Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

飲食店の自粛が地獄すぎる。

突然だが、飲食店に対する自粛要請が産み落とした二つの地獄についてお話したい。僕は神奈川県在住の食品会社営業マン。今日は、取引先(ブライダルとレストランのオーナー)と今後の仕事について、いつもの喫茶店で軽く打合せをした。神奈川県。飲食接客業。どうしたって話題は緊急事態宣言になる。明るい話題はない。昨日(1月25日)、感染者数が減少していたのを受けて「ようやく光が見えてきたかもしれないですね」、僕が話を振ると彼は暗い顔で「最悪だよ。緊急事態宣言が解除されてからのほうがむしろ怖い」とオーナーは言った。営業時間が元通りになれば、次第に客足が伸びて売上も回復する。その一方で、飲食業をターゲットにした緊急事態宣言の効果が出たということは、飲食が感染の主原因であることが確定ということでもある(と一般人は受け止める)。

感染防止のため、自粛して我慢して協力してダメージを受けているのは飲食業なのに、悪者にされる。金銭面プラス心理面、二重につらすぎるということだった。実際、このマイナスイメージを払拭するのに何年かかるか見当もつかない。さらに、緊急事態宣言が解除されたあと、また感染拡大したら、緊急事態宣言3rdではなく、飲食を悪者にして自粛させればいいという世の中の空気で運営される民営自粛警察によって、何の補償もない自粛に追い込まれそうなのが恐ろしい。などといくつか理由をあげて「最悪、商売やめるかも」と彼は言った。経済的ダメージを負ったうえで悪者にされたら、バカバカしさからマイナス思考に陥るのも仕方ない。

「五輪でお・も・て・な・し。なんてもう誰も言っていないじゃないか。夏に外人が日本に来ても、もてなす店なくなっているよ」「飲食業が感染の原因というなら、医療の次は飲食にワクチンを打てばいいじゃないか」「国と自治体が自粛警察やってるんだから。地獄だよ」国家自粛警察。地獄すぎる。彼の自棄クソ気味の言葉に返す言葉がなかった。僕の体感では、今回の宣言で、街や公共交通機関は前回ほど人間の数が減っているようには見えず、真面目に取り組んでいるのは飲食業だけといってもいいくらいである。自粛させておいて悪者扱いは地獄…二人で絶望して今後のプランに取り掛かれないでいると、彼の知人おばちゃんが「緊急事態宣言、参ったよねー。地獄よー」と声をかけてきた。

彼女はスナックのオーナーママ。その店も生き残りのために時短営業+ランチ営業をやっているが、苦しいらしい。「飲食はどこも厳しいですね…」という僕に「ママのところは違うよ」と彼は言った。「緊急事態宣言で参っている理由がウチとママでは違うんだ」ママの店はもともとママひとりで赤字を垂れ流してやっていた店。休業して自治体から協力金をもらったほうが儲かるという話であった。ママが口にした、「緊急事態宣言、参ったよねー」は「緊急自他宣言が終わったら収入減がなくなるから参ったよねー」の意であった。誰も想定していないし、同情もされないけれども、甘い蜜を吸ってしまった本人にしてみれば地獄だろう。

「店の内容を吟味していないで金を配るのは、税金の垂れ流しだよ」と憤るオーナーの前で、僕はダメダメなスナックも好きなので、たくましく生き残ってくれればいい…と思っていたけれども、彼からママがコロナきっかけで自治体からゲットした総額を聞いて「絶対に許せん。地獄に堕ちろ」とひとりの納税者として怒りに震えた。まあ、裏を返せば先行きの見えない今の世の中は、それくらいのたくましさがなければ生き残るのは難しいということでもある。

このように飲食店への自粛は、想定された同情すべき地獄と想定外の同情できない地獄、二つの許されぬ地獄を生み出したのである。政治にはたいして期待していないけれども、せめて、この地獄が無間地獄にならないよう、もう少しうまくやってもらいたいものである。他人事ではない。次にターゲットにされて悪者扱いされるのは、この文章を読んでいるあなたかもしれないのだから…。(所要時間25分)お仕事エッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

プペルとゆとり世代と昭和の価値観が令和を生きる私を壊す。

テレビに出ているような有名人や若手社員が「爪痕を残す」という言葉を、好印象を残す、成果をあげる、といった良い意味で使っているのが気に入らない。言葉が時代時代にあわせてアップデートされるのが嫌なのではなく、もともとの好ましくない物事についての言葉であることを知らずに使っているのが嫌なのだ。以前、社内での打ち合わせで若手社員が、「令和を生きている顧客は、事実上平成30年代から生きている人たちであり、つまり彼らのニーズは平成と地続きであり断絶はしておりません」などと、どうでもいいことを言葉で飾り立てて報告していた。なるほどなるほどと感心を示す一部上層部を除けば、その場は白けきっていた。なぜ大げさに言うのか。「会議で爪痕を残すためです」が彼の答えであった。新型コロナで先行きの見えなさから、今、自分に出来ることを最大化している。そう語る彼の目は輝き、眩しすぎて背けたいほどでした。僕は彼が恥をかかぬよう、「爪痕を残す」の本来の意味を教えておいた。

