Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

離婚することになりました。

離婚することになりました。残念な気持ちはない。一ヵ月間彼女と話し合ってきた結果だからだ。彼女と僕は一回り以上年齢が離れている。話合いでわかったことは、考え方や価値観の違いは否めない、ということだ。最近流行りの熟年離婚ということになるのだろうか。法律的に何といえばいいのか、考えながら、今の気持ちを文章にしてみたい。
原因と理由について、彼女は、「介護をしたくない」「顔を思い浮かべるだけでゲボが出る」「面倒くさい」等々を挙げたが、本音はわからない。あえて掘り起こそうとも思わない。彼女を尋問して隠された不満を剥き出しにすることに何の意味があるだろう。終わる関係をさらに虚しくするだけだ。人生とは、関東ローム層のように厚く積み重なった不満のうえを、ひとつひとつの層を意識せずに歩いていくようなものなのだ。生活に大きな支障はない。彼女は活き活きとしている。お互いに生まれたときの名前に戻るだけのことなのだ。彼女には彼女の姓があり、僕には僕の姓がある。届けを出せば、彼女にとっての忌まわしい記憶とともに、関係は終わる。見方を変えれば、関係は変わらないともいえる。僕にはかすがいになる子供はいない。思い返せば、彼女とはずっと一定の距離を保った関係だった気がするからだ。こづかいはたいして貰えず、理不尽に叱られ、酒をガブガブ飲んでは怒られた。赤ちゃんプレイに付き合ってくれなくなって久しい。もっと紙おむつを替えて欲しかった。バブバブしてみたかった。もうやめよう。彼女のなかで結論は出ているのだ。法で定められた届を役所に提出すれば関係は終わる。僕に出来ることはドライな考え方をする女性という認識を持ち続けるだけである。彼女と話し合いをしているとき、子供の頃から使っているアップライトピアノが目に入った。40年以上の付き合いのあるピアノだ。メンテを入れて使い続けているがボロは隠せない。メンテをしながら生きる人生と新しい人生。どちらが幸せなのだろう。センチメンタルにすぎないな。もうヤメよう。僕らはこれからも生きていくだけだ。元々平行線だった人生が終るまで続いていくのだ。彼女は姻族関係終了届を提出して、30年近く前に死んだ父の姻族との、彼女いわく忌まわしい関係を終わらせる決断をした。近々、彼女……母は死後離婚することになるだろう。そして僕は今月末で結婚10年になる。ライフイズビューティフル。(所要時間15分)

人生についての文章を多数収録したエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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小山田圭吾氏の大炎上問題でわかったこと。

過去の言動によって東京五輪の音楽担当を外された小山田圭吾さんの爆発大炎上がとどまることを知らない。所属しているバンドの新譜が発売中止になり、その関連のラジオ番組も終了になった。小山田氏のキャリアが終わってしまいそうな勢いである。

 1991年の秋、僕は、氏が組んでいたフリッパーズ・ギターの「ヘッド博士」を、プライマルスクリームの「スクリーマデリカ」とニルヴァーナの「ネヴァーマインド」といったロックの歴史的名盤と同じくらいよく聴いていたので、現状は残念でならない。「ヘッド博士」から数年後、今回の問題になった氏の発言が掲載された雑誌もリアルタイムで読んだ(大学のサークル室に置いてあった)。報道されているとおり、酷い内容だった。詳細は覚えていないけれど、小山田氏も聞き手も「ひでえ(笑)」みたいなトーンだったと記憶している。

小山田氏の炎上は完全に自業自得で弁護できるものではない。と僕は思ったけれども、それでも、擁護や理解を示している人たちがいる。僕の観測したかぎりでは大きく分けて二つあった。ひとつは、雑誌が世に出たときには「鬼畜」な内容が受け入れられる時代であったという視点を持たなければならない、というもの。もうひとつは、脛にキズのない人間なんていないだろう、というもの。

 前者は論外である。鬼畜な内容のものはあったけれども、決して受けてはなかったし、メインストリームになることもなかった。「ひでえ(笑)」というノリは内輪であって、受け手の多くは「ひでえ(真顔)」だったと思う。「ひでえ(笑)」できる俺たちはスペシャル、という悪ノリ意識があったのだろう。それは時代性ではない。いつの時代にもある。時代や世代の問題にするのは、頭のいい人たちの悪いクセである。

