Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

神奈川県における新型コロナ感染自宅療養について経験したこと全部話す。

私事だが新型コロナに感染して10日間自宅で療養生活を送っておりました。明日から復帰である。感染して発症したものの、不幸中の幸いで軽症で済んだ。感染したタイミングがたまたま神奈川県が方針を変更したときと重なって、自宅療養をどうすればいいのか(届け出等)試行錯誤したので、のちのちの参考のために僕の経験をここに残しておきたい。

0日目(発症)

2022年1月29日土曜日。就寝前に歯磨きをした際に喉に違和感を覚える。たまたま、昼寝をしたときにイビキをかいていた(奥さんに「うるせー」とケリを入れられた)ので、「喉が枯れたのではないか?」とそのときは思った。それくらい「よくある」喉のイガイガだった。いつもなら龍角散をキメているレベル。振り返ってみると、これが一連の出来事の発端だった。もうひとつ、仕事が重なって疲労が溜まっていたのも感染の要因であったと思う。とにかくノドの不調に要注意だ。

・体調の変化に注意(僕の場合はノドの違和感)

 

1日目(症状が強くなる)

1月30日日曜日。早朝5時。人生で感じたことのないレベルの喉の痛みで目覚める。唾液を飲むだけで激痛が走る。火傷のような激痛と、ヒリヒリした痛みがしばらく残る感じ。この時点では発熱や頭痛、咳はなし。声が出なくなる。同居する奥様にガラ声で「だぶん(コロナに)ががっだ」とカミングアウトして部屋にこもる。会社から支給されていた抗原検査検査キットで陽性判定。奥様は陰性判定(症状もなし)。その後しばらく喉の痛みにもだえ苦しむ。寝室が別で良かった。

午前8時すぎ。神奈川県のホームページに「まずはかかりつけ医に相談」と書かれていたので電話をするものの残念ながら休診。管轄保健所への電話は繋がらず。諦めて、神奈川県のコロナ関連のホームページに記載されていた相談窓口に電話をする。対応してくれた男性(おそらく中高年)は何を聞いても「私は医療従事者ではないのでお答えできません」「管轄保健所にお問い合わせください」しか言わなかった。この窓口に何の意味があるのかよくわからない。好意的にとらえれば、喉痛に耐えて必死に話しているうちに冷静さと思考力を取り戻すことが出来たことくらいだろう。あくまで市民ひとりひとりが責任を負う…これが神奈川モデル…。

昼過ぎから微熱と頭痛に悩まされる。激しい喉痛は変わらず。体温37.5度。奥様から「しんどくても食べないといけない」と言われ、強引にパンを小さくちぎって食べるが、喉を通過するたびに、電流イライラ棒をつっこまれたような猛烈な痛み。パンを諦めてゼリーを食べる。ゼリーは食べやすいのでおススメ。あとプリンも。だるいので早めに就寝。なお、僕はリビング、奥様は寝室で家庭内別居体制。キッチンダイニングは基本的に使わず、トイレや風呂をつかうときは、使用後に取っ手や触れた箇所を消毒。一日に着た服はすべて洗濯するなど出来ることをする。食事はもともと別にとることが多いので功を奏した…。

・生活スペースを分けて、共用スペースの消毒の徹底等。
・非常食は役に立つ。
・保健所はつながらない

 

2日目
1月31日月曜日。自宅療養2日目。朝。熱が高くなる。38度。それにともなって頭痛と悪寒、喉痛は一段階強くなる。息が通るだけで「ぐわー」と身を悶えてしまうくらい。会社に連絡を入れる。保健所とコンタクトを取って復帰時期の見通しが立ってから連絡をしたかったが仕方がない(保健所つながらず)。会社の規程で自宅療養になるのに、「自宅療養は在宅勤務だろ?」と上役(高齢上層部)から謎の言葉をぶつけられる。軽度の認知症だろうか。反論したかったが、こんなことで体力をロスして免疫と抵抗力を失い症状を悪化させるわけにはいかないので断念。

9時半。かかりつけ医に電話が繋がる。数日間は予約でいっぱいのため診察は出来ないとのこと。そのかわりに提携している医療機関を紹介され、そこで翌日午前10時の発熱外来とPCR検査の予約を取る。この時点まで保健所に何回か電話をかけていたが、医療機関とコンタクトできたことで打ち切る。体調は悪化。38.5度まで上昇。喉の痛みで水分と栄養を補給できないのがしんどい。布団で横になっているうちに寝落ちする。風呂に入るのは無理だった。

