Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕は小室圭さんを応援したい。

ニュースで眞子様と佳子様のロイヤル姉妹のエモいハグを見た瞬間、僕は眞子様と小室圭さんのご結婚を祝した。祝したといっても、「しょうがないなあ」という消極的賛成である。もともと僕はお二人の結婚に対して否定的ではない。だから、ロイヤル姉妹のエモいハグは祝すきっかけにすぎなかった。

実は、かねてから小室圭さんに対してある種のシンパシーを抱いていた。圭さんほどのレベルではないが、僕も結婚については周囲から反対をされたからだ。「相手の年齢が…」「ダマされているわよ」とか、今振り返っても、まあ酷い言われようだった。10年経っても、きっつー、と胃が痛くなる過去だ。タブロイド報道によれば、圭さんは金銭問題を抱えているらしい。僕も家族の金銭問題を抱えていた。僕の母親はアグレッシブに挑戦する性格で、仕事と辞めてから悪友と事業を起こしていた。そして飽きっぽい性格と無計画でうまくいかないたびに、出資させられたり、損失を僕が埋めたりしていた。スモールビジネスだったので大きな金額にはならなかったのは不幸中の幸いにすぎない(最近は事業がうまくいっている)。黙っていればバレないのに、母は自己アッピールもアグレッシブに行うタイプの人間。おそらく彼女なりに僕を出来たムスコとして売り込むつもりだったのだろうね、結婚前に嫁さんサイドとの会食の際に、「仕事にチャレンジして大赤字こいてはムスコに助けてもらっておりますのー!」と話しだしたのだ。結果、嫁さんサイドには、僕と僕の家族が金銭的な問題を抱えているような印象をもたれてしまった。

だから僕には圭さんの苦しみが自分のことのようにわかるのだ。もっとも僕は自分の力で家族の金銭的問題はクリアしたけれども。何億何千万という大金であるなら別の話になる。「そんな大金を解決できる人物なら娘を安心して預けられる」と嫁パパから感心されるだろう。だが、それより少ない額の問題をクリアできるかどうかなんて結婚の適正とは無関係である。逆に、僕に娘がいたら「100万の借金を踏み倒せるなんて大人物だ」と娘が連れてきた男を評価するかもしれない。話が少しそれてしまった。金銭問題を、僕は100%完璧に自分の力で解決した。それだけのことだ。世の中には借金をしまくっても夫婦円満な人はいくらでもいる。周りの声に惑わされずに生きていけば良い。

小室圭さんがアメリカの(ニューヨーク州だっけ?)弁護士試験に落ちたことがニュースになっていた。ネットでも大きな騒ぎになっていた。生活の基盤を作れない、結婚無理じゃないか、という辛辣な声もあった。一般人の試験の合否がニュースで報じられることも、それに対して他人があれこれ言うことも、異常である。「負けて嬉しい」重度のマゾでないかぎり、一般的に、試験に落ちることは悔しいことである。それを多くの人に知られることは恥ずかしいことである。一番悔しいのは圭さんだ。悔しいうえ、恥を開示されて、結婚についてあれこれ言われるのは傷口に塩を塗り込むようなものだ。

誰にでも隠しておきたいことがある。もちろん僕にもある。誰にも知られたくない恥や悲しみを知られてしまい、結婚の際に相手サイドから疑念を持たれた経験があるから、なんとなくわかる。僕は、結婚前に嫁さんサイドにEDであることがバレ、「結婚生活無理じゃないか」と言われた経験がある。いってみればEDは勃起試験に落ちたということ。多くの人に知られてしまうのは恥ずかしい。だから圭さんの気持ちがなんとなく想像できてしまうのだ。弁護士試験や勃起試験に落ちても人生を否定されたわけではない。次に頑張ればいい。僕に次のベッドチャンスはないけれども、弁護士試験は何回で受けられるのだ。受かるまでトライすればいい。そして金銭問題で苦しんだ経験を活かして良い弁護士になってもらいたい。金を貸す側に立つのか、借りる側に立つのか、知らんけど。