 後者の擁護には、今回の炎上を大炎上にかえている構図が隠れている。「脛にキズのない人間はいないだろう」は言い換えれば「脛にキズがなければ非難して良い」である。そこから「罪のない人だけが石を投げなさい」という姿勢が生まれる。それは「障がいのある人に排泄物を食べさせるような重罪を犯していない人は石を投げられる」に変質し、世の中の大半の人間はそのような重罪を犯していないので、我が身を振り返らずに石を投げまくられるのである。今回の炎上の原因になった言動のようにありえないものである場合、「脛にキズのない」云々の擁護は擁護になるどころか、炎上にニトロを注ぐようなものである。

 不思議なのは、小山田氏がオリパラのような、国家事業、超メインストリームの仕事を受けたことである。よく言われているのは、「障がいを持った人に対してあのような酷い言動をしたのに、なぜオリパラの仕事を受けたのだろう?」という意見である。僕の印象は少し違う。例の言動以前から、たとえばフリッパーズ時代から、斜に構えた発言を繰り返していた小山田氏がオリパラのような、かつての氏ならバカにしていた仕事を受けたことが不思議であった。

 氏はもともと陰口野郎(失礼)であった。確かコーネリアスの1stが出た頃の雑誌インタビューにおいて、歌番組で一緒だった国民的男性アイドルグループSの格好や、匿名で失礼するがTKという人がプロデュースしたダンスユニットを小馬鹿にする発言をしていたのをよく覚えている。フリッパーズが一部の人に受けたのも、そういった表では言いにくいことを陰ではっきり言うキャラクターがあったからだろう(フリッパーズ時代からの言動が掘り起こせば、その種の発言はいくらでも出てくるはず)。そういう人がオリパラのような日の当たる場所の仕事を受けるのが、不思議でならなかったのだ。余談になるが、フリッパーズ解散後の小沢健二さんがキラキラなポップスターになったのも薄気味悪かった。「あんた…カローラに乗るような人かよ」って。小沢氏の場合は確信犯で演じていたのだけれども。小山田氏と小沢氏はイニシャルをとってダブルノックアウトコーポレーションを名乗っていたが、時を同じくして両者ともスキャンダルでノックアウト寸前なのは実に味わい深い。

 小山田圭吾氏が年齢を重ねて、それを成熟というのか劣化と評価するのかは受ける側の判断になるけれども、オリパラのような最大級の公な仕事を受けたのは、かつての尖がっていた氏を知っている者としては寂しい思いがある。権力に寄り添うのは、僕のようなサラリーマンな生き方と変わらないからだ。サラリーマンは問題を起こしたら切られる哀しい存在である。氏がオリパラのような国家的規模の超メインストリートに行かずに、サブカルのまま好きな音楽を作っていたら、氏にとっても幸せだったのではないかと思う。

 今回のオリパラ開閉会式における一連の騒動によって、「あいつら面白いよねー」つって軽いノリで起用して、問題が起こったらあっさりと切り捨てて責任をとらないでいる人たちの存在が明らかになったこと、そして彼らがカルチャーを大事にしているようで実は使い捨てにしていることがよくわかった。マジでクソである。ついでにいえば、広告代理店出身のクリエイターの限界が見えて良かった。

 小山田氏や元ラーメンズの小林氏を切り捨てた人たちがどのような開会式を作り上げるか楽しみにテレビで観ていたら、ジョン・レノンの「イマジン」が流れてきて、そのわかりやすいベタな感性に感動してしまった。クリエイター最高。閉会式は小田和正さんの名曲「言葉にできない」を流してください。(所要時間30分)

このようなカルチャー論も収録したエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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1984年、あの夏のブラジャーを忘れない。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