・かかりつけ医は重宝する。
・保健所は繋がらなかった。

 

3日目(PCR検査で陽性判明)

2月1日火曜日。自宅療養3日目。朝。熱は下がる。37.8度。頭痛と喉の痛みもいくぶんやわらぐ。倦怠感は少々。車で紹介された発熱外来へ向かう。指示された場所で車で待っていると防護服を着た看護師が対応してくれた。ドライブスルー方式で簡単な問診とPCR検査と薬の処方(4日分)。人生初のPCR検査であるが、棒を鼻の奥の奥の奥まで突っ込まれて苦しかった。結果は当日15時すぎに電話連絡をくれるとのこと。PCRの結果って時間がかかるものだとばかり思っていた。

ただし、検査数が多いので連絡が遅くなる可能性はあることを了承してほしいとも言われた。また、陽性の場合は病院からは間違いなく保健所に連絡しているので保健所からの連絡が遅れたときは保健所サイドの問題であることも強調された。きっとトラブルが起きているのだろう。帰宅して夕方まで待っていると16時すぎに医療機関から連絡があった。結果は陽性。保健所には連絡を入れておくので、保健所の指示に従ってほしいと言われた。ただし、保健所は混雑しているので連絡が遅くなる可能性はあるが我々は間違いなく連絡を入れているので心配しないように、と、朝と同じ話を繰り返される。どれだけ保健所は混乱しているのか。大丈夫か神奈川モデル。

職場に連絡して経緯と検査結果を説明した。上役(会社上層部高齢者)が自宅療養と在宅勤務を混同しているうえ、PCRを受ければ治るものだと思い込んでいることが判明。疲れるので話を打ち切った。夕方、ふたたび発熱したり、だるかったり。軽い症状は続いた。風呂に入ってから横になるが、カラダを動かしていないせいか、深夜まで眠れなかった。

・PCRの結果は当日中に出た(陽性)
・保健所への届けは医療機関から(保健所はつながらない)。
・保健所からの連絡が遅れがち。

 

4日目(保健所からコンタクト)

2月2日水曜日。自宅療養4日目。朝。熱は37度弱。咳と軽い喉の違和感のみ。少し身体を動かすと関節が痛むのでパソコンで文章を書いたりゲームをしたりして過ごす。症状がおさまっているのは処方された薬が効いているだけかもしれない。ネットで調べてみると僕は47才で基礎疾患がないので、神奈川県が推し進めている「自主療養」の対象になることもできたらしい。抗原検査キット等の判定だけで「医師の診察なし」で自宅療養に移行するシステムで、食料や薬の調達は自分でやらなければならないという素晴らしい仕組みだ。

保健所からの連絡はこの日の夕方5時前にあった。実に発症から4日が経過している。連絡があったときは症状はおさまっていた(ときどき咳がでるくらい)。現在の症状と経緯を確認された。時系列で症状の変化と現在の状況になるまでを説明。

職場復帰については、29日を発症日として(0日目)、10日経過後の翌日(2月9日)から可能とのこと。ただし、自宅療養最後の3日間(2月6~8日)で症状がでないことが条件になる。奥様(濃厚接触者)については僕より3日間短い2月6日から復帰可能ということになった。

あと食料品や日用品の買い出し調達は必要最低限で会話をしないならオッケーらしい。陽性者である僕でも公共の場所へ出かけられるのね…。つか保健所サイドで食料を手配するという選択肢は提示されなかった。市民ひとりひとりの無理と自己責任が神奈川モデルを支えている。僕のような症状の軽い陽性者が市中を歩き回るのはある程度仕方ないということなのだろう。見た目健康より「バイオハザード」のゾンビみたいにわかりやすいほうが回避できて良い気がする。誰が感染しているかわからない…リアル・人狼ゲームみたいだ。

LINEへの登録を要請されたので登録してみた。これで保健所から毎朝電話ではなくラインで健康チェックがされるらしい。現代的で素晴らしい。この日は症状もほぼなかったので、家庭内でのディスタンスを保って生活した。トイレと風呂がとにかく大変。奥様にはすべてが終わったあとで何らかの褒美を考えなければならないだろう。

