Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

在宅勤務を推し進めていた人間が自宅療養したときの周囲のネガティブな対応について全部話そう。

感染による自宅療養から職場復帰して1か月経過した。おかげさまで目立った後遺症はない。家庭では奥様に対してもともと稲穂のごとく頭を垂れて過ごしてきたが、感染以来はますます立場がなくなり額を床に擦り付けるように生きている。キン肉マンなら額の肉マークが擦り消えているだろう。

会社では復帰後に上層部から「どこで遊んでいた?正直に言ってみろ」「たるんでいるから病気になる」などと心ないことを言われて、眉間のしわが濃くなるばかりだ。だが、もっとも厄介なのは、会社上層部の高齢者が「自宅療養」と「在宅勤務」の違いを理解していないことである。「家にいる=サボる」という重度の出社病患者なのだ。

もともと、彼らは在宅勤務に反対の立場であった。「家では社員はサボる。会社に顔を出して気合を入れないと仕事にならない。交通費はそのための必要コストだ」というのがその理屈。「会社にいる人間は仕事をしている/自宅にいる人間はサボる」という認識の上層部自身が、会社に来て、パーテーションのなかで昼寝と読書(鬼平)に明け暮れているのだから悪夢である。

僕は業務効率化(在宅勤務も含む)をすすめてきたので上層部から目をつけられていた。そのため自宅療養中、激しいのど痛、倦怠感、高熱で寝込んでいるところ、上層部から「希望通り自宅にいるならいつもどおりに仕事をしろ」「自分で家でも会社と変わらず仕事ができるといってきたのなら証明しろ」と嫌味を言われた。これは僕に対する普段からのムカつきと、自宅にいるという要素だけを取り出して都合よく解釈していることと、そして自宅療養と在宅勤務の違いがまったくわかっていないことの悪魔合体の結果であった。

職場復帰してからも、僕自身が自宅療養中に仕事ができなかったことを証拠に在宅勤務はダメという謎理論をときどき聞かされている。昨日もその話をされた。上層部イチの高齢者である。呼び出されて、その話を聞かされているとき、当該上層部の発言のなかで言葉が滅茶苦茶になっていることに気が付いた。自宅勤務。在宅療養はまだいい。勤務療養、療養勤務については意味不明であった。僕を非難したいがためにワンダーなことを言い始めているのか、単に、漢字四文字ならぶと理解が追い付かないだけなのか。劣化って悲しいね。

呼び出しておいて自宅療養、在宅勤務、勤務療養、療養勤務の混じった意味のとりにくい話を浴びせながら上層部は目をとじていた。きっつー。ついていけねー。昼食後、眠い時間だ。お昼寝の時間でちゅねー。漢字四文字以上は理解できないと看過した僕は「小林陵侑すごかったですねー」「北方領土どうなりますかねー」「渡辺竜王おしかったですねー」とグロッキーな相手が自宅療養や在宅勤務と識別できない情報を与えた。漢字四文字の3番目がRYOUやRYUだったら自宅療養と認識するみたいである。誤情報をあたえるジャミングであった。

上層部は目をとじて腕を組んで、そうだな、そうだな、と反応したあとで、眠気が限界に達して永劫の眠りにつくつもりなのだろうね、「今日はこのへんにしておこう。行ってよし」と僕を解放した。彼には自宅療養と在宅勤務の違いは永遠に理解できない。今の生き方を止められない。齢69才。奇しくもプーチン露西亜大統領閣下と同じ年齢である。劣化はさけられない。一方的に振り回されるのは周りの下々である。悲しいし、やってられない。(所要時間18分)

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僕のことをTwitter初心者だと思い込んでいる部下が退職します。

突然だが表題のツイッターマスターの部下が退職することになった。僕が自宅療養から復帰した日の夕方メールで告げられた。「3月末で退職/4月からは新しい職場で働く/年休を消化するので最終出社日は今月22日」という内容であった。翌日の午後、面談した。ちょうど世の中の皆さんが男子フィギュアスケートに釘づけの時間である。なぜこんなくだらない話のために、世界初4回転半への挑戦を見届けることができないのか。