ひとつ眞子さんと圭さんの結婚会見で気になったことがある。仕方がないとはいえ、眞子さんファーストが強すぎるように僕には見えた。眞子さんを気にして発言と行動。退場するときも眞子さんの後についていく姿が象徴的だ。主導権を取れないのは、相手が相手なので仕方がないけれども、あまりにも従属的、隷属的なスタンスをとっていると、そこから脱出することは不可能になる。僕は、結婚以来、自分が立たない分、奥さんを立たせようというマインドを持って今日まで生きてきた。その生き方は少々間違っていた。自由に生きられなくなってしまった。ウンコを自由にできない、就寝場所はクローゼット、という不自由を強いられている。

圭さんは「愛している」と会見で仰っていた。それは正しい。ただ、愛以外の要素も愛と同等の重さを持ちうることがあるのだ。結婚において大事なものは、愛だけではない。僕の経験からいうともっとも大事なことは、月にいくらお小遣いをもらえるかである。このように残念ながら結婚と金銭とは切っても切り離せないものなのだ。だから金額にかかわらず、金銭関係は出来るかぎりすっきりさせておいたほうがいい。僕に出来たのだから出来るはず。僕は、小室圭さんを応援している。頑張ってほしい。(所要時間34分)

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良い記録が良い創造を生む。

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。今回は、記録と創造について、の部分です。

※※※

「書き捨て」を推奨しておきながら、こんなことを言うのは、少し気が引けてしまうけれども、メモは取ろう。何から何までメモするメモ魔ではないが、残しておきたいというものは必ずメモを取るべきだ。

メモするものは、メモする時点で評価や考えが固まっているもの。読書や映画鑑賞したあとの感想メモ、営業活動後の顧客メモ、仕事で気付いたことのメモなど。そのときに記録しておくべきことを自分で判断して、メモを取っている。

メモを取るものと取らないものの取捨選択がなかなか難しい。一時期、B6サイズのノートを持ち歩いて、何から何までメモを取るようなことをしていた。無駄が多く、現実的ではなかった。自分からすすんで文章を書くようになり、「書き捨て行為」を始めてから、「書く」と「メモ」の分別は容易になった。情報の取捨選択能力が向上したのだ。「文章を書く」は自由に進んでいく「創造」、「メモ」はいったん思考や意識の流れにストップをかける「記録」という基準が構築されたのだ。

・創造と記録「良い記録が良い創造を生む」

文章を書くという「創造」と、メモを取るという「記録」の2つを使いこなすことで、仕事や研究はより円滑にすすめることができるようになる。

メモを取って「記録」することは、知識や経験を言葉によって確実なものにして、創造のための「土台」をつくることである。あるいは、小説を書く際の取材メモや創作メモのような「素材」づくりといったほうがイメージしやすいかもしれない。

それに対して「文章を書くこと」は「創造」にあたる。「創造」とは何もないところを自分の言葉で開拓していくようなものだ。だが、創造はゼロから生まれない。「記録」という土台があってこそ「創造」はなされる。仕事でも顧客のニーズをまとめたメモを眺めているうちに、発想が生まれて、企画や提案に繋がる。「メモ=記録」が正確なものでなければ、良い発想は生まれない。良い記録が良い創造を生むのである。

 

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大きな「創造」には土台となる「記録」=確固たる知識が不可欠だ。小説家の荒俣宏先生が「帝都物語」シリーズのようなスケールの大きな物語を創造できたのは、先生の並外れた知識量という土台があったからだ。「記録」が「創造」を生むのと同様に、「創造」が次の「記録」を生む。「創造」をメモで「記録」することによって、以降は、それを土台にして、より大きな「創造」ができるようになる。このように「記録」と「創造」は切り離せない関係にある。意識してこのサイクルを、使いこなせるようになるだけで、一生使える武器になる。