・保健所とコンタクトできたのは発症4日目。
・発症日を0日として10日経過後の翌日から復帰可能とのこと(ただし療養ラスト3日間に症状がないことが条件)。
・家族(濃厚接触者)の自宅待機は感染者より3日短い。
・食料品や日用品は自分で買い出しオッケー(サポートはなし)。
・検査キットが送られてくることもなし。
・ライン登録を要請される。

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▲ライン登録。

 

5日目(ラインのやりとり始まる)
2月3日木曜日。自宅療養5日目。朝。熱はなし。症状もほぼなし(咳がときどきでるくらい)。油断大敵なので、家庭内ディスタンス体制は保持する。別室生活。触れたものは消毒。1時間おきの換気等々。もともとソーシャルディスタンスをとった夫婦生活をしていたとはいえ、奥様に感染による症状が出ていないのは予想外であった。食事も別。会話最小限。ことあるごとにファブリーズを噴射、アルコールで除菌という彼女の常日頃からの生活スタンスがウイルスを打ち負かしているのか、それとも持ってうまれた免疫力の強さなのか、狭く限定されたマンションで2人暮らしなのに、よくわからない。

僕は病院で診察と検査を受けたときをのぞいて一歩も自宅から出ていない。体調もほぼ元通りである。はっきりいって元気である。変調といえば、アダルト動画を視聴する気力は失われてしまった。以前インフルでたおれたときは、朝から晩まで猿のようにアダルト動画を視聴した。これがオミクロンのせいなのかは研究の結果を待ちたいところだ。そうそう、あまりにもヒマなのでリスタートしていたドラクエ3でゾーマを倒すところまでやった。ドラクエ3といえば転職と賢者だけれども、まさかコロナで賢者モードになるとは…。

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保健所で登録した神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。パルスオキシメーターはありますか?いいえ。それだけー。どんだけー。期待していたのとはちょっと違うが、おそらくAIで学習してよりよい対応がなされていくのだろう。それが全国の先を走る神奈川だから…。

・症状がなくなると自宅療養は退屈さとの戦いになる。
・保健所からの電話確認はない。ラインで健康確認をしているからと思われる。
・パルスオキシメーター

 

6日目(そんな装備で戦えるのかとゴーストが囁いている)
2月4日金曜日。自宅療養6日目。朝。症状はなし。油断大敵なので家庭内ディスタンス体制は継続。元気だ。元気ではあるがあらゆる欲望がなくなってしまった感がある。まったくアダルト動画な気分にならな。先日ネットニュースで見かけたコロナ感染でアソコのサイズが小さくなるという報告と相関関係はあるのだろうか。続報を待ちたい。

昨日は暇すぎたので本日行われる予定である会議向けの資料を作成した。自宅療養中に仕事をしていると会社の上のほうがますます在宅勤務と混同するのでもうしないことにした。というわけでヒマつぶしも兼ねて発症からの記録としてこの文章を書き始めた。やることないので始めたドラクエ3で隠しボス『しんりゅう』に挑戦するも全滅。この何もない、部屋にこもっている生活はネガティブにとらえがちだが、定年退職後の毎日サンデー状態の予行練習だとポジティブにとらえることにした。職場復帰したいというよりは、自由に動き回りたい。本日の神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。

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パルスオキシメーターはありますか?いいえ。もはやエルシャダイのそんな装備で戦えるのかみたいだ。

・高齢者に在宅勤務と自宅療養のちがいを理解させることの難しさ。
・パルスオキシメーターは届くのか。

 

7日目(パルスオキシメーターをください)
2月5日土曜日。自宅療養7日目。朝。症状はなし。平熱。処方された4日分の薬(咳・痰・痛み止め)が終わる。換気をしたときなど、室温に変化があると、咳が出てしまうくらい。この咳がおさまらないと復帰は難しいだろう(保健所からも復帰予定日前三日間に症状がおさまっていることを復帰の要件にされた)。

布団からでてリビングでボーっと安静にしているのはつらいものがある。五輪中継があってよかった。ヒマつぶしにはなる。本日の神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。

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パルスオキシメーターはありますか?いいえ。いえ。このやりとりからパルスオキシメーターが送られてくるようなことがないのがワンダー。これが神奈川モデル。

・パルスオキシメーター

 