後日、当該若手社員が少々面倒くさい顧客とちょっとしたトラブルになり、僕が仲介することになった。彼の説明不足を発端としたトラブル自体は解決したが、その他の要因もあって条件を再調整する必要がでて契約は伸びてしまった。最悪、話は立ち消えになるかもしれない。彼は反省の弁を「爪痕を残しましたよ」と締めた。言葉の使い方としては正しい。最低限の学習能力が確認できて良かった。

緊急事態宣言が出て、見込み客の担当者がほぼ在宅勤務になった。それは対面営業をベースにした昭和から続いてきた営業術が終わった瞬間であった。言葉と同じように仕事のやり方も時代にあわせてアップデートしていかなければならない。新型コロナ時代では、直接の対面は最小限に止めるべきであり、アポなし訪問は問題外になる。だが人間は簡単に変われない。

だが、会社の一部上層部は、昭和のノウハウとバブルの栄光を捨てられなかった。彼らはこう言った。「相手が在宅勤務をしている。競合他社は訪問を控える。それは絶好の好機だ」。彼らが言わんとすることは、見込み客が在宅勤務をしていて、競合他社が手を出さないのなら、我々が自宅まで行って誠意をみせるだけで、一本釣りで契約が取れる、ということであった。誠意。足を棒にする。顔を売る。昭和の価値観でこの難局を押し切ろうという考えであった。寒気がするくらいの昭和。地獄だ。

だがこれは地獄の終わりではなく始まりであった。当該若手社員をはじめとする若手が、それいいっすねー、と上層部に同調したのだ。昨今の営業活動や仕事で目の当たりにしている閉塞感を打破できるかも、という謎の期待感からであった。昭和の亡霊に若手の体力が加わった。こうして、競争を避け、ほめられて育てられたゆとり世代と、昭和の価値観の悪魔合体がなされた。「在宅を狙って爪痕を残しますよ」 正月休みにプペルを観て《あらゆる障害を排除して夢を追うことの大切さ》を学んだと語っていた若手社員は言った。彼が曲解した、映画が伝えようとしていたメッセージを確認する前に、僕は、営業部長としてこの地獄ムーブだけは絶対に鎮圧しなければならない。(所用時間17分)こういう社畜エッセイをまとめた本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

僕たちは五輪をあきらめない。

未来の話だ。2681年夏、東京。巨大スタジアムのメインスタンドの前にジャージ姿の老人が立ち尽くしている。老人が立っているのは、セパレートレーンのスタート地点だ。スタンドには誰もいない。スタンドだけではない。スタジアムには老人以外の人影はない。彼の傍らにはタイムを競うライバルもいない。弱り切った彼の足腰は、陸上選手のようなスタート姿勢に耐えられなくなって久しい。老人は「よ~いドン!」と囁くように声を出して走り出した。一歩。二歩。その走りは、食後の散歩のようだ。歩みは遅い。それでも彼は確実にゴールへ向かっていた。25mを過ぎたところで、老人はバランスを崩した。転びそうになる彼を支えたのは、学生時代、スポーツに挫折した記憶への反抗心だったかもしれない。失速した老人は立ち止まって目をとじた。耳を澄ませた。人々の声が聞こえる気がした。歓声。喧噪。その音は、スタンドより遠くから聞こえた。彼はかつて行われるはずだった五輪のスタンドから時空を超えてきた声だと思った。老人はふたたび走り出した。彼の心のなかに、子供の頃、周りの大人たちから中止になった東京オリンピックの話を繰り返し聞かされた記憶が蘇った。「日本が、東京が五輪をやっていたら」というifを考えることは少年期、青年期を通じて彼のテーマだった。五輪中止はいたしかたのない理由だったと彼は自身に言い聞かせてきた。彼は見た。彼を包み込む胎盤のようなスタジアムを。人は、ここから五輪を産み落とされるのを拒めない。スタジアムは、過去にARASHIという国民的グループが解散ライブを催したときの姿をとどめている。日本の技術と歴史を体現した木の籠。これを木棺にしてはならない。それは悪魔の所業だと老人は断じた。老人は歩みを止めなかった。息は切れ、足の筋肉は悲鳴をあげた。限界だ。「さ~ん」老人は自分の名を呼ぶ声を聞いた。スタジアムの遥か彼方から聞こえてくる幻聴がふたたび聞こえてきたのか。私も老いたものだ。彼は頭を振って、一歩また一歩とゴールテープのないゴールへ進んだ。視界がかすんだ。地面が揺れた。また自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。老人はバランスを崩した。カラダを地面に打ちつける…覚悟したダメージがない。彼の体を支える者がいたのだ。老人の体を支える者もまた老人だった。時の総理大臣を会食の場に呼び出して己の権力を誇示した彼もジャージ姿になれば一人の老人だった。「水臭いじゃないか。実行委員長」二人の老人はまるで二人三脚のようにゴールへ向かった。両者の足は糸でこそ結ばれていなかったが、利権でしっかりと結ばれていた。老人ふたりはクララのような足取りでゴールに辿りついた。すると「お疲れ様でした!」とやけに低姿勢な老人がタオルと水を持ってあらわれた。お疲れ様でさえ原稿を読むような調子であったので、誰の心にも響かなかった。東京五輪万歳!万歳三唱する老人3人を「密ね…」と冷ややかな感情を持って見つめる女の姿がスタンドのマスコミ席にあった。皇紀2681年、令和3年夏。1940年五輪中止の悲劇を繰り返してはならないという老人たちの執念が、無観客、無選手というかつてない五輪を実現させた。そして、老人が耳にした喧噪は幻聴ではなかった。老人たちの自己満ショーが行われたスタジアムの外では病院に入れない感染者のうめき声と、ゴールをみつけられずにさまよう何百台もの救急車のサイレンがうねりとなっていた。(所要時間17分)こういう文章をおさめた本を出しました。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