はじめてブラジャーを意識した、あの暑い夏の午後を僕は今でもはっきり覚えている。1984年、小学5年の夏休み。街を取り囲む山々の中に、雨上がりの日姿をあらわすと噂されていた幻の湖を友達と探しに出かけたときだ。夏草の伸びた道を男友達3人と幼馴染のSに続いて僕は歩いた。Sは近所に住む小柄な女の子だった。真夏のギラギラした太陽。全方向から降り注ぐような蝉時雨。額をダラダラ流れる汗。いつからそれらは僕のなかで暑苦しく、騒々しく、臭いものへと変わったのだろう。

行く手を小川が遮った。川幅は狭く、流れは遅い。深さは膝くらい。僕らは小川を順番に飛び越えた。僕の番が来た。なかなか踏ん切りがつかなかった。柱に足をぶつけて左足親指の爪がはがれる怪我をしていたのだ。何も知らない悪ガキたちにはただの意気地無しに見えたのだろう。すでに飛び越えた彼らは「こわいのかよー」「ヘイヘイヘイびびってる」と僕をからかった。Sが僕に一生忘れないエールを飛ばしてきた。「(自主規制)」そのエールは今でも僕に勇気を与えてくれている。僕は翔んだ。ハミングしながら前を歩くSちゃんの背中のシャツ越しにブラジャーが見えた。それまで一緒に遊んでいた彼女が一歩先を歩いているように思えた。僕らは幻の湖に辿りつけなかった。

Sとは中学生になってからは顔をあわせれば挨拶をする程度の関係性になった。別の高校へ進学してからは顔を合わせることもなくなった。20代半ばでSは結婚した。僕の家の近くに洒落たつくりの家で彼女は暮らし始めた。紫陽花の咲く庭と大きな外車の停めてある駐車場。旦那さんは長身で少し年下の男だった。彼女の実家は資産家だった。親御さんが娘を近くにおいておくために与えた家だと信頼できる情報筋、僕の母から教えられた。

仕事を終えた僕は毎晩、彼女の家の前を通って帰った。ときどき明るい窓から楽しげな声が漏れてきた。休日の朝は彼女が洗濯物を干すところを何度も見た。ハミングが聞こえるときもあった。もしかしたら聞こえた気がしただけかもしれない。何年か経って洗濯物に小さな女の子向けのシャツが混じるようになった。「子供がSちゃんにそっくりなのよ」と母から聞いた。数年後。30代を迎えた僕はほぼ毎日残業。帰宅は23時。Sの家は暗く静まりかえっていた。若い世帯のわりに夜は早いのだなと違和感を覚えた。大きな外車が見当たらない日もあった。

休日の朝、Sが娘と洗濯物を干しているのを見かけた。目があった。僕らはお互いの無事を確認するように手を振り合った。ハミングはもう何年も聞いていない。今こうして文章にしているけれど、あの頃の時間の中にいた僕は何にも気づいていなかった。あの夏、突然、目の前にあらわれたブラジャーのように、大切なことは知らないうちに起こるのだ。そして気がついたときには僕の手は届かないところにある。

「旦那さんあまり家にいないみたいよ」ハミングを聞かなくなって随分と時間が流れてから、そんな話を聞いた。情報源は毎度おなじみの母だ。旦那は夜遅くまで外にいるらしい。僕にはどうしようもなかった。僕にとってそれは飛び越えるべきあの夏の川ではなかった。年に数回、顔を合わせると僕とSは手を振り合った。母と駅で待ち合わせをしたときSの旦那を見かけた。母から教えられてはじめて彼の顔を知った。見覚えがあった。真夜中、帰宅する途中立ち寄っていたコンビニで見かける顔だった。彼はコンビニの外で飲み物を飲みながら電話をしていた。店先で仲間とバカ話をしていた。あの顔だった。平日の夜、仕事からの帰りに見るSの家はいつも暗かった。休日の朝、Sの家からハミングは漏れてこなかった。

ある夏の日、ちょっとした奇跡が起きた。あの幻の湖を追いかけた日のような暑い夏の午後だった。Sは庭の草木に水やりをするために道に面した生け垣に身を乗り出していたのだ。こんにちは。久しぶり。元気?最近どう?家族とはうまくやってる?まともに話すのは20数年ぶりだ。どんな言葉もふさわしくない気がした。僕はあの夏の日に彼女が口にした過激な言葉を口にしていた。「タマついているか?」「付いているわけないじゃん」と彼女は笑った。バカ笑いだった。僕らはたったそれっぽっちの言葉を交わして別れた(それから10年くらい経ったけれども彼女とは顔を合わせれば手を振り合うくらいで言葉は交わしていない)。