質問してもいないのに退職理由を一方的に告げられた。「やっぱり待遇面が一番の理由ですね。もう少し自分の力と経験を評価してもらいたかったです。手取りとして最低自分の年齢に3万円を乗じた金額はもらえないと…。そして、モチベーションの低下が一番の理由ですね。これからも食品業界で生きていけるのかと考えると…。もうひとつ、コロナで自分の思うような営業活動ができなくなったのが一番の理由ですね」という調子で何が一番の理由なのかわからなかったが、「みんな一番なんだよー」というゆとり教育の成果が言葉から感じられた。きっつー。僕は理由を聞いただけで何も言わなかった。「止めないんですか?」と質問された。率直に「止めないよ。だって次、決まっているんでしょ」と返した。「部長はドライですね」と言うのをあえて聞き流していると「こういうときは形式的にでも止めたり、惜しいと言ったりするものですよ」と助言してくれた。「形式的に言ってもいいけど聞きたい?」「いや…いいです形だけでは意味が…」どっちなんだ。

彼は「これからはグーグルやアップルのような最先端の技術と知見の集まる会社が勝ちます。アマゾンやフェイスブックが世界を支配しているんですよ。だから私もそちら方面で力を発揮したいのです」と豪語した。「GAFAで働くの?」と興味はないが話をあわせると「部長、ガーファはもうありませんよ」と彼は笑った。どういうことだ。当惑する僕に彼は「部長はご存知ないと思いますが、フェイスブックは社名をメタに変更したので今はGAMAです。私のなかではガーマです」と言い切った。「ガーファで働くの?」「いいえ。ガーマにはまだ手が届きません」そこまで話を振った彼が4月から働く会社が、官公庁の入札案件中心の配管会社であった。ガーマと真逆ではないか。メタメタやんけ。能力的には大きな問題はないが、彼の過激な言動と、空気を読むのに長けているつもりでまったく読めていない資質によって、社内からクレームを受けた立場からいうとプラスマイナスゼロ退職であった。引継ぎと最終出社日等を決めて話合いは終わった。そこに思い出話はなかった。

スマホをみると男子フィギュアは最終滑走者ネイサン・チェンだった。部下氏は僕をツイッター初心者だとなぜか思い込んでいて、SNSマスター的な立場からこれまでも余計なアドバイスをしてくれていた。有益なツイート。お返しファボ。フォロワー数をフォロー数より多くしておくこと。3桁フォロワーになると世界が広がる。アニメアイコンの中高年男性の名がフォローリストにいるとフォローを敬遠されるから気をつける。等々、役に立たない助言ばかりであった。「部長フォロワー数はいくつになりました」ときかれた。面倒くささから「39かな(3万9千)」といった。彼は小馬鹿にしたように「先月は38でしたから1UPですね。その調子でいけば5年で3桁までいけますね。3桁になるとビジネスの可能性が広がりますよ。自分がそうですから」と言った。彼の目にはGAMAが映っているのかもしれない。かつて彼は4桁フォロワーは神だと言った。貴様は神を越えた存在を目の当たりにしているのだ。この無駄な会話から解放されると思うと彼の退職には価値があった。

彼は「部長、最後なので大事なことを教えてさしあげます。それは【トレンドをみて呟いてはいけない】です。トレンドはビッグウエーブなので部長のような二桁ツイッターが乗り込んでも呑まれるだけです。今、この瞬間つぶやいてはいけないツイートがわかりますか」「わからない」「『ネイサン・チェンすごい』です。トレンドにあわせて薄口で内容がなく世の中に媚びたツイートをしない。これだけ気を付ければ3桁フォロワーは近いですよ。5年後に会いましょう。お世話になりました」。もういやだ。(所要時間20分)

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48歳。これまでの人生をふりかえってみた。

何かと巻き込まれる体質のため気をつけていたのだけど、新型コロナに感染してしまった。奥様には、この体質を「劣化版ジョン・マクレーン」と揶揄され、飛行機には乗るなと忠告されている。「僕が飛行機に乗るとテロリストによるハイジャックが起きて人に迷惑がかかるから」がその理由だ(仮に、飛行機に乗って隣席がテロリストだったら、機内から迫真のブログを更新して世界一のブロガーになるだけのことだと思うのだけど)。僕自身は自分の人生を巻き込まれたり巻き込んだりの平均的なアラフィフ男性の人生と分析している。僕は2022年2月13日に48歳になった。これまでの人生を簡単に振り返って、人生について考えてみることにしてみた。