全部コロナのせいにできるのはある意味幸せではないか。

「あ。もしもし。私だ。元気でやっているか」昨秋退職した役員Hからの電話。その声の以前と変わらぬ感が悲しみに変換されて、がつーん、と胸にキテしまった。Hからの着信と、取り繕った変わらない感は予測されていた。予測通りに電話がかかってきて、予測通りに以前と変わらぬ感がそこにあったのがやけに悲しかった。Hが、近い関係にあった現役社員に電話をかけ、、無茶難題を頼んでくることは、話題になっていた。僕は、Hが辞めたときの言葉を覚えている。「貯えはある。投資も始めてみた。40年以上働いてきて疲れた。休養したあとは、週2~3回で自分のペースで働こうと考えてる。ちょうど、知り合いの会社から人材育成部門の顧問に誘われている。友人と事業も考えている」 

Hは嫌いな人間ではない。好きな人間でもない。いてもいなくても変わらない。僕にとっては、普段使わない非常階段の手すりのような存在。彼は役員/社員(従業員)のあいだに明確な境界線をつくるタイプ、役員という立場を崩さない人で、「役員は経営者。社員ではない」「経営者と社員は仕事が違う」と言っていたように、良くも悪くも、数字さえ出していれば、干渉してくることはなかった。何回か相談をしたことはあるが「それは君の仕事だろ?」と言われ、助けてもらったことはない。おそらく、在職中の彼は、数字しか見ていなかったのではないか。

Hは「力を貸してくれないか」と言った。予想通りだ。Hは人事部門に執拗に電話をかけて「失業手当がもらえない。今から遡って従業員扱いにしてくれないか」という嘆願していた。転職先が爆発したのか。株券が蒸発したのか。仮想通貨詐欺にあったのか。事情は知らない。「ハロワで、役員は雇用保険の被保険者じゃないから手当はだせないと言われてしまった」と電話で泣きつくHの姿に、かつての尊大な姿を重ねられなかった。

残念ながらHの口癖どおり。役員は経営者。社員(従業員)とは違う。失業保険は労働者のためのものであるから、役員Hは対象にならない。それだけのこと。だが人類を60年もやっているのは伊達じゃない。人事かハロワからの「役員で対象になるのは、実質的に労働者として認められる場合だけです。Hさんは無理ですよ」というダメ出しの中にHは希望の光を見出した。《労働者として認められればいい》その考えは彼のなかで宗教となり、彼を突き動かした。Hは「力添えをしてもらえないか。私が労働者であったことを証明してくれ」と言った。言い続けた。近い関係にあった人に。拒絶。そこそこ近い人に。拒絶。まあまあ近い人に。拒絶。遠くない人に。拒絶。そして遠い関係にあった僕に。

藁にもすがる気持ちで僕を頼ったのだろうが、藁レベルにされたのが少々不愉快だったこともあって、僕は冷静に「経営者と社員は仕事が違います」とかつて言われたことをそのまま返した。「転職活動はしているのですか」「していない。ないもん求人」ないもんて言うな。「求職活動していなけりゃ、そもそも出ませんよ手当」 苦しいなら生活保護を申請してくれ…。「コロナがなければ」「みんなコロナが悪いんだ」とHが言うので、コロナが気の毒になった僕は「Hさんが失業保険(基本手当)をもらえないのと、新型コロナはまったく関係ありませんよ。コロナがなくてももらえません」とウイルスを弁護していた。僕は「貯えと投資と次の仕事はどうしました?」と続けた。返事はなく、「全部コロナが悪いんだ…」と繰り返すばかりであった。