8日目
2月6日日曜日。自宅療養8日目。朝。症状はなし。平熱。ほぼほぼ健康、元通りの体調に戻っている。一週間ほとんど歩いていないので足の筋力が落ちてしまった気がする。早朝か深夜の散歩を奥様に訴えるも「自宅療養期間だから」と却下された(当たり前)。あいかわらず、僕がリビング、奥様が寝室を基本スタンスにして、ダイニングキッチンは奥様のエリアにしている。僕がトイレや風呂といった水回りをつかうときは、奥様は寝室に引っ込んで、使用後は念入りに消毒するという方式でずっときている。今のところ奥様に症状は出ていない。このままでいけばよい。

新型コロナ(オミクロン)は「重症化しない」といわれているし、「ただの風邪」という極端な意見もある。実際にかかってみると確かにそのとおりと思うところもある。だが、発症したときにいつもの風邪にかかったときとは様子がちがったので(激しい喉痛。咳の出方)、「これは新型コロナだな」とわかったのもまた事実。基礎疾患をもっている人や体調を崩している人は注意したほうが良い。本日のやりとりはこれです。

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・パルスオキシメーター…。

 

9日目
2月7日月曜日。自宅療養9日目。朝。症状、発熱なし。ヘルシー健康体。復帰に向けて生活リズムを元に戻すべく活動。奥様は規程?では本日から復帰可能であったが、職場の判断で9日からの復帰になる。念のため抗原検査の陰性も必要とのこと。どこで感染したのか、行動を振り返っているが、特定できない。在宅勤務が基本で、出勤しても職場と自宅の往復で寄り道はしていない。謎だ。本日のやりとり。

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パルスオキシメーター!メーター!

 

10日目(パルスオキシメーターとは何だったのか)

2月8日火曜日。自宅療養10日目。朝。症状なし。ボスに連絡して明日からの復帰を告げる。神奈川県とのやりとりは自宅療養最終日まで変わらなかった。

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パルスオキシメーターという言葉が刷り込まれた。奥様の代理で買い出しと、たまっていた用事を済ませるために少しだけ外出した。健康体に戻ったのでいよいよ明日から仕事に復帰するが、話をするとノドがイガイガするのでしばらくはノドを使わない業務に従事することになるだろう。

10日間の自宅療養生活でわかったのは、公のサポートはあまり期待しないほうがいいということだ。僕の場合、家庭内でソーシャルディスタンスを保っていたこと(別寝室、室内でのマスク着用)、奥様の衛生意識の高さ(コロナ前からアルコール消毒をさせられていた)、非常食の備蓄(買い出しを最小限にできた)、僕と奥様共に基礎疾患がなくラッキーなことに軽症で済んだ、といった自宅療養に移行できる条件が整っていたから良かった。神奈川県は自主的に食料品を調達しなければならない(市町村で対応は異なると思われる)が、上にあげた条件が整っていなければ少し難易度は高くなるだろう。この体験談を参考に準備してもらえたら嬉しい。あと軽症とはいってもノドの痛みは半端なかったので二度と経験したくない。気を付けてほしい。(所要時間10日間)

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朝、会社とは逆方向の電車に飛び乗りたくなるときありませんか?

その日も僕は、いつもの上りホームでいつものようにいつもの電車を待っていた。1月の寒い朝だ。吐く息が白い。話のわからない上司。ルーティーン化した仕事。課せられたノルマ。「会社行きたくねえなあ」思わずつぶやいてしまいそうになる。ふと周りを見る。新聞を読んでいるおじさん。スマホでゲームに興じる若者。ぼうっと前を見つめる僕と同年代のスーツ姿の男。いつもと何も変わらない。少し落胆が混じった落ち着きを覚える。スピーカーから駅員の声がした。踏切に車が入って…安全確認が…とかなんとか。誰も反応しない。受け入れているのか。諦めているのか。僕の中にある「会社行きたくねえ風船」が少し膨らんだ。「この風船が破裂しないように」と祈るような気持ちでずっとやってきた。同じホームで25年。会社や仕事は変わってきたが、上り電車が職場へ向かうもので、下り電車が海へ向かうものであることは、太陽が東からあがるように当たり前で、変わらない。変わらないものの上に、会社行きたくねえ風船を乗せて、落ちないよう、転がっていかないよう、見守ってきたのが僕の25年だ。