1970年代 3才祖父事故死(川で)/4才横浜駅で迷子になる/ピアノを習いはじめる 

1980年代 小3ボヤを起こす(近所の野原)/小4交通事故に遭う(車にはねられる/捻挫)

1990年代 高3春に学年ビリになる/遅刻記録をつくる/父が自死する(ラブホテルをつくろうと母は言った )/センター試験でしくじる(東大断念)

大学時代 酒と煙草/就職に失敗する/交通事故に遭う(原付にはねられる/打撲と捻挫)

会社員時代 上司が突然死(会社員1年目)/担当取引先の人が殺人で捕まる(会社員3年目 客が殺人で捕まった。 )/ 日記サイト(ブログ)をはじめる 

2000年代/上司が取引先と共謀して事件を起こす(会社員7年目 私はコレで会社を辞めました。 )/部署が解体されて追い出し部屋的な部署に飛ばされる(会社員8年目「追い出し部屋」に飛ばされたことありますか。 )/紛争地域への電車輸出業務で心身を消耗する/転職(食品業界へ)/モンスター上司と出会い消耗する(会社員9年目~上司の言葉をまとめてみた。

2010年代~ 海の家の店長代理にさせられる(フェイスブックに元カノの結婚式の写真が流れてきたので執拗にいいね!した。 )/自宅の部屋にとじこめられる(密室にとじこめられてます )/結婚という名の人生の牢にとじこめられる(私の異常なお見合い・覇王伝 または私は如何にして独身の自由をかなぐり捨て結婚を決意するにいたったか )/トイレにとじこめられる(トイレにとじこめられてます。 )/乗っていた新幹線で焼身自殺が起こる(例の新幹線のぞみ号に乗ってました。 - Everything you've ever Dreamed)/必要悪くん…(自己都合で退職した元同僚が半年間のプー経験を売りに在籍時以上の待遇を求めて復帰を希望してきて驚いた。 )/交通事故に遭う(泥酔自転車に突っ込まれて左足を骨折「シン・ゴジラ」はイタいだけ。 )/モンスター上司が孤独死(上司が亡くなった。)/転職/管理職になる/数少ないネットで知り合った友人(Hagex君)が事件に遭って亡くなる/本を出す(2019/2021)/新型コロナに感染(NEW!)


…記憶に残っているものを列挙してみた。ここに挙げたもの以外にも25年間ノルマ達成を継続していることや、数多の苦い別れの記憶をともなう女性遍歴があるけれど野暮になるから書かない。確かに少々ハードかもしれない。平均的な人生だと自己評価していたが、巻き込まれ体質といわれても反論できない。失敗と挫折が多めでうまくいかないことのほうが多い人生だった。父が死んでから経済的に苦しい時期が続いたのも大きい。

成長や成功のない48年の人生を送ってきただけの僕にもいえることがある。それは「初期状態では人生には意味はないこと。生きる意味は与えられるものではなくゼロベースから自分で築くものだ」ということ。立ち止まって人生を振り返ったり、意味を考えたりできるのはまだまだ余力のある証拠だ。これまで心や身体が壊れた時期もあったけれど休んではいられなかった。鬱になってはいられなかった。僕にできることは死ぬまで生きることしかない。間際に自分の人生の意味を考える余裕があればいいし、なくても別に構わない。生きること自体が目的で意味だからだ。そんなふうに考えている。(所要時間27分)

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神奈川県における新型コロナ感染自宅療養について経験したこと全部話す。

私事だが新型コロナに感染して10日間自宅で療養生活を送っておりました。明日から復帰である。感染して発症したものの、不幸中の幸いで軽症で済んだ。感染したタイミングがたまたま神奈川県が方針を変更したときと重なって、自宅療養をどうすればいいのか(届け出等)試行錯誤したので、のちのちの参考のために僕の経験をここに残しておきたい。

0日目(発症)