「記録」と「創造」、「メモ」と「書く」とを意識的に使い分けたほうがやりやすいと思う。思い切って、ツールを分けてみよう。たとえば「メモ」は手帳、文章を「書く」ときは専用のノートを使うなどして、ツールを別にすることで、使い分けと意識の切り替えが同時にできるようになるので試してほしい。ノートは方眼や罫線のないものが、自由な発想を妨げないのでおすすめ。

営業という仕事のなかで、顧客ごとに1冊のノートを持ったこともある。メモ(記録)と自由帳(創造)を兼ねて一冊のノートにまとめて、一つの顧客に関する全てを書いていた。顧客情報だけではなく、その顧客についての思考と発想の断片も書き連ねておいた。商談が順調にすすんで、企画提案の段階になったとき、そのノートを見るだけで、企画のもとになる発想が湧いて出てきた。思考と発想の断片を言葉にしておいたから、具体的な提案に繋がる発想が得られたのだ。100円のノート一冊を書くことで成約にいたったのだから、コスパ最高である。もし、仕事が詰まっているときは騙されたと思って「案件別思考発想ノート」を試してほしい。


漫画『デスノート』に名前を書いた人間を死に至らしめるデスノートがある。僕はデスノートを否定しない。心がスッキリするからだ。でも、デスノートを書いているヒマがあるのなら、メモを取ったほうがいいと思う。それに死神に取りつかれないぶん、健全である。

 

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「何ものにもなれなかった」が口癖の50代知人に復讐されてドン底に突き落とされた。

宮沢賢治は「真の幸福に至れるのであれば、それまでの悲しみは、エピソードに過ぎない」と言った。だが、今を生きる僕らのほとんどは幸せに至る前のエピソードで死んでしまうのでないだろうか。「何ものにもなれなかった」が口癖の元同僚がいる。出会ったときは先輩だったが、別れるときは部下だった人。50代、バツイチ。彼の口から「何ものにもなれなかった」という台詞が出ると「何かを目指したことありますか?」「そもそも何ものって?」「挑戦してないのに後悔するポーズやめてください」と僕が詰問し、彼が「いじめるなよー」とヘラヘラするのがこれまでの飲みのパターンであった。

世間的に飲めるようになったので彼と飲んだ。駅前。チェーン居酒屋。再会に乾杯した直後「就職した会社がブラックでさ」と切り出す彼。就職していたらしい。またうだつのあがらない話を聞かされると憂鬱な気分になる。話を促すと彼は「手取り28万」「営業事務」「正社員」「残業なし」「賞与年3ヶ月」「社会保険完備」と文句を言うように捲し立てた。50半ばで取り立てて才能のない中途採用。同僚は良い人ばかりで楽しく仕事ができているという。どこがブラックなのか。さっぱりわからない。中ジョッキ追加。就職に乾杯。

その理由をたずねると「上司が20才もトシが下だから」という回答であった。その上司は仕事が出来て気が使える人らしく、それがかえってムカつくらしい。「バカっすねー」と笑いつつ、どうにもならないことをブラックの一言で片付けられるなら、それはそれでいいじゃないか、と思った。彼からは自信も尊厳も失われているのだ。かの有名なマイケル・サンデル先生が『実力も運のうち 能力主義は正義か?』で、能力で序列が決定する能力主義は低いところにある者から尊厳を奪い去るから残酷なのだ(要約)と言っていた。「あなたの能力はこうです」「見合った待遇はこれです」という言い訳のできない世界。容赦のない社会。彼はつらい現実から目をそらすためにブラックを利用した。それを僕は否定できない。「人間にはふさわしい場所がありますからね」と僕は言った。「あなたはその程度の人でしょ」という嫌味のつもりだった。ところが彼は「あなたにはもっとふさわしい場所がある」的なポジティブな意味に受け取ったらしく、「そうなんだよー」とビールをガブガブ飲んだ。中ジョッキ追加。ポジティブに乾杯。そろそろ「何ものにもなれなかった」の出番か。