「そろそろ限界かもしれない」「25年間破裂せずによくやってきた。潮時だぜ」そういう声が聞こえる気がした。アナウンスふたたび。電車は少し遅れるようだ。スマホに興じる若者が異変に気付いてワイアレス・イヤホンを外した。前に立つスーツ姿の男が苛立たしげに腕時計を見た。新聞を読んでいるおじさんは動じない。いつもの変わらない朝が歪み始めていた。変わる気がした。マイ・レボリューションの胎動が聞こえた。その瞬間、海へと向かう、会社とは逆方向へ進む下り電車がホームに入ってきた。僕は列からドロップアウトして上り線に背を向けた。海へ行って叫びたかったのだ。ずっと。会社バカヤローと。俺は生まれ変わるぞと。こんなのは本当の人生じゃないと。ネクタイを緩めて冬の海岸線を歩きながら、空に何にも縛られない明日を描くのだ。誰もいない平日の海水浴場で15年ぶりに煙草を吸ったらどんなにうまいだろう?スマホの電源を落として縛られなくなったらどこまでいけるだろう?そんなことを想像しながら、僕はホームに入ってきた電車に飛び乗った。笑えよ。僕という人間の不器用な生きざまを。

こうして僕は遅れてやってきたいつもの電車に乗った。そして時間調整でなかなか動かない車窓から、海へと向かう電車が豆粒のように小さくなって朝靄のなかに消えていくのをずっと眺めていた。今度はきっと、いつか絶対、って思いながら。そんな25年だ。(所要時間10分)

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今さら「エッセンシャルワーカー」と言われても「やりがい搾取」としか思えないよ。

最近エッセンシャルワーカーという言葉をよく聞くようになった。医療従事者や介護職や公共交通機関のような社会を回すために必要な仕事に従事している人を指している言葉だ。「エッセンシャルワーカーの皆さんに感謝!」「エッセンシャルワーカーがいなければ社会が回らない。とても大切」という言葉を聞くたびに欺瞞に満ちているなーと思ってしまう。現実問題として看護職や介護職の人たちの給料は低く抑えられていたのだから。感謝!社会に不可欠!というのなら相応の賃金を払ったり、待遇を保障するなりしないと、ひと昔前に流行った「やりがい搾取」と同じだろう。「あなたたちの仕事は大事です。やりがいのある、意義のある仕事です。社会を支える仕事です。だから低賃金でも頑張って」をひとことでまとめたものが「エッセンシャルワーカー」という言葉で、つまり、やりがい搾取そのものだ。医療従事者に感謝をこめてブルーインパルスを飛ばしても現場にいる人間には見に行くヒマはないのだ。エッセンシャルワークが利益を生む仕事ではないから賃金に反映できないというなら、相応の待遇になるまで税金で補填するしかないがそこまでの動きは見られない。それは「あなたたちは社会を支える仕事です」といいつつその裏で「重責のある仕事に従事している人間を低い賃金で抑えられているラッキー!」と舌を出しているのと同じだと僕は思う。

ところで僕は営業職である。営業職は社会を支える仕事ではないと思われている。最近、エッセンシャルワーカーという言葉を覚えた重役にも「営業はエッセンシャルワークではない」と言われた。僕自身、営業マンはエッセンシャルワーカーのように社会の役に立っているとは思わない。人によっては「営業」というだけで悪いイメージを持っているだろう。僕が働ていている会社でも、オミクロン株の感染拡大の影響で、会社として継続しなければいけない事業に人的資源を集中する方針で動いている。食品を扱っているので、その生産と物流、それから病院や老人ホームの食事提供業務などだ。神奈川県は酷い状況で、現場のパートスタッフのシフトを組むのが難しくなってきている。そこで営業開発部門はいったん現在進行している案件以外の営業開発を停止して、会社の根幹事業のサポートに回ることになった。ここ一週間、僕は病院の洗浄コーナーに入ってコンベア式の洗浄機と格闘したり、自宅待機になった同僚たちの家にパソコンを「置き配」したり、営業開発部長の仕事をほぼしていない。緊急事態だから仕方がない。

でも納得いかないものもある。311のときも同じだった。「こんなとき営業をしている場合ではないだろう」と言われて、営業の仕事を停止してヘルプに回った。世の中が落ち着いたら「営業は花形だ」「会社は営業にかかっている」と言われた。今回も同じだろう。「エッセンシャルワーカーに感謝しよう」と同じように「緊急事態に営業なんかしている場合じゃだろう」「会社は営業にかかっている」も都合よく使われるのだ。仕事にやりがいは求めていないけれど、ときどきイヤになるときもある。そういうとき、僕は、『王立宇宙軍』(劇場で観たときは『オネアミスの翼』だった)という中学生のときに観た古いアニメ映画のとあるセリフを思い出すようにしている。宇宙を目指そうとする主人公シロツグが自分の仕事に意味があるのかわからなくなったときの親友マティの言葉だ。