2022年1月29日土曜日。就寝前に歯磨きをした際に喉に違和感を覚える。たまたま、昼寝をしたときにイビキをかいていた(奥さんに「うるせー」とケリを入れられた)ので、「喉が枯れたのではないか?」とそのときは思った。それくらい「よくある」喉のイガイガだった。いつもなら龍角散をキメているレベル。振り返ってみると、これが一連の出来事の発端だった。もうひとつ、仕事が重なって疲労が溜まっていたのも感染の要因であったと思う。とにかくノドの不調に要注意だ。

・体調の変化に注意(僕の場合はノドの違和感)

 

1日目(症状が強くなる)

1月30日日曜日。早朝5時。人生で感じたことのないレベルの喉の痛みで目覚める。唾液を飲むだけで激痛が走る。火傷のような激痛と、ヒリヒリした痛みがしばらく残る感じ。この時点では発熱や頭痛、咳はなし。声が出なくなる。同居する奥様にガラ声で「だぶん(コロナに)ががっだ」とカミングアウトして部屋にこもる。会社から支給されていた抗原検査検査キットで陽性判定。奥様は陰性判定(症状もなし)。その後しばらく喉の痛みにもだえ苦しむ。寝室が別で良かった。

午前8時すぎ。神奈川県のホームページに「まずはかかりつけ医に相談」と書かれていたので電話をするものの残念ながら休診。管轄保健所への電話は繋がらず。諦めて、神奈川県のコロナ関連のホームページに記載されていた相談窓口に電話をする。対応してくれた男性(おそらく中高年)は何を聞いても「私は医療従事者ではないのでお答えできません」「管轄保健所にお問い合わせください」しか言わなかった。この窓口に何の意味があるのかよくわからない。好意的にとらえれば、喉痛に耐えて必死に話しているうちに冷静さと思考力を取り戻すことが出来たことくらいだろう。あくまで市民ひとりひとりが責任を負う…これが神奈川モデル…。

昼過ぎから微熱と頭痛に悩まされる。激しい喉痛は変わらず。体温37.5度。奥様から「しんどくても食べないといけない」と言われ、強引にパンを小さくちぎって食べるが、喉を通過するたびに、電流イライラ棒をつっこまれたような猛烈な痛み。パンを諦めてゼリーを食べる。ゼリーは食べやすいのでおススメ。あとプリンも。だるいので早めに就寝。なお、僕はリビング、奥様は寝室で家庭内別居体制。キッチンダイニングは基本的に使わず、トイレや風呂をつかうときは、使用後に取っ手や触れた箇所を消毒。一日に着た服はすべて洗濯するなど出来ることをする。食事はもともと別にとることが多いので功を奏した…。

・生活スペースを分けて、共用スペースの消毒の徹底等。
・非常食は役に立つ。
・保健所はつながらない

 

2日目
1月31日月曜日。自宅療養2日目。朝。熱が高くなる。38度。それにともなって頭痛と悪寒、喉痛は一段階強くなる。息が通るだけで「ぐわー」と身を悶えてしまうくらい。会社に連絡を入れる。保健所とコンタクトを取って復帰時期の見通しが立ってから連絡をしたかったが仕方がない(保健所つながらず)。会社の規程で自宅療養になるのに、「自宅療養は在宅勤務だろ?」と上役(高齢上層部)から謎の言葉をぶつけられる。軽度の認知症だろうか。反論したかったが、こんなことで体力をロスして免疫と抵抗力を失い症状を悪化させるわけにはいかないので断念。

9時半。かかりつけ医に電話が繋がる。数日間は予約でいっぱいのため診察は出来ないとのこと。そのかわりに提携している医療機関を紹介され、そこで翌日午前10時の発熱外来とPCR検査の予約を取る。この時点まで保健所に何回か電話をかけていたが、医療機関とコンタクトできたことで打ち切る。体調は悪化。38.5度まで上昇。喉の痛みで水分と栄養を補給できないのがしんどい。布団で横になっているうちに寝落ちする。風呂に入るのは無理だった。

・かかりつけ医は重宝する。
・保健所は繋がらなかった。

 

3日目(PCR検査で陽性判明)

