Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

うまい文章を狙わない。

インターネットが普及して、プロから素人まであらゆる文章を閲覧できるような環境になった。それに対する評価や批評も、簡単に読むことができるようになった。

評価が可視化されている。そして、評価を気にするあまりプレッシャーとなって、「うまい文章を書かなければいけない」と考えるようになってしまう。それが、「文章を書きたい」という欲求を押し潰し、「うまい文章を書かなければならない」問題を生み、「技術重視人間」を爆誕させてしまう。最悪なことは技術の〝拙さ〟を理由に、想像力へリミッター(制限)をかけてしまうことだ。

善意から「良かれ」と思って安易に技術を教えるのは、慎重になったほうがいい。子供が描いた絵は自由で、可能性を感じさせるものが多い。大人たちは、「こんな色使いはできない!」と感心する。どんな和製ピカソが爆誕するのだろうと期待しながら、熱心に教える。次に会ったときは、さらにうまい絵を描いている。構図や色使いが洗練されている。「なかなかうまい絵を描くなー」と褒めながら、その絵に、可能性の縮小を見てしまう。そして数年後、絵画教室に通っていた天才ともてはやされた子供は、あれこれ教えられることに嫌気がさして、絵をヤメてしまっていた。かつての僕である。

 技術を伸ばすための手段には助言と指示がある。

助言と指示の中から自分に合ったものを、取捨選択していくと良い……と言葉にすると簡単だが、なかなか難しい。「素質のあるバッターが、複数のコーチからのアドバイスを自分で取捨選択して取り入れた結果、ベストフォームを見失って大成しなかった」という話がある。「良かれ」と思ってなされるアドバイスのなかには合わないものがあるし、「合致する」と思ったアドバイスでも実際には自分には合わないものがあるからだ。

    書くという行為は個人的な行為なので、万人に効果のある万能薬的な技術は存在しない。多くの人に効果の認められる方法であっても、ある個人には合わなくて、最悪、逆効果になるケースもある。今、持っているベストのフォームを邪魔しないように、慎重に技術を身に付けていこう。そのためには自分の立ち位置と現状を認識して、進んでいる方向に合う技術かどうかという視点から取捨選択していくこと、そして、選んだものが「これは自分には合わない」と気付いたらさっさと切り捨てていくことが必要だ。技術に踊らされないことが大事。これは文章だけでなく、人生にも言えることだ。書くことを通じて、人生のベストフォームを見つけよう。

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。Amazonで予約できるようになりました。

 

ネタ探しをしてはいけない。

Q.「ネタはどうやって探せばいいの?」

 

A.ネタ探しで困る人が多いらしい。検索すれば「ブログのネタ探しのコツ」といった記事はたくさん見つかる。僕はネタ探しをしたことがない。血眼になってネタを探すほどの熱量を持ち合わせていない。

書くことは自己表現だ。自分のなかにあるものを自分の言葉で表しているのだ。つまり書くものは常に自分のなかにある。普段の生活で吸収して自分のなかで熟成したものを文章という形に変換して吐き出しているにすぎない。

どんな物語も日常から生まれている。ミステリー作家は名探偵コナン君のように、殺人現場に居合わせていない。日常生活で集めた素材を想像力をもって加工してミステリー小説を執筆しているのだ。外部から刺激を受けて書くこともあるが、それでも刺激に反応した自分のなかにあるものを書いているので、自分のなかにあるものをあらわしている点で同じだ。

ネタ探しをする意識は、書くものの素材を集まるうえで、弊害になるとさえ考えている。「ネタを探すぞー」という意識で世の中を歩いていると、ネタになりうるような、目立つもの、面白いもの、奇抜なものに、目がいってしまう。SNSで多くの人にシェアされて流れてくる「こんなんありましたよー」的オモシロ画像のようなものだ。逆にいえば、わかりやすく、誰でも見つけられるものだ。

「ネタを探す」という意識で世の中を見ていると、ネタ探すフィルターを通過してきたものしか残らない。そのフィルターの目は粗い。僕はそのフィルターから落ちてしまった細かいもののなかに、誰にも見つかっていないホンモノのネタがあると考えている。