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「さあなあ。ただ、周りのやつら、親とかみんな含めてだ。そいつらがオレのことほんの少しでも必要としてるからこそ、オレはいられるんじゃないか、と思ってる。金物屋だってそうだ。誰かが必要としてるからこそ、金物屋でいられるんだ。この世にまったく不必要なものなんてないと思ってる。そんなものは、いられるはずがないんだ。そこにいること自体、誰かが必要と認めてる。必要でなくなったとたん、消されちまうんだ。こう思う。どうだ?」(所要時間19分)

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BCPはじめました。

BCP(Business Continuity Plan)。というのも、なんだか疲れるようになりました。取締本部長。あなたは、たしか、六十を過ぎたベテランビジネスマンのはずだ。話をしていても、変なものです。僕が今、この瞬間の、感染拡大にともなったBCPについてきわめて現実的な話をしているのに、あなたは「懐かしいなあ」「跡が残っているんだよなあ」と遠い目をして呟くのです。認知症では?僕は頭に思ったことが口をついて出てしまいそうになるのを抑えるのに必死でした。

あなたが口にするフレーズをかき集めて、わかりました。本部長、あなたはBCGについて話をされていたのですね。ツベルクリン反応。BCG接種。懐かしいものです。僕は小学校の集団接種がとても好きだった。女の子のまえで何でもない、という顔をすれば勇気の証明になると思っていたからだ。本部長。ろくろく話さえしなかった間柄でしたので、確証はなく、このような暴言を口にするのは許していただきたい。本部長、あなたは「BCP。あれのことか。勘違いしていた」と言っていた。けれども話の流れ、状況説明から勘違いの余地はなかったはずだ。本部長、あなたは、BCPが何を意味しているのか、知らなかった。あなたは、僕がBCPの意味と必要性について話をしているとき「危機下で中核事業を継続する計画…」「当たり前すぎて素通りしていた」と呟いていた。僕は正直少しムカついた。でも少しばかり時間がたった今は、ああした言い訳はいったいなんであったろうか、とこうして考えてみるようになった。そして、六十年という歳月が、そこそこ優秀であったかもしれないあなたを劣化させたのだ、と結論付けた。時間というのは、残酷なもののようです。

僕らが働いている食品会社は中小企業というカテゴリイに属しています。本部長、あなたは、感染、濃厚接触で欠員が出たら、人を派遣して埋めればいい、と言った。小さい我々の会社のどこにそんな余剰人員がいるのですか?現場のスタッフはひとりふたりと自宅待機になっている。止めることのできない中核事業にヒトモノカネのリソースを集中投入するBCPを発動するのは今なのです。それ以外の事業はどうなる?売上は下がるぞ、とあなたはBCP策定する前に話しつくした議論を蒸し返しましたね。認知症では?僕はまた思わず言ってしまいそうになった。いいから。早く。決裁を。本部長。私の言葉にテコでも動かなかったあなたが、社長、の名を口にした瞬間にハンコを押したとき、理屈よりも立場なのかと、僕は複雑な気持ちになったものです。

至急の問題は、病院の厨房のパートスタッフに欠員が出て、シフトを組むのが難しくなっていることでした。本部長、あなたは病院が年中無休で稼働していること、食事提供を絶対に止められないこと、を知りませんでしたね。BCPはタイミングがすべてです。ハンコ頂戴、ハンコ押さないのアホなやり取りで我々は時間を浪費してしまいました。病院の厨房の洗浄パートの欠員を埋める人員だけはついに見つからなかったのです。BCPは協力体制が不可欠です。他部署の人員をヘルプで回すわけですから。感染拡大前は、同じ会社だから協力するのが当たり前ですよ、何でも言ってください、といっていた同僚たちが頼りにならなかったのは悲しかった。彼らは異口同音で、ヘルプする気持ちはあるけれども、と前置きしては、キャンセルできないことはないけれどもキャンセルしたくない用事がある、などといって断ってきたのです。

今は1月21日午前11時です。営業部長である僕は、部下の代わりに、病院に電車で向かっているところです。午後から洗浄ヘルプ。夕食提供まで巨大なコンベア型洗浄機と格闘するのです。そして、電車シートに揺られながらスマホで大企業のしっかりしたBCPのニュースをみて、急にこうしたものが書きたくなったのです。(所要時間23分)

