」といって頑なに前時代的なやり方を続けるお店もあった。

店舗のリニューアル、厨房機器の刷新、新店舗オープンといった投資と労務管理や安全衛生といった問題を解決して、利益の出るようなメニュー構成や価格設定。そういった小さな改革でまともな経営に近づけていくことが出来ていた。順調だった。ところが。新型コロナ(COVID-19)の感染拡大で彼ら個人経営の飲食店の業績(売上)は急降下してしまった。テイクアウト導入の手伝いをしたけれども、業績を改善させる決め手にはならなかった。残念ながら、僕が手掛けた個人経営店のいくつかは商売をやめてしまった。主原因は売上の激減だけれども、投資と家族以外の人材を抱えて労務費が増えてしまったことが足かせになってしまった。コンサル的な立場で助言してすすめてきたことが仇になってしまった。

一方で、僕の観測範囲内の個人経営の飲食店でつぶれていない店もあった。それは頑なにやり方を変えなかった店だ。つまりオッチャンオバちゃん二人でやっているような《ちゃんちゃん食堂》だ。僕の知るかぎりではこの感染拡大で商売をやめた《ちゃんちゃん食堂》はいまのところない。自転車操業、自宅を兼ねた店(家賃がかからない)、朝から晩まで立ちっぱなしの長時間労働、2人分の最低限の生活費を稼ぐだけ、投資も備えもなし。経営とはいえないような経営だ。だが、最低限度の売上さえ確保すれば、いや売上がなくても貯金を崩せば店は開けられる。「お金にはならないがなんとかなる」「借金しても死んでしまえば帳消し」というオヤジさんたちの無駄に強い言葉を前にすると、「ちゃんとした経営をしましょう」「強い体質を作りましょう」と言いながら、商売をやめてしまう店主たちの助けになれなかったのが情けなくなるばかりだった。

ビジネスとしてやっていこうとマトモにやりはじめた店がそれゆえに「これ以上はビジネスとしてやっていけないよ」という判断をして商売をやめてしまい、その一方で、ビジネスとしては成り立っていない店が成り立っていないがゆえに厳しい局面を乗り切ってしまう。感染症による売上減というどうしようもない要因はあるけれども、会社的な経営が足を引っ張ってしまったのは受け入れなければならない。僕がやってきたことはなんだったのだろう、きっつー、と僕が途方に暮れている今も、《ちゃんちゃん食堂》は今日もバカパワーで暖簾をあげている。強い。(所要時間30分)

すべての家事を引き受けたら価値観が一変した。

f:id:Delete_All:20200923184324j:image

1000万か2000万か…具体的な金額は忘れてしまったけれども数年前に主婦のこなす家事を労働ととらえて金額換算すると大きな金額になるという記事があって、当時、ほぼすべての家事をこなしていた妻から「女性は搾取されている。差別よ。キミは無意識で搾取している。つまりキミはその金額だけ得をしている。本来その額を頂戴しなければならないが私は人格者なのでそんな野暮なことはしない」といわれ、それを理由に一方的に無関係なこづかいを減らされるなど謎のマウンティングポジションから殴られ続けた屈辱を、夫婦平等の旗のもとに家事を分担するようになった今でも僕は忘れてはいない。

僕は明治生まれの祖父の影響で《俺より先に寝てはいけない》といった比較的古い価値観を持っていると自覚している。だから家事をやっているときもゲーム感覚で楽しめているときはいいのだが、ふと、便器の前で冷静になってみるとこれが本当に1000万の仕事なのか、いいがかりではないのか、と疑念グルグル状態になってしまうこともしばしばあった。すべての家事を受け持ったら、家事とその換算額が正当なものかわかるはず。その結論に至るのは早かったが、仕事に加えて家事を全面的に受けてしまったら負担が増になるのは目に見えていたので二の足を踏んでいた。家事をこなせなかったら「それみたことか大変でしょ」と換算額はより大きなものになり「キミはその分だけ得をしているのだ」と妻に嘲笑され、家事をこなせてしまったら「仕事をやりながら出来るのなら死ぬまでキミが全部やればいい」と妻に宣言される。僕にメリットはなかった。