日々の暮らしのなかで思ったこと、考えてみたこと、そういうカタチになっていないぼんやりとした思考を、書くことで自分の言葉に落とし込んでいく。その継続が、誰にも見つけられない、思いもよらないネタをもたらすのだ。つまり、なんてことのない日常のなかにこそ、宝物は潜んでいるということ、そのことに気づいてしまうとネタは無限大にあるので、ネタ探しはいらなくなる。

◆キーワード 「ネタ探し」はホンモノのネタを見落とす危険性があるから、しない

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。Amazonで予約できるようになりました。

 

「読みたいもの」は書かないほうがいい。

「読みたいもの」を書くことは、おすすめしない。読みたいものを意識することは、書くうえで邪魔になりうるからだ。

なぜなら「読みたいものを書こう」と言われれば、世に出ていない未来の傑作ではなく、「誰々のあの作品」と具体的な作品を思い浮かべてしまうからだ。僕ならばナボコフの「ロリータ」やヘミングウェイの短編、最近の作品だと「鬼滅の刃」を思い浮かべる。どれも卓越した素晴らしい作品であることに異論はないだろう。

だが、これらはすべて、過去に誰かの手によって生み出されたもの。「ああいう作品をものにしたい」と憧れるのは大いに結構。だが、「読みたいもの」を意識して、過去に縛られることはない。むしろ、できる限り「読みたいもの」から自由になって、書きたいものと向き合うようにするべきだ。たとえどんなに偉大な作品であってもそれは過去のものなのだ。

「読みたいもの」は、優れた文章であり、憧れの対象。三島由紀夫のような文章に憧れて目指すのは大変結構だ。だが、文章を書くときは、可能な限り意識から排除しよう。「三島のような文章を書きたい」という気持ちが強すぎれば強すぎるほど、自分の言葉への変換から純粋さを失わせるノイズになる。「自分ならこうやって書くけれども、三島はこんなの書かないよな」というバイアス(先入観・思い込み)がかかってしまったら、最悪である。

「読みたいもの=評価した文章」は、わざわざ意識して思い浮かべなくても、すでにあなたの血肉になっている。影響下にある。だから遠ざけて、忘れてしまうくらいの意識と距離感で付き合うくらいでちょうどいいのである。

仕事や研究など生活においても、憧れの存在や目標があったら、すでにその影響下にあるのでわざわざ意識する必要はない。過剰に意識することで憧れの人のモノマネになってしまう。あなたの人生はあなただけのものである。前例のない、完全オリジナルな、自分だけの人生を生きよう。

書くときに、読みたいものを意識しない。読みたいもの、憧れの文章は、北極星のように、はるか遠くにあって、僕らを導いてくれる存在なのだ。僕らは読みたいものから、もっと自由になって、書きたいものを書くべきだし、そう生きるべきだろう。

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この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される『神・文章術』からの先出しです。

 

導入10ヶ月で見えてきたインサイドセールスの弱点と改善策について全部話す。

僕は食品会社の営業部長、効率化と属人性排除を目的に、営業部門の仕事の在り方と組織を改めている。1人で案件の発掘から制約までをおこなう従来の営業に限界を覚えたからだ。エース営業マンの独力とカンに頼った昭和からの営業スタイルはこれからは通用しないと考えたからだ。25年間の営業マン人生を経て、優秀な営業マンというものは存在しないという前提から考え直したかったのだ。

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▲当時の図

そこから「アポ取りの外注化」「営業のチーム制」を経て、今年の頭から、見込み客を電話とメール中心の営業で有力案件まで育てて営業チームに渡すチームを新設した。いわゆる「インサイドセールス」である。(ここまでの話は→)属人化を排除した結果、「あなたはいてもいなくても同じ」と部下に言われた。 - Everything you've ever Dreamed

正直、これが想定以上にハマった。うまくいった。

新型コロナの影響や、退職にともなう人員減といったマイナス要素があっても対前年同月比で平均120%の数字をあげていた。インサイドセールスは在宅勤務との相性が良かったのも幸いだった。新しいやり方が浸透して成熟していけばもっと結果は出せると考えていた。ところが…。