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僕をTwitter初心者だと思い込んでいる部下に相互フォローを申し入れました。

部下でもある若手社員の1人からTwitter初心者だと思われている。きっかけは昨夏、模型雑誌の編集者が個人アカウントで業界のタブーに触れる問題発言をして処罰されたことである。「SNSでの発言には気を付けるように」と僕が注意喚起をした際に、彼はどういうわけか僕を初心者だと勘違いして、現在に至るまで事あるごとに、役に立たない指南をしてくださっている。そのときの「適当なことを呟いている」「目的はない」という僕の発言と、フォロワー数を聞かれたときに指を「3万」の意味で3本の指を立てたのを「フォロワー数3」と解釈したようだ。「自分、フォロワー数3桁のマスタークラスなのでわからないことがあったら立場を気にせず気軽に相談してください」と言われたが無視した。今さら2007年からTwitterをやっていると言えない雰囲気が漂っていたし、何よりも面倒くさかった。面倒くささの正体は、僕と若手君とのTwitter(SNS)の捉え方の違いにあった。若手君の発言の節々からは、フォロワー数を戦闘力や兵力のようにとらえており、フォロワー数を増やすゲームと考えているように思われた。厄介なのは彼が真剣に「フォロワーゲットだぜ!」ゲームに取組んでいる点であった。

先週末、エレベーターで一緒になったときに、唯一の共通話題であるTwitterの話になった。「数が多すぎて対応できない」という意味で「ツイートにレスがあってもあえて無視してしまうことがあるよ」と言った。軽い気持ちだった。すると若手君は重大問題ととらえて、「こいつダメだ…」とでもいうように首を振ってから「フォロワー数が3桁に達するまではどんなレスにでも小まめに対応しなければ駄目ですよ」とアドバイスしてくれた。彼はすべてのレスに応じているらしい。彼の王国は小さく、まだクソリプ帝国と遭遇していないみたいだ。ブータンよりも幸せな国だ。

これまでも僕を初心者と勘違いしている彼は、僕を半分バカにするような助言をくれていた。「中高年アカウントにありがちなのですが、有名人の訃報へのお悔やみや天気や体調不良をつぶやいているようでは、3桁フォロワーは無理です」と嘆かれた。フォロワー数をきかれたとき、「38千」を示すように「3」と「8」を両手の指で示してから、親指と人差し指で「0」をつくって3回揺らしてみたら「38でオッケー、オッケー、オッケーですか…。志が低いですよ。フォロワー3桁を越えると世界が変わりますよ。かんばってください」と激励された。それから「株価を見るように常にフォロワー数の増減に注意して、つぶやくときは彼らの目を意識すること。私はそれでフォロワー数を一か月で5も増やしました」「ポジティブな発言、有益な情報、綺麗な画像。Twitterをするときはこの三つを思い出してください。1年で3桁までいけますよ」「私がひとことTwitterでつぶやくだけで3桁の人たちに届きます。小さな自治体の長よりも影響があるってことなんですよ」等々。

3桁。3桁。3桁。きっつー。僕は率直な疑問を彼にぶつけた。「3桁をこえて4桁フォロワーのアカウントはキミにとってどういう存在なの?」「ひとことでいえば、『神』ですね」彼はいった。彼は目の前にいる神を超えた存在を馬鹿にしているのだ。僕は良心の呵責に耐えられなくなった。正体を、秘密をバラしてしまおう。神扱いされるほうが、このまま馬鹿にされ続けるよりはマシだ。「『あなたが神か!』と驚愕する彼を想像しながら、僕は相互フォローを提案した。彼はフォロワー数が1増えるだけでも喜び、1減れば凹む男である。意外にも彼は断ってきた。だよねー。上司と相互フォロワーはやりにくいよねー。彼はその理由を次のように述べた。「フォローするときに、フォロー・フォロワーにどんな人がいるのかチェックされるんです。年齢層。発言内容。フォロワー数。私のフォロー/フォロワーに部長のような中高年零細アカウントがあったらフォローボタンを押すのをためらわれてしまいそうなのでお断りします。部長が3桁までいったら再度検討いたします」きっつー。愚者は己の信じる神の存在を感じられないから永遠に愚者のままなのである。(所要時間24分)

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