セカンドサマーオブタマキンが起きた夏の日から何年か経って母からSが元気になったと教えられた。毎日、夕方になると娘と楽しそうに犬の散歩をしているらしい。彼女の家の表札は昔の苗字になっていた。車は小さな国産車に変わっていた。彼女はまた川を飛び越えたのだ。実は彼女が川を飛び越えた姿をまったく覚えていない。印象に残らないくらい、軽やかに、何事もなく飛び越えたのだろう。僕らは飛び越えられるのだ。何歳になっても。どんなものでも。そして、あの夏のブラジャーは、いつもギリギリで僕の手の届かないところにあった。(所要時間29分)

弊社におけるDX導入が完全に失敗した件について全部話す。

会社上層部の長老(72)が会議の途中、立ち上がり、ホワイトボードに「DX」と書きなぐったとき、時代の動く音が聞こえた気がした。「DX/デジタルトランスフォーメーション」が前時代的な社風を破壊するイメージが浮かんだ。そして、「デジタル技術で社業を変革させないと生き残れない」という僕たち社員たちの焦りを上層部が理解していたことへの喜びと驚きを隠せなかった。

DX導入の最大の障害は「トップの意識」と言われている。その点でいえば、弊社は最大の障害をはからずもクリアしていたのだ。楽観。余裕。明るい近未来計画が目の前に広がっていった。デジタル技術で顧客からのニーズを先回りしての提案や商品開発。寝ているうちに終わっている新規開発。夢は無限であった。

長老が「DXなくして前進なし」と無駄に達筆なタッチでホワイトボードに書き殴ったときを天国とするならば、その直後の「デ、デ、デ、デラックスなくして前進なし」という声を発した瞬間は地獄であった。「デ、デ、デ、」という発声に躊躇に彼の躊躇と戸惑いを見た。未知のものを既知のものでブルドーザーのように「ドドドドーっ」と踏み潰していく彼の傲慢を見た。「このままではおかしな議論になる」という危機感から末席から訂正を入れようとした。すると僕の隣にいて僕の挙動に気付いた僕と同世代の同僚から「概念が間違っていなければ細かい間違えを指摘することはかえってマイナスになる」と諭された。君の指摘はいい流れを壊すものであると。僕は同僚の言い分を認めて発言をとりやめた。危なかった。木を見て森を見ずになるところであった。

長老は会議室の戸惑いのざわつきがおさまると、「デラックスを導入して顧客第一主義のビジネスを進めていかなければ、今後の厳しい生き残り競争に勝ち残れない」とごくごく平凡なスピーチをした。デラックスにめまいを覚えたオーディエンスたちも一安心していた。その場にいた皆がデラックスをDXに脳内変換して話を聞いていた。皆、優しい。言葉が間違っていても概念さえ正しく掴んでいればいいですよ。DXにゴーサインを出してくださいね。予算を取ってくれればいいですよ。という楽観に基づいた和んだ空気。平和な雰囲気。それらは長老が「我々は豪華でゴージャスなビジネスを志向しなければならない」と言った瞬間に蒸発した。DXがゴージャスになっていた。僕は「やはり止めるべきであった」僕は同僚を睨み付けた。一本の腐った木が森を腐らせるのだ。彼は目を合わせようとしなかった。

長老は「DX」をデラックスと呼ぶだけでなく、「豪華」「ゴージャス」と解釈していた。僕は「ダウンタウンDX」と「マツコデラックス」の人気を憎んだ。彼らの人気が長老の理解と会社の未来を阻んだように思えてならなかったからだ。同時に高齢者層における「デジモン」と「トランスフォーマー」の不人気を嘆いた。もし長老が、デジモンとトランスフォーマーに精通していればゴージャス・ビジネスにまい進することはなかった。「DX」から「デジタルモンスター」「トランスフォーマー」が思い浮かび、そこから「デジタルトランスフォーメーション」と発想がコンボイに乗ったように浮かんだだろう。