残念ながらそうはならなかった。6月上旬から数字は伸びなくなり、横ばいを続け、9月になると対前年同月と変わらない数字に落ち込んだ。これでは意味がない。コロナが落ち着いて経済活動が戻ったときに置いて行かれてしまう。

傾向が明らかになった6月の終わりから分析した結果、原因(と思われるもの)に行きついた。有力案件の精度だ。インサイドセールスから営業チームに渡した有力案件の中に有力とはいえないものが含まれていたのだった。そういった案件を渡され対応した営業チームにロスが発生し、それが停滞につながっていた。

たとえば「有力案件と思って面談した相手が購買意欲ゼロだった」といった事案も起きていた。有力案件ではない有力案件、偽有力案件を抱えて、「いちおう客だから…」とそれを無視することも出来ず、本物の有力案件に注力する時間と労力を損なわれていた。大きな営業部隊なら多少のロスでもマンパワーで持っていけるが、ウチのような比較的小規模で余力のない営業組織だとロスは致命的だった。

インサイドチームの上げる有力案件の精度が原因ということは、案件の見極めが甘いということを示していた。ここで担当者を呼び出して注意をしても根本的な解決にはならない。僕は人の問題ではなく、インサイドチームに課したノルマと目標設定に問題だと考えてみた。

インサイドチームにも営業チームと同様の「月何件の有力案件を育てる」というノルマを課していた(実際には業種や規模や想定売上といった目標も定めていたがここでは割愛)。インサイドセールスにかかわるスタッフに、そのノルマ設定では正しいものではなかったと反省している。海のものとも山のものともつかぬ案件を有力案件にまで育てるのは至難だ。易々と出来るものではない。一方でノルマはある。そのノルマを達成するために、有力案件のレベルに達していない案件を有力案件として営業チームに渡すという事態になっていた。過去の活動履歴を調査し、偽有力案件のあげられている時期が月末が迫っている時期に集中していることから気付いたのだ。

早速、インサイドセールスチームに課しているノルマや目標の見直しに取り掛かった。月ノルマではなく中長期スパンにすること。有力案件の数ではなく質で評価をすることなど等々。中長期スパンで見ることはもとより、案件の数ではなく質で評価するとなると成約に至るまで評価がかたまらないため、この新しいノルマ設定が適正なのか判定するにはまだ少し時間がかかる。そのため残念ながらまだ最適解は見つかっていない(ある程度稼働させて検証する必要があるため)。

だが現場は動いている。そして僕は営業の責任者なので解決を見える化して示す必要があった。もっと具体的に。書籍やネット記事で調べてみた。インサイドセールスの利点や将来性についてのものばかりで、僕が求めていたトラブルシューティングはなかった。だから自分で考えていくしかなかった。限られた条件で、効果のある、短時間でできる対策を僕なりに考えた。

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▲案①

まず思いついたのはシンプルなものだ(案①)。インサイドセールスチームから渡された営業チームは精査した結果有力案件に満たないものをインサイドセールスチームに差し戻すというルールをつくるというものだ。この方法は組織上大きな変更点がないということ、即導入できるという利点がある。

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▲激怒する客の図

その一方で、一度紹介して引き継いだ営業担当者を短期間で再度元の担当者に戻すという、客視点でみると「たらい回し」感がどうしてもぬぐえないこと、営業チーム内で精査すること自体が負担になりかねず、営業チームの有力案件に注力するというコンセプトに相反すること、そして「なんで俺があげた案件が差し戻しなんだ」「こんなの有力案件じゃない」というチーム間の不協和音になりかねないリスクがあること、等々のデメリットも考えられた。

 

そこから発展させて次に考えたのが、インサイドセールスチームと営業チームのあいだに精査役を置く案2。インサイドセールスチームから上がってきた有力案件をいったん精査役が受けて、合格なら営業チームに渡してダメなら差し戻すという案。