「墓に入るまでとか勘弁…なんとか期間限定で家事を任せてもらえないだろうか…」とチャンスをうかがっていたら、人間は想像したことは実現する、逆にいえば想像していないことは実現できないというのはホントだね、ホワイトな会社から9月中に夏休みを取らないとペナルティを課すといわれて連休もあわせて大型連休(9/12~22 9/14朝だけ仕事)を取ることになった。僕は、この大型連休のあいだ、すべての家事を引き受けることにした。早起きして弁当をつくり、出勤する妻を送り出し、日中、炊事掃除洗濯買い物をこなして、妻の帰宅を待つという生活。妻の衣服を僕のものと一緒に洗濯したこと、在庫が少なくなっていた生理用ナプキンを尿漏れパッドのかわりに使わせていただいたことがバレたときは「相手のことを考えて真面目に家事をやれ」と命の危険を感じるほど詰められたが、全般的にはよく出来たと自負している。ただ、「使った分のナプキンはドラッグストアで買って補充しておいたよ~銘柄も同じだよ~」という僕の言葉が妻の怒りの炎に油を注いだことだけは理解できない。要領よくやれば趣味の時間や昼寝時間も確保できたけれども、10日間でシュフな人たちの大変さはよーくわかった。「これは1000万の仕事だ。シュフは大変だ」とひとことで言ってしまうのは簡単だけれども、僕は心身でその大変さを理解できた。

9月22日、昨日で家事全部やる期間は終わった。妻に「家事の大変さがわかった。これを毎日やるのはキツイ。主婦をやっている女性、主夫をやっている男性すべてを僕は尊敬する。1000万以上の価値の意味がよくわかったよ」と感想を述べた。彼女は「何をいっているの」と不満を述べた。え。どういうこと?マジ意味がわからない。尊敬すると言われてキレるとか、どういう道徳教育を受けてきたのだろう?と戸惑っている僕に「何が1000万以上の価値よ。この額は女性が家事をやっているからこの額に決まっているでしょ。男性の家事にそこまで価値があるわけないじゃん。キミみたいなら中高年ならなおさらよ」と妻は告げた。リアルに開いた口がふさがらなかった。でも良かった。口が自由に開閉できたら「男性差別じゃないか」と言って大爆死間違いなしだからだ。今、僕は、ガチで呆れたとき言葉が出なくなるように人間を設計してくれた神に感謝している。(所要時間25分)