トランスフォーマー マスターピース MP10 コンボイVer.2.0

そんな僕の雑な推理はさておき、長老の話は「我々は既存のやり方をそのまま推し進めて、豪華な商品開発を始めなければならない。客単価を上げるのだ」という間違いだらけの「DX/デラックス」構想をぶちあげて終わった。僕はひとつのミステリーに直面していた。偏差値が50ほどもあれば、わからない用語にブチ当たったら「これはなんだろう」というクエスチョンから、調べて理解しようとムーブをキメるのが普通ではないか。なぜ、長老は調べようとしないのか。なぜ、長老はわからないものや新しいものを古いものに寄せてとらえてしまうのか。なぜ、長老は、過去の実績に重きを置き、テクノロジーを受け入れて変革しようとしないのか。加齢による劣化。軽度の痴呆。アルコール中毒。自己保身。スピリチュアル。非科学。不可解。あらゆる謎が頭のなかをトランスフォームしながら現れては消えていった。

謎の正体は長老によって開示された。僕の頭に浮かんだすべての疑惑のハイブリッド型だった。「良いものを仕入れたから本社スタッフ全員に配布してほしい。これでわが社はゼロ・コロナだ」と長老は高らかに宣言した。そして、若手社員によって会議室に運び込まれた段ボール箱のなかにあった大量のこれが、すべてを物語っていた。

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「ストップザウイルス」「速攻で分解したらヤバい粉の入った袋が!」

ディスカウント店で叩き売りされていたらしい。長老こんなものを信じていたのか。大人なのに。役員なのに。「私の自腹だ」という長老の声がしんと静まりかえった会議室に響いた。経費でないことがせめてもの救いであった。デジタルテクノロジーによる社業の変革、DX導入など数億光年先の違う世界の話であった。こうしてわが社の「DX」導入は上司の非科学的スタンスの前に敗北したのである。否、しそうなのである。(所要時間26分)

このようなビジネス事例を掲載したエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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私はコレで会社を辞めました。

25年。中途半端に長くなってしまった僕の会社員生活において、数多のクソな人物やクソな出来事はあったけれども、上司Kの伝説的な土下座から僕の退職に至るまでの1年間に起こった一連のクソオブクソに比べれば、すべて鼻クソである。あえて言おうカスであると。

新卒で入った会社は超有名企業だった。長い歴史を誇る、その名を聞けば誰でも知っている会社だ。僕はその会社のとある事業部付の営業チームに配属されて働いていた。事業部のトップがKである。Kは仕事が出来る人だった。前任者の急死(好人物。残念ながらある朝起きてこなかった)もあって、40才の若さで事業部のトップになっていた。Kは数値目標(ノルマ)さえ達成していれば、細かいことを言わない人だったので、仕事をしやすい上司だった。

伝説のKの土下座を僕は見ていない。「社長の自宅の前で待ち構えていたKが、出勤しようとする社長の前で涙を流しながら土下座をした」「申し訳ありませんと叫んでいた」という伝説めいた目撃情報として社長運転手のいる社長室から流れてきたのだ。伝説の土下座が行われたのは、事件発覚の日の朝であった。朝8時半、僕が出社すると部署のまわりがざわついていた。入社4年目になれば会社員としての一通りの調教は終わっているので、会社で何かが起こっていてもひと目でわかるようになる。

部署のまわりには普段見たことのない人たちがいた。監査部門だった。監査部門は僕の所属する事業部をひとりひとり応接コーナーに呼び出してはヒアリングをおこなった。何か大きな事件が起こったのは間違いなかった。だが見当がつかなかった。昨日まで順調に動いていたからだ。同僚たちも首をかしげるばかりだ。請求担当のベテラン社員I女史が「Kが馬鹿をやったみたいよ」と教えてくれたけれども、馬鹿の中身は知らないようだった。上司Kの右腕的な存在で、親しい仲だったHは、ショックを受けてうなだれていた。