「俺はさー」彼が口を開いた。キター。しかし、彼が続けた言葉は僕の予想とは少々異なるものだった。「何ものにもなれなかったよ。でもこれでいいんだ」そこには吹っ切れた中年男の顔があった。僕は用意していた言葉を永遠に失ってしまう。「何ものにもなれない」という愚痴の先に未来がないことにようやく気づいたのか。そこで「すでに手遅れです」と言うほど僕は鬼ではない。中ジョッキ追加。諦念に乾杯。「俺さ、自由思念になったよ」「今、なんと」霊言的なものか。「自由思念。何ものになろうと考えるのはやめた」そこには他者の目を気にせず自分の誇り高い人生を回復したひとりの中年がいた。僕らは僕らは自身の人生を生きればいいのだ。中ジョッキ追加。自由思念に乾杯。「先輩やっとわかってくれたのですね」言ってから驚いた。20年ぶりに彼を先輩と呼んでいたことに。

「何ものは目指すものではなく、向こうからやってくるものなんだよ」「え?」「だから何もせず何かが向こうからやってくるのを待つことにした」そういうと彼は、ジョブズ、マスク、ゲイツ…現代の世界的成功者の名を挙げ「みんなやってくるものをゲットしただけだ!俺は俺の責務を全うする!」と言ってジョッキを掲げた。付け焼き刃の煉獄さんが哀しかった。たまらず中ジョッキ追加。人生で完敗。彼は他力本願マンになった。能力主義の果てに。死ぬまで何ものにも縛られない自由思念体となって成功がやってくるのを待つのだ。何もない人が何もしないでた待っているだけ。デクノボーすぎる。中ジョッキ追加。宮沢賢治に乾杯。ぼくはこのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう…どうしてこんなにかなしいのだろう…

結局、何も言えなかった。木偶の坊に手向ける餞はない。最後に僕をドン底に突き落とした彼の言葉を締めの言葉としたい。「俺とお前には子供がいない。後世に遺伝子を残せない俺たちは生物的には敗者なんだよ。ルーザーなんだよ」絶望が深すぎて死んだ。中ジョッキ追加。絶望に乾杯。(所要時間29分)

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元給食営業マンが考える学校給食における諸問題の元凶

news.yahoo.co.jp

給食で中学生700人中毒 埼玉・上尾(共同通信) - Yahoo!ニュース

 学校給食では問題がときどき起こるけれども、個々の事案ではなく、それらの元凶ではないか?と僕が考えているものについてお話したい。先日、「〇〇市の学校給食担当ですが御社は給食事業をやっていますか?」という問合せがあった。今の会社にも給食部門はあるので、その旨を回答。その日は「あらためてご連絡します」という事務的な言葉で終了。数日後、同じ役所の同じセクションから電話があり、「来年度の学校給食の見直しをはかります。公正な取引をはかり、よりよい提案によって学校給食の内容を向上させます。貴社は参加しますか?」と言われた。「条件を見て検討します」と答えて、後日、わざわざ郵送で「令和4年度学校給食調理業務調査票」が封書で届いた。会社名、代表者名、所在地、営業担当者名、連絡先、という記入項目のあとに、プロポーザル参加資格が記載されていた。

1.自治体の定める参加資格を有すること 2.〇〇内に本社または営業所を有すること 3.資本金年間売上高 4.事業継続年数 5.過去3年間食中毒事故を起こしていないこと 6.現在〇〇市内または近隣自治体において学校給食調理業務を受託していること。等々。

そして最後に意向の有無に〇を記す欄があった。

要件6で落胆した。またかよ、と。現時点で市内で学校給食調理業務を受託していない業者は参加意向を示しても最初の段階で排除されてしまうことが一目瞭然だからだ。一応、入札を成立させるために門戸をひらいているように見えるが、現業者(現体制)をひっくり返すのはほぼ無理である。だから数十年同じ業者が学校給食を受託している現状があるし、学校給食専門の給食会社が成立するのだ。いい給食を運営しているのではなく、外部が入れない仕組みが構築されているだけなのだ。それが不祥事の元凶ではないか。