社長案件からは全力で逃げよ。

「社長案件」は避けられるものなら避けたほうがいい、が僕の結論。というのも社長からの案件をうまくやりきっても「社長の力添えがあったから」と正当に評価されないことは多いし、しくじれば地獄だからだ。もっとも難しいケースは今回のように社長から任された案件が精査した結果、収益が見込めないポンコツで断るしかないとき。社長からは「断るのは結構だが、付き合いがあるから相手に一ミリも不快な思いをさせないように」と釘を刺される。周囲はニヤニヤ僕の失敗を期待している。いいことは何もない。当該案件はいくつかの地元企業がサポートしている、とある地方の福祉事業で、食材提供する企業だけが見つからずにツテを辿って社長のもとへ持ち込まれたものだった。提供された条件を精査してどうやっても収益が見込めなかったので、電話で断る際にそれを包み隠さず話すと、事業の事務局の担当者が「わかりました。では直接していただけないでしょうか」と謎な対応をするので、いやいやお断りの話なのでこれ以上は時間と手間の無駄になりますから、と言ったものの、電話で済ませることが相手に1ミリほど不快な思いをさせることになったらミッションは失敗になってしまうので、しぶしぶ相手のもとへ断りに行くことになった。事務局に行くと担当者が迎えてくれて、ささどうぞ、と奥の会議室に通された。壁に貼られた「明るい」「光」「未来」「子供たち」という文字の目立つポスターを眺めていると、ドアがノックされて、担当者も含めて8名ほどの中高年の男性が入ってきた。スーツを着ている担当者以外は個人事業主っぽいラフな格好。彼らはその事業の幹部たちであった。挨拶を済ませて、断りを正式に入れて、その理由を説明した。収益にならない。事業展開していない地域なので厳しい。と。事務局の方々は僕の話に驚きを隠せないようであった。それぞれが顔を見合わせたり、いやいやいやみたいな表情を浮かべている。理事長とされる長老が「あなたの仰ることはわかりました」と話を切り出した。彼は事業の意義や理想を語ると、厳かな感じで「この事業は非営利でやっている」と言い切った。このジジイ僕の話を聞いていないのか。よくある話である。自分たちが意義があるものだと信じて非営利でやっている事業は、他の人間にとっても意義があって非営利で協力するべきもの。こういう考えの人は多い。意義や理想を他者へ押しつけないでくれ。「申し訳ありません。弊社は協力できません」と僕は言った。謝る必要は0.1ミリもないのに謝ったのは相手に1ミリの不快感を与えないための譲歩であった。長老は、僕の返事に動じずに「この事業に参加することは御社にとってもプラスになる」などという。将来見返りが期待できる投資案件なら話は別。僕は長老の威厳から、この話の奥にあるビッグビジネスの匂いをかぎ取った。そして訊ねた。「将来的にはどんなプランがあるのですか?ビジョンを教えていただけますか。それによっては再度検討させていただきます」理事長は「先のことは何も決まっていない。目の前にある問題をどうするか。それだけで精一杯」と絶望的な話をしはじめるのを事務局の担当者がフォローするように「今のところプランはありませんが、将来的にはプランをつくるつもりです。ただこの事業を通じて満足感と達成感を得られるのは間違いないです」とフォローになっていないことを付け加えた。何ないのかよ。先のことが決まってないものには投資できない。「すみません。やはりお断りします」僕は同じ答えを繰り返した。長丁場になることを覚悟していると「ですよねー」と事務局の担当者は言った。明るい調子であった。どういう意味の「ですよねー」なのだろう。説明を求めるとアリ地獄にハマるので想像するしかないけれど、おそらく、「おたくのような下界営業マンには理解できない『ですよねー』。高い理想を持つのは我々のような選ばれし者だけ『ですよねー』」という自己肯定だろう。圧をかけてくるわけでもないのに8人も集まったのがその証。人間は自分の聞きたい話だけを聞きたがる生き物。ただ、世の中はそれほど都合よく出来ていないので、自分の聞きたい話を相手から引き出すためには、努力や工夫が求められる。それをしないのはただの怠慢でしかない。相手から自己肯定の「ですよねー」と引き出せたので不快な思いは1ミリもさせてはいないはずだ。ミッションコンプリート。(所要時間28分)

COVID‐19は営業ノルマを廃止するチャンスになるのか社長との対話のなかで考えてみた。

「営業ノルマを廃止しませんか?」ボス(社長)に対してこのような大胆な提案をしたのは、ボスから、アフターコロナでもウィズコロナでも名称はどうでもいいのだけれど、時代の変化にあわせて今後の営業活動計画を見直すよう言われて、出しても出しても「こんなもので本当に結果が出せるのか」「時代がどう変わるのか正確に見通せ」とモグラ叩きのごとくボコボコに叩かれ、いよいよ後がなくなったからである。ヤケクソである。

 僕は食品会社の営業部長。営業という仕事を四半世紀やってきた。その四半世紀はノルマとの戦いでもあった。ノルマには功罪ある。功は、目標の明確化やモチベーション維持など。罪は、強引すぎる営業につながる可能性があること、ノルマ自体が数値を達成したときにブレーキをかけ、意図的に次の期へ数字を繰越すといったストッパーになりうることなど。特に高ノルマが強引な手段や不正につながり問題となったケースを何度も見てきたので、前々からチャンスがあればノルマをなくしたいと考えてきた。新型コロナをそのチャンスととらえたのだ。

 新型コロナの感染拡大以降、これまでの営業の手法の多くは無効化した。以前と同様のノルマ設定はおのずと高ノルマになり、達成のために強引な手法に走って顧客に迷惑をかけてしまうという最悪なパターンに陥る可能性もある。そういう悲観的な未来予想図から「ノルマをなくそう」という提案が出てきたのだ。ボスは「個々のノルマをなくしても、キミの部下たちはきちんと仕事ができるか?自発的に営業をかけて数字をもってこれるか?キミは彼らを信じられるか?私は無理だと思うよ」と揺さぶってきた。きっぱりと「わたしは部下を信じています」