監査部門のヒアリングでは、Kの最近の働きぶりとS社との契約と業務についての情報を求められた。「Kさんからは営業の基本を教えてもらいました」「ときどき飲みに行くくらいの関係です」「S社には何度か請求書を持参した記憶があります」僕は答えた。S社への請求書持参が監査部門のゲシュタポどもの興味をひいたらしく、時期や回数、それを任されるようになった経緯について詳しい説明を求められた。意味がわからなかった。

昼前にヒアリングを終えて整理した情報と、監査部門からの説明とで事件の概要がわかってきた。Kの不正である。KはS社に商品を横流ししていた。価格よりもはるかに低い値で商品を売っていたのだ。それも1年以上にわたって。おかしい。請求書の控えをチェックして入金額と付き合わせて確認していれば、そのようなありえない売買がおこなわれていることなどすぐにわかるはずだ。監査部が必死にゲシュタポのような捜査をしているのは、事件の解明とともに、自分たちの普段の監査に落ち度がなかったことを証明するためであった。クソである。Kの単独ではなく、チーム全体がグルになった大規模かつ巧妙な不正だったために発見が遅れてしまったというストーリーを作ろうとしているように僕には思えた。あえていおうクソであると。

当時、会社は運送運輸の本業を中心に多角経営を推し進めていた。実際、グループ内には多くのビジネスがあった。多角化の流れから完全なる事業部制になり、各事業部内でも様々なビジネスをおこなわれていた。ひとことでいってしまえばカオスだった。僕の所属していた部署は商社から依頼された貨物を輸送する部署で、商社から商品を買い取って販売する卸売もおこなっていた。商品は機械部品・パルプ・飼料等。S社には、北米産の飼料と納品までの物流をセットで売っていた。

KはS社に異常な安値で飼料を売っていた。社内チェックがあるのでそんなことをすればすぐにバレる。だが実際には土下座に至るまでバレなかった。入金があればとりあえず精査しないという緩さをついていた。Kは、正規の値段が記載された請求書と、異常な安値の請求書を作成していた。二重請求である。そして社内(経理)には正規のものをあげ、相手(S社)には偽物の請求書を渡す。当たり前だが入金される金額は社内にある正規の請求書よりも少ない。普通ならここで気がつくが、即座に次の入金がなされて正規の請求金額に達していたので「問題なし」とされていた。これは推測だけれど当時の事業拡大の副産物であまり良くない顧客との取引が増えたことが見落としの一因だったのではないか?「未入金・未回収」「入金遅れ」といった酷い状況のなかでは不自然ではあるものの定期的に入金のあるS社は問題とされなかったのだ。なぜ次の入金が続いたのか?簡単である。続けて請求書の二重発行がされて次の偽請求に応じた入金がされていたからだ。だが正規の請求額との差は大きくなる一方なのでバレるのは時間の問題であった。

 【図解】

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事件発覚の午後にはKの不正の全容と被害額はだいたい明らかになっていた。Kのパソコンからたまたま不自然な請求書をパソコン管理部門が見つけて、それを経理に通報して不正は発覚した。不正はわかる。雑な悪事だ。だが、こんなアホな不正をしたのか?その理由がわからなかった。S社は得をするがKに得はない。不正がバレれば積み上げてきたものを失ってしまう。損しかない。Kと親しくしていたベテラン社員のHさんに心当たりをたずねると「バカなことをやりやがって」と吐き捨てるように彼は言った。

事件発覚の翌日。Kが不正をした理由が判明し、ついでにKをバカと吐き捨てたHが共犯であったことも判明。「バカなことをやりやがって」はKの不正についてではなく、不正がばれてしまったことへの言葉であった。クソである。不正を働いた理由は借金であった。監査部門からそう伝えられてもピンとこなかった。KとHはカネに困った挙げ句、あろうことか出入りしていたS社の社長Mに個人的に借金をしたらしい。返済に困ったクソコンビはまたもあろうことか商品の値引き分を借金返済に充てたというのが不正の全体図であった。クソである。