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▲案2

これならインサイドセールスチームと営業チームに今以上の負荷をかけずに、客にたらい回し感を持たれる危険性を回避できる。チーム間の不協和音にも発展しない。問題は精査役を任された者は、時間に追われるうえ、差し戻しによってヘイトの対象になる可能性があることであった。ひとことでいえば精査役は憎まれ役になってしまう。問題はあるけれども、案2を採用。そして、先月中旬から精査役を一名設置して営業組織を回している。今のところは順調で営業から「全然有力案件なんかじゃないっすよー」という声はなくなっている。もっとも精査役を務めている者は関係者から「もっと速く対応して」「なんで差し戻しなんだよ…」というヘイトの対象となっていて胃に穴があきそうな思いをしている。まあ、精査役をやっているのは僕なのだが。

インサイドセールスは流行っているけれどもまったくもって万能ではない。ここで挙げたものとは異なる問題が起きる可能性はある(業種や規模の違いで特性があるので)。これにかぎらず仕事において問題や課題が見つかったとき、迅速にその原因を見つけて、解決策を見つけることが大事なのは当たり前である。それと同じくらい、原因と解決策をチーム全体に分るように提示して、納得のうえで前に進めていくことが大事だと僕は思うのだ。それさえ出来れば多少の停滞はあっても結果はついてくるだろう。僕はそう考えている。(所要時間48分)

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「ブレない」を否定する。

昨今、ブレない生き方が称賛されている。僕のようにズブズブにサラリーマンとして生きていると、「これからはブレない生き方じゃないと突き抜けられないっすよ」という若者たちの軽口を、忸怩たる思いで聞くばかりである。元々、我々日本人の多くは、主や己の信念に殉ずるブレない生き方を称賛してきた。楠木正成。真田幸村。若者よ、「ブレない」はじつは古い価値観なのだよ。

「ブレない」がモテはやされるのは、一点突破、最短距離、直結、スピード感といった結果にコミットする、ポジティブなイメージがウケているからである。トレーニングジムが「我々の提供するダイエット・プログラムはザ・まわり道です」という事実に即した宣伝を打ってもウケないだろう。

「ブレない」は目的や目標に向けて一直線に突き進んでいく生き方だ。強いて言えば、その直線上にない可能性を見逃がしている。見方を変えれば、ブレて、最短コース上にない可能性を拾っていったほうが人生は広がる。また、チャレンジやトライ、試行錯誤といった脇道で得られるものを見落としている。「ブレない」には、そういう弊害もあるように思える。

たとえば、任天堂は、最新の技術に飛びつかずに、既存の技術を組み合わせて(ある種のブレである)魅力ある商品を市場に出している(横井軍平さんで有名な「枯れた技術の水平思考」と呼ばれている)。その結果、新型コロナ禍でも過去最高の業績を出している。既存の技術を工夫することは、「最新技術へ一直線」という姿勢ではなく、余裕を持ってまわり道をしながら、できることを探しているスタンスがあるからできることだろう。それでいて、「娯楽としてのゲーム機に徹する」という方向性は一貫している。その点においては、頑なにブレていない。

また、業績を求めて突っ走るあまり、従業員の人間性や環境をないがしろにしてきたブラック企業も、一直線に突き進むことの弊害の現れだろう。ブラック企業のトップが、業績追求からブレて、従業員の労働環境に目を向けていれば、そのような事態にならなかっただろう。

「ブレる」を、「右往左往」や「まわり道」とネガティブにとらえるのではなく、「可能性を広げる生き方」とポジティブにとらえよう。ブレない生き方とは、ゴールがしっかりと見えているからこそできる生き方だ。実際、正確にゴールが見えている人がどれだけいるだろう? そもそも、ゴールが見えなくても前に進んでいかなければならないから僕らの人生は難しいのだ。

僕らは、ゴールを探しながら歩いている旅の途上にいる。その旅の途中で出会えるものを味わいつくすように、ブレる生き方を肯定できれば、前向きに生きていける。無駄な人生などないのだ。

ある程度の方向性を持って、ブレながら、軌道修正を重ねて進んでいこう。世界観が構築されていれば、過ちや失敗にもいちはやく気付ける。世界観は人生を歩んでいくための方位磁石である。書くことで、正しくブレながら楽しく生きられるようになる。

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この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。