 

…と言えたらどれだけ素敵だろう。「無理ですね」僕はあっさり降参していた。 「ノルマ自体を引き下げます」「低い目標は低い達成しか得られない」「個々のノルマを廃して営業部全体のノルマを皆で共有します」「営業部全体のノルマが達成できなかったとき、その要因となった者がつるし上げに遭わないか?」「ではやはりノルマを全面的に廃止…」「社員が楽をするだけの結果になったらキミの責任だよ」ボスは僕の提案をひとつずつ潰していった。

 何度もやられて僕が至った結論は、営業ノルマの維持だった。昨今の変化のポジティブな面に目を向けると、新しい営業のやり方の可能性がなんとなく見えてきたからだ。たとえば対面面談からオンラインや電話での営業にシフトすることで、顧客との面談までの時間と手間は確実に減った。5分や10分といった細切れの時間で面談ができるようになったのも大きい。成約までに至るかはもう少し観察する必要はあるけれども、顧客と接する機会はコロナ前よりも増えていることがデータで出ている。これらはポジティブな要素だ。営業泣かせの、話は聞かないけれど、会いに来た回数や置いていった名刺の枚数を数えているような、効率の悪い客を避けられるのもいい。「こんなご時世ですから手短に」といって、家族の愚痴、ダジャレ、無駄な雑談を聞かされることを避けて初っ端から本題へ入れるようになったのもプラスだ。

 こういった傾向をみて僕はミーティングで「これからの営業における面談はショート・スパイス・シンプルが求められるよ~」と言ったら、「概ね同意ですが、ショート・スパイス・シンプルは昭和感しかないので客先では言わないでください。恥ずかしい」と懇願された。イチ営業として現場に出て意外な発見もあった。ショート・スパイス・シンプルを突き詰めてオンラインで商談をしたあとのことだ。相手から「圧のつよい営業マンに押し切られたり、テクニカルな営業マンの話術に騙されるんじゃないかと思っていたけれど、オンラインで簡潔にビジネスの話だけをするなら精神的に楽だ」と言われたのだ。確かに営業マンアレルギーを持っている人はいる。そういう人でもオンラインで距離を置き、かつ短時間の商談であればアレルギーを起こしにくい。これは思わぬ発見だった。これからは営業アレルギー持ちも対象にしていくことができるかもしれない。

 そのほかにも交通費の削減や事故の減少なポジティブな要素はある。もちろん、課題をあげればキリはないが、ポジティブな変化をうまく活用して、これまでのやり方にとらわれずに軌道修正しながら、目標としてのノルマ達成を目指す、というのが僕の考え方でそれをもとにした計画を出してボスからも了承を得た。ノルマをなくしても数値を出し続けるようなチームが理想である。だが、性悪説にとらわれている僕には難しかった。部下各位よ、信じてあげられなくてすまない…。

 そして昨日おこなわれた営業会議の冒頭、営業部員全員の前でボスが「(略)最後になりますが、新型コロナ感染拡大にともなう社会情勢の変化に対して、私としては営業部員の負担を減らすためにノルマを廃止したいと考えていたが、営業部長たっての希望によりノルマは維持することになりました~」という話をした。話がちがう。直後に「鬼」「冷血」「人でなし」とでも言ってくるような営業部全体からの冷ややかな視線。きっつー。僕のノルマ廃止提案に反対したのはボス、あなたではないか…。このように、おそろしいのは感染症よりも人間なのである。(所要時間45分)

社内抗争に敗れた上司が僕の部下になった。

弊社は、社内限定で「役職」ではなく、「さん」付けで呼びあうことになっている。実際は、「役職」でも「さん」でもどちらでもオッケー!というユルい感じで運用されている。そんなユルユルな社風の我が社でも、多くの会社と同じように、派閥抗争がある。社長派と常務派に分かれての抗争だ。僕自身に意識はないが、社長面接で中途入社して幹部になった経緯から、社長派と目されているため、常務派から目の敵にされている。社長から特別可愛がられているわけではなく、むしろ都合良く、便利屋のように使われているので、メリットはない。面白くもない。