Kからは取引先には出来るかぎり足を運べと教えられていた。「実際に足を運ぶことで新しい仕事が生まれる」というのが持論であった。だからKが請求書をわざわざ持参するのも仕事に対する姿勢だと思っていた。S社からは現金で回収することがあった。不正の温床だったけれども入金があればいいというムードがそれを許していた。不正の全容が判明!→関わった人間が処罰されてお仕舞い。そう考えていた矢先に監査部門からヒアリングを受けた。クソコンビは出勤した後は連日監査室に軟禁尋問されていた。そこで得られた彼らの言葉の裏を取るためのヒアリングと思いきや「本当にキミは知らなかったのか?」と執拗に詰問された。完全に共犯扱いである。クソすぎた。

Kに頼まれて何回か請求書を持参したことがあった。そこを監査部門は問題視した。挙げる首の数が多いほど手柄になると考えたのだろう。「今日中に請求書を持参しないといけない」と焦っているKに手を貸したのがいけなかった。その焦りはKの職業的責任感ではなく個人的な借金返済のためであった。何回かヒアリングを経て、動機がない僕を挙げることを監査部門は諦めたようだった。生まれてはじめて胃薬を飲んだのもこの時期である。

ここからが本当の地獄だった。連帯責任とははっきりと言われなかったけれども、それまでおこなっていた仕事は他部署に移管されて不正のディティールを明らかにする作業をやらされた。正規の請求と偽物の請求との差額を調べての、納品状況や入金額との辻褄合わせ。偽物の請求書の控えと証拠は廃棄されていたので、納品書と入金状況をベースに不正をした本人から話を聞くしかなかった。

最大の問題は現金回収したカネであった。監査室で軟禁されていた(何もせずに座っていた)Kたちは「細かいことは覚えていない」の一点張りだった。まともに答える気はうしなわれていた。監査部門からは被害額と経緯詳細を明らかにしろと圧力をかけられたので、Kたちへの無駄な聞き取りは続けた。Kからは「忙しそうだな」と他人事のような言い方をされた。怒る気力も萎えていた。

僕と同僚はクソコンビが使っていた社用車から高速道路の領収書を回収した。S社へは湾岸線からアクアラインを使うルートが最短だが、帰り道にはアクアラインを使わずに遠回りして帰ってきていた。本人たちの現金回収の供述があやふやだったので直感から僕は「馬ですか。ボートですか」とストレートに訊いてみた。ビンゴだった。彼らは回収した金を増やそうとしてギャンブルで燃やしてしまっていた。いくらつかったのか記録もない。

僕は彼らに見切りをつけて辻褄合わせをして不正のすべてを明らかにするしかなかった。軟禁されている不正コンビがお互いを罵っているという話を聞かされた。もうどうでも良かった。入社5年目で営業という仕事がようやくものに出来かかっていた時期だったので、不正を片付けて、通常の業務に戻りたかったのだ。絶対に合わないピースの足りないジグソーパズルを気合いで完成させようとしていた。正しい請求書の控えと入金額と現金回収額。それから納品書といいかげんな当人の口述。「この入金の3割は偽の請求書第10号と第11号に該当して…満たない額は現金回収のち消失」という辻褄合わせを延々とやらされた。激しくなるばかりの胃痛に不眠が加わった。

監査部門からは圧をかけられ続けた。S社のM社長と対面することになった。僕のなかではアホな上司を陥れたラスボスだった。くだらない辻褄合わせ罰ゲームをさせられているのも、胃痛も不眠もこいつのせいという憤りをぐっと堪えて挑んだ。相手のほうがずっと上手だった。こちらが切り出す前に請求書と納品書を全部ぶちまけて「うちは御社が出してきた請求書どおりに支払って物を買っただけです」と言った。確かにそのとおりだった。何も言い返せなかった。当時の僕は若くて経験が足りなかった。相手が言い訳に終始するという予測しか立てていなかったのでこういう展開は想定外だった。苦し紛れに僕は反論した。「商品の価格が法外に安すぎるとは思いませんでしたか?不自然だと思いませんでしたか?」「ちっとも」僕の反論はあっさりとかわされた。「勝手に値引きをして安かったから買った。信用?これまで付き合ってきた実績があるから疑わなかった。企業努力で安くしてくれていると思っただけだ。どこか間違っている?」届いた請求書に記載された金額を払った。勉強して安くしてくれたと思った。完璧なディフェンスだった。