十年くらい昔の給食営業マン時代、同様の通知を受け、その点について自治体の担当者に質問したことがある。「これ現実的に新しい業者は入れませんよね」。担当者は「要件を満たしていれば新しい業者様に変更する可能性はあります。金額と提案次第です」という答え。「でも現在受託していないと選ばれませんよね。現業者でほぼ決まりですよね。近隣自治体で実績のある会社にわずかに可能性が残りますけど。形は公募や競争という体裁を取っていることになっていても、これ、ほぼ現業者以外排除ですよね」「そんなことはありません。良い提案があれば」「良い提案といっても提案する段階まで進めませんよね。要件満たしていないからという点で落選でしょ。やめてもらえませんか可能性がないのに、入札を成立させるためだけにウチみたいな会社に声をかけるの」「そんなことはありません」という不毛なやりとりを繰り返した末、エントリーしてみたけれど要件を満たしていないので落選した。案の定、提案や入札まで行けなかったのだ。

なぜ、こういう要件を設定して排除をするのか。学校給食の実績のない会社には任せられないという安全性の観点から、が表向きの理由だろう。実際は、今の体制を変えたくない何らかの事情がある、ということだろう。それが委託受託双方に何をもたらすのかはご想像に任せるが。そもそも学校給食運営は、給食というカテゴリの中で特別難易度の高いものではない(病院給食も求められる安全性は高く、なにより個別対応が細かい。何百規模の病院で個別に食札変更がバリバリあるのを想像してもらいたい)。普通に給食事業を運営できていれば、特段難しい仕事はないのだ。それでも安全性がーという理由で排除していく。ではなぜ、昨今起きている学校給食における事故は何十年も続けている体制で起きるのか。安全なはずではないのか。学校給食は何十年も同じ体制で運営を続けている異常なところが多い。異常であることが異常でなくなっているのが異常なのである。

冒頭の調査票については「ウチが受託する可能性はゼロだから」と思い放置していた。民間企業は無駄なことはしない。当たり前である。放置してたら電話がかかってきた。調査票はどうなりましたか?参加意志や要件を満たしていなくても提出してもらわければ困ります、などと言うので、「ウチは全然困りませんよ。仕事にならないものに力を入れる企業はありませんから」と申し上げた。公務員は無駄なことに力を入れている。からかう気力もないので、すぐに対応します、つって調査票をみて驚いた。メールアドレスの記載があるところにファックス番号が…。実印が必要なんて…。いまどき指定された提出手段が持参か郵送かファックスなんて…。新しく変えるつもりなんてないことが、こういうところにあらわれてしまうのだろう。

いろいろと悪口を並べてしまったけれども、ほとんどの学校給食は本当によくやっていると思う。けれども、ここで述べたような体制を変えない姿勢が、汚職的なものや運営の硬直を招いているのもまた事実だと思う。本当にガチで見直さないことで誰に何があるのだろうね(棒読み)。単純に変化を嫌う昔からのお役所仕事なのかもしれないが…。絶望的なのは、ウチの会社はほぼ全国エリアで業者登録をしているけれども、この調査票のようなやりとりがこの秋ウチだけでも何十件も行われていることなのである。(所要時間28分)

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忌々しい過去に苦しめられています。発端は37年前の友人への残酷な仕打ちです。

消してしまいたい記憶ほど消えない。そして記憶ほど土地に紐づけられているものもない。だから、僕のように生まれてから何十年もほぼ同じ土地で暮らしている人間は、団地裏の電柱を見かけるたびに子供の頃の立ち小便の記憶が蘇えるように、土地や自然、建築物によって葬り去ったはずの過去の記憶が亡霊のように呼び起こされるので、消えていかないのだ。

カシワギくん(仮)との記憶は僕の人生のなかで、今も、消し去りたい記憶ナンバーワンであり続けている。苦い記憶だ。カシワギくん(仮)は小学校のときの同級生だ。彼は性格が穏やかで誰とでもうまく付き合っていた。いい奴だった。ファミコン。草野球。ドロケー。小学5年の放課後は毎日のように遊んだ。カシワギくん(仮)とは何から何までうまくいっていたわけではない。彼は女の子から人気があってムカついた。草野球のあと立ちションをしたときに横目で見た彼の大きさにムカついた。彼は友人であると同時に僕の仮想敵であり目標であったのだ。