常務派はうまくいっていないらしい。最近も派閥内の権力闘争に敗れた人がいる。僕ら部長クラスの上席にあたる統括本部長だ。彼は、自分の地位は未来永劫に安泰と勘違いして、診断書の出せない謎の長期入院しているうちに、所業悪行が暴露されて、立場を追われた。哀れだ。とはいえ会社の功労者、このまま追い出すのはあまりに不憫、逆ギレされても怖いし、という理由で失脚した彼は、社長の一声で、今月から僕の監督する営業部でイチ営業部員として働いている。僕のことを目の敵にしていた古参の1人である彼が下にいるのは、実にやりにくい。63才。営業経験なしの男性。かつ、僕のことを良く思っておらず、しばしば会議で口撃してきた人物の面倒をみなければいけないジレンマ。社長は「彼にも伸びシロはあると思うよ」と笑っていた。悪魔か。

顧客もない。役職もない。パソコン使えない。シンパもない。そんな彼にあるのはプライドだけである。放置プレイさせておくと部内の士気にかかわるので、仕事をつくってまわした。我が営業部はほぼ「さん」づけで呼ぶようになっている。だが彼だけは、「この仕事を今日中にお願いします」と仕事を依頼すると、僕への感謝まじりの従属を示すように「わかった。部長…」とひとこと言うのであった。僕は、彼の職業経験を尊重して、あるいは、武士の情けから彼のプライドに配慮して、細かく注文をつけなかったけれども、〆切は守らない、雑すぎる仕事ぶり、をまざまざと見せつけられ、部全体に悪影響を及ぼす危険性を覚え、考えを改めて、事細かに指示を出すようにした。

「この資料を両面コピーで8部お願いします。資料を見れば自ずと判断できるかと思いますが上下ではなく左右開きでコピーお願いします」「部長…」「会議で使う顧客リストの印刷をしておいてください。全部を打ち出すのではなく、条件を入れてですね、あ、わからない?業種は…、規模は…、あ、もう私が全部入れましたので、あとは都合のよろしいときに印刷ボタンを押して出てきた書類を1セットにして左上にホチキスで止めてくださいね」「わかった。部長…」というふうに。僕が細かく指示を出すと、元統括本部長の彼は「わかった。部長…」と応じた。それでも結果は「わざとやってる?」と疑ってしまうほど酷いものであった。両面コピーは指示したとおりではなく、前半は左右開き、後半は上下開きとになっていた。顧客リストはホチキスは右上2か所でバッチリとめられていた。これは嫌がらせだろうか。いや、そんなことはない。もしかして僕が個人的に嫌われている?いや、彼だって慣れない仕事をやっている、間違いは誰だってあるさ。そう気を取り直した。

部下の人たちから「あの御仁がいると仕事がやりにくい…」「何もせずに座っていて士気が下がります」とクレームが出てくるようになった。「部長は厄介を押し付けられてますよ。手をうたれたほうが」と忠告してくれる者もいた。僕は「もう少し彼に時間をあげよう」と彼らを諌めた。「これは武士の情けである。争いに破れ、恥を忍んで敵視していた僕を「部長」と呼んで頼ってくれている。十分じゃないか。それで。キミたちの人情紙風船は昨今のソーシャルディスタンスでしぼんでしまったのかい?」

すると部下の1人がいった。「お言葉ですけど」「何」「あの方が部長を部長と呼んでいるのは慕っているのではなく、《現状はこんなだけれども、私は上にいる》と宣言しているように聞こえるのですが」。ウソ?マジ?きっつー。うん、でも、納得。確かに目の敵にされていたときの「部長」と声のトーンが一緒だわ。仕事ぶりもあいまって腑に落ちた。以来、「わかった。部長」と言われても、見下されているように思えてならない。仏の顔も三度まで。あと3回。あと3回上から目線で僕を「部長」と呼びナメた仕事をしたら、彼を「クン」付で呼んで、屈辱の沼に沈めてやろうと考えている。(所要時間25分)