「コロナできついのに、これだけ頼み込んでもダメか」無理。「あれだけ助けたのに、コロナで苦しんでいるときは助けてくれないのか」助けられてない。グダグダなお願いを無言でスルーしていると、ようやく諦めた様子。「わかった。私も覚悟を決めた」潔く諦めるか、生活保護申請をする覚悟であってほしいという僕の期待は裏切られた。そして…Hは「役員のやり方を見せてやる」と力強く宣言した。それは労働者であることを証明する戦いの狼煙であった。

続けて《人事部に直接押しかけて直談判する》という元役員テロ計画を聞かされた。かつての役員が生活苦から失業保険パラサイトになってあらわれる。ショッキングだ。だが、僕は安堵していた。本当に実務や現場を知らないんだな。どこまでも役員なのだな、と。会社に突撃しても、絶賛在宅勤務で人事関係は誰もいない。役員のやり方と仰っていたが、役員であれ辞めてしまえば他人である。かつての役員のやり方がブーメランで返ってくるだけである。「コロナがコロナが」繰り返していて、突撃が空振りに終わるのもコロナのせいにするのだろうけれども、このように自分に原因のある問題を直視せず、全部コロナのせいにできるのは、ある意味幸せなのかもしれない。(所要時間30分)

このような世知辛いサラリーマンエッセイを収録した本を書きました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

テレワーク実施中の会社に出勤したら地獄でした。

2021年1月15日金曜朝8時、忘れ物を取るためにテレワーク実施中の会社に顔を出したら、誰もいないはずの事務所に上層部(事業本部長)が出社していた。神奈川県には緊急事態宣言が出てから原則テレワーク。上層部も例外ではない。彼は、僕を見つけると近づいてきて「出社できない社員のぶんまで出社して支えたい」「私の仕事は在宅ではできない」と聞いていないのに出社の意義を説明してくれた。存在証明。「DMの封筒を担当のデスクに振り分けたり、事務所の換気をしたり、やることはある」と彼は胸を張った。高給取りの仕事ですかそれ…。掃除のおじさんの仕事を取らないで。テレワークに移行できない、ではなく、もともとワークがないからリモートしようがないのである。無いワークは振れない。

大人しく自宅にいればいいのに、昨日、サーバー不調の連絡を受けて、在宅勤務を取りやめて駆け付けたときに、義に目覚めて、緊急事態宣言下でもアローン出社する決意をかためたそうである。目覚めが半世紀遅い。そもそも「サーバーって何?」って発言していた人が「サーバー不調」という事態に対して何ができたのだろうか…そんな、僕の疑念を察知したのだろうね、「サーバーはパソコンを動かす動力だ。止まったら業務に支障がでる」と非常に抽象的な表現で説明してくれた。若干の不安を覚えつつも安堵した。良かった!食品会社らしく「鯖に死傷」と謎変換するトンデモ上司や、コーヒーサーバーやウォーターサーバーと勘違いする哀しい上司はいなかったんだ!彼は急遽出社したシステム担当の社員に飲み物をごちそうするという上司仕事をキメていた。

僕がデスク周りを整頓しているあいだ、彼はずっとPCの画面を凝視していた。キーを叩く。マウスを動かす。そういったアクションはなく、ただ画面を見つめていた。薄気味悪いので声をかけた。「何をされているのですか」「画面を確認している」「どういうことです?」「サーバーの稼働状況の確認。サーバーとつながっているから異常があればわかる」。サーバー監視員として暗躍していたらしい。問題が起きたら、本部長のPCに通知が出て、彼が関係各位に連絡を入れる体制なのだろうか。おかしい。システム担当は、自宅でモニターしているはず。なぜ本部長に意味のない仕事を与えるのだろうか。どういう意図で中途半端な居場所をあたえるのか。疑問が募ったのでシステム担当に質問したら、「おかしいな…本部長のPCはスタンドアローンになっているはずなのに…」という悪魔のような言葉。仕事にならない仕事を見つけて自らすすんで従事している彼が哀しかった。アローン出社どころかスタンドアローン、ガチで孤独だったとは…。あとやることがないからといって、勝手に我が営業部にこのような啓蒙ポスターを貼るのはやめてほしい。

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99%の達成では無意味!執念!これ…噂に聞いたモチベーションアップポスター。実在していたとは…。誰もいない会社は地獄。現場からは以上です。(所要時間15分)

このような会社エッセイ満載の本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。