カシワギくん(仮)は小学5年が終わる直前の中途半端な時期に引っ越した。親の仕事の都合と聞かされた。引っ越し先は県内だった。スマホもインターネットもない昭和50年代の小学生にとって、隣りの市は外国のようなものだった。引っ越してから間もなくして、どういういきさつでそうなったのか思い出せないけれど(おそらく共通の友人が手配をした)、彼の新居へ遊びに行くことになった。ボンクラ友人二人と最寄駅で降りてバスに乗って数十分。世界の果てにあったカシワギくん(仮)の自宅は屋根も壁も錆びた波板トタンで出来ていて、立ちションをかけたら倒れてしまいそうに見えた。中に入ったとき、僕は取り返しのつかないことを言ってしまった。「この家、クサい。トイレのニオイがする」。同行の友達も同じような感想を言った。今思い出しても残酷な仕打ちだったと思う。それでもカシワギくん(仮)は、「だろー!ウチのトイレさー穴があいているだけなんだよ」と笑って、汲み取り式トイレを見せてくれた。カシワギくん(仮)が前に住んでいた駅前の家は小さかったけれど洋風でトイレも洋式だった。そのとき僕は、親の仕事の都合というのは、決して良い出来事ではないと知った。なんとなく後ろめたい気分になりカシワギくん(仮)とはそれきり遊ぶことはなかった。別れ際の「また来るよー」「じゃーねー」の声は、残酷なトイレ感想とともに汲み取り式便器の穴に吸い込まれて永遠に消えた。

その後、30年以上、カシワギくん(仮)と僕の人生は交差しなかった。何年かに一度くらいの頻度で彼のことを思い出すこともあった。でも、コンマ数秒後には、世界の果てのような場所に立っている波板トタンと汲み取り式便器が連想され、かつての自分の残酷な仕打ちが蘇ってきて苦しくなった。何十年も前の大昔に僕が別れてきた子供たち。子供が背負うべきではないものを背負った彼らが今何をしているのか。ちゃんと生きているのか。ときどき考える。どうか生きていてほしい。沈まなければいい。そう祈るのは僕の貧困な想像力が彼らの明るい姿を想像できない申し訳なさからだ。無邪気が言い訳にできないほどの、かつての己の残酷さへの懺悔からだ。だが、ここで告白しよう。カシワギくん(仮)との子供時代のセピア色になりかけの記憶は、汲み取り式トイレの臭さをともなった苦いものではあるけれども、首を振って消してしまいたい記憶ではない。消し去りたい記憶ナンバーワン、それは少し未来にあった。

数か月前、カシワギと再会したのだ。再会とはいえない。たまたま見かけただけにすぎないからだ。カシワギは子供の頃の顔のまま、僕が想像した通りした中年のオッサンになっていた。普通の人のよさそうなオッサンで地元で暮らし、ジャージ姿で黒いミニバンに乗っていた。想像通りの外見。想像とは何百光年も外れた姿もあった。カシワギはセクシーな女性、20代と思われる若く、露出度の高い服をお召しになった胸の大きな女性と腕を組んでいた。ちがう。このオッサンはカシワギではない。僕の想像力なんてあてにならない。他人の空似ってあるんだよね。否定したい気持ちは消えた。若い女性が甘い声でカシワギの下の名を呼んだのだ。その声に応じて女性の尻に移動する柏木孝(48歳)の手…。カラダをベタベタと密着させてお互いの股間や尻を撫でながらコンビニへ入っていく柏木とギャルの姿が、恨めしさと羨ましさとでごちゃごちゃになて、それ以来、数か月間、僕の頭から離れない。汲み取り式便器にこびりついていたクソのように消え去らないままなのだ。(所要時間27分)