僕は個人的な借金について質問した。すると社長は「個人的には金を貸している。でもそれと今回の騒動は無関係だ。私が個人的に貸した金はまだ一銭も返してもらっていない」といって笑顔を浮かべた。Kたちは借金を返しているつもりで不正を働いた。だが返してもらっている側は「返済されている意識はない」と口にしている。Kたちは同情の余地のないバカだが、その瞬間だけ僕は彼らに同情したのを覚えている。おそらく口約束はあったのだろう。だが証拠はない。何も。M社長はKたちよりずっと上手だった。悪い奴とは己の手を汚さないばかりか、悪いことをしているという意識を瞬間的に捨てて過去を改変できる人間のことなのだろう。「忙しいからこのへんで」といって退席する社長をとどめる理由はなかった。あまりにも奴はクソすぎた。キングオブクソ。

M社長から提供された請求書(偽)その他の資料のおかげで不正の流れは明らかになった。現金で合わない金額は、ギャンブルで溶かしたものとされた。KとSは解雇になり、事業部は解散。実際の商品の納品状況と金の流れのつじつまをあわせるためのパズルに苦戦して最終的な報告書をまとめるまでに数か月かかってしまった。事業部が解散となったので一時的に別の部署の下働きをしながら毎日残業してやりきった。営業職に戻れるという監査部門の言葉を信じていた。その数か月間で同じ事業部にいた同僚たちの多くも辞めてしまった。残ったのは僕と転職先を見つけるのが難しい何人かのベテランだけだった。

辞めるほうが正しかったと今でも思う。その頃の僕は胃痛と不眠に悩まされていて、別の環境で働くことを考える余裕はなかった。何よりもクソな不正に負けるのがイヤだった。だから、とりあえず、やりきろう。そう思っていた。最終的には被害額は億レベルに達していた。不正が最終的にどう処理されたのか僕は知らない。それから間もなく知る立場ではなくなったからだ。

事後、僕は別の事業部(国際輸送部門)に異動となり、めでたく営業職として復帰することが出来た。そこでアフガニスタン等々の紛争地帯へ中古の鉄道車両を輸出・運搬するプロジェクトのメンバーとなった。プロジェクトのスケジュールが完成した時点で現地に赴任する予定だった人が突然死して、僕が若さと件の事件を処理した経験からハードな環境に耐えられるという謎の評価から紛争地帯に行かされそうになったとき、「この会社にいるかぎり、あの事件の近くにいたというだけで、負けルートを辿らされる」と気付いて会社を辞めた。それが2000年の1月。そこからは食品・外食業界に転じて現在にいたるというのが僕の雑な職務経歴書になる。

散々な出来事だったけれども、得たものもある。ひとつは会社や上司というものに対する諦めだ。20代のうちに会社や上司に対する理想や希望がなくなったので、絶望することもなくなった。いいかえればタフになれた。退職直後にブラブラしているときにサム・ペキンパーの「戦争のはらわた」がリバイバル公開されていた。「戦争のはらわた」は主人公がクソ上官へのムカつきを爆発させて終わるのだが、最後にベルトルト・ブレヒトの「諸君、あの男の敗北を喜ぶな。世界は立ち上がり奴を阻止した。だが奴を生んだメス犬がまた発情している。」という言葉が引用される。KやSといったクソ上司。Mのようなクソ悪者。監査部門をはじめとした会社全般。目の前にあるそいつらをやりすごしても、また生まれてくる。クソはクソだと諦めて立ち向かって生きていくしかない。僕はブレヒトの言葉をそう解釈して受け取った。腑に落ちてしまったのだ。

そしてもうひとつ。1999年から2000年にかけての先行きが見えない暗黒の会社員生活のなかで、僕は書くことを知った。上司。悪。組織。それらとまともに対峙して頭の中がゴチャゴチャになっていた。それを吐き出すように書いて整理したのだ。書くことで自分の人生を救ったのだ。それからしばらくして僕はウェブに文章を書くようになった。さるさる日記、ライコス日記、大塚日記…はてな。日記サービスを転々として現在に至る。この退職エントリで語った出来事がなければ、もしかしたらこのブログは存在しなかったかもしれない。(所要時間85分)

会社員経験を盛り込んだエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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