2月1日火曜日。自宅療養3日目。朝。熱は下がる。37.8度。頭痛と喉の痛みもいくぶんやわらぐ。倦怠感は少々。車で紹介された発熱外来へ向かう。指示された場所で車で待っていると防護服を着た看護師が対応してくれた。ドライブスルー方式で簡単な問診とPCR検査と薬の処方(4日分)。人生初のPCR検査であるが、棒を鼻の奥の奥の奥まで突っ込まれて苦しかった。結果は当日15時すぎに電話連絡をくれるとのこと。PCRの結果って時間がかかるものだとばかり思っていた。

ただし、検査数が多いので連絡が遅くなる可能性はあることを了承してほしいとも言われた。また、陽性の場合は病院からは間違いなく保健所に連絡しているので保健所からの連絡が遅れたときは保健所サイドの問題であることも強調された。きっとトラブルが起きているのだろう。帰宅して夕方まで待っていると16時すぎに医療機関から連絡があった。結果は陽性。保健所には連絡を入れておくので、保健所の指示に従ってほしいと言われた。ただし、保健所は混雑しているので連絡が遅くなる可能性はあるが我々は間違いなく連絡を入れているので心配しないように、と、朝と同じ話を繰り返される。どれだけ保健所は混乱しているのか。大丈夫か神奈川モデル。

職場に連絡して経緯と検査結果を説明した。上役(会社上層部高齢者)が自宅療養と在宅勤務を混同しているうえ、PCRを受ければ治るものだと思い込んでいることが判明。疲れるので話を打ち切った。夕方、ふたたび発熱したり、だるかったり。軽い症状は続いた。風呂に入ってから横になるが、カラダを動かしていないせいか、深夜まで眠れなかった。

・PCRの結果は当日中に出た(陽性)
・保健所への届けは医療機関から(保健所はつながらない)。
・保健所からの連絡が遅れがち。

 

4日目(保健所からコンタクト)

2月2日水曜日。自宅療養4日目。朝。熱は37度弱。咳と軽い喉の違和感のみ。少し身体を動かすと関節が痛むのでパソコンで文章を書いたりゲームをしたりして過ごす。症状がおさまっているのは処方された薬が効いているだけかもしれない。ネットで調べてみると僕は47才で基礎疾患がないので、神奈川県が推し進めている「自主療養」の対象になることもできたらしい。抗原検査キット等の判定だけで「医師の診察なし」で自宅療養に移行するシステムで、食料や薬の調達は自分でやらなければならないという素晴らしい仕組みだ。

保健所からの連絡はこの日の夕方5時前にあった。実に発症から4日が経過している。連絡があったときは症状はおさまっていた(ときどき咳がでるくらい)。現在の症状と経緯を確認された。時系列で症状の変化と現在の状況になるまでを説明。

職場復帰については、29日を発症日として(0日目)、10日経過後の翌日(2月9日)から可能とのこと。ただし、自宅療養最後の3日間(2月6~8日)で症状がでないことが条件になる。奥様(濃厚接触者)については僕より3日間短い2月6日から復帰可能ということになった。

あと食料品や日用品の買い出し調達は必要最低限で会話をしないならオッケーらしい。陽性者である僕でも公共の場所へ出かけられるのね…。つか保健所サイドで食料を手配するという選択肢は提示されなかった。市民ひとりひとりの無理と自己責任が神奈川モデルを支えている。僕のような症状の軽い陽性者が市中を歩き回るのはある程度仕方ないということなのだろう。見た目健康より「バイオハザード」のゾンビみたいにわかりやすいほうが回避できて良い気がする。誰が感染しているかわからない…リアル・人狼ゲームみたいだ。

LINEへの登録を要請されたので登録してみた。これで保健所から毎朝電話ではなくラインで健康チェックがされるらしい。現代的で素晴らしい。この日は症状もほぼなかったので、家庭内でのディスタンスを保って生活した。トイレと風呂がとにかく大変。奥様にはすべてが終わったあとで何らかの褒美を考えなければならないだろう。

・保健所とコンタクトできたのは発症4日目。
・発症日を0日として10日経過後の翌日から復帰可能とのこと(ただし療養ラスト3日間に症状がないことが条件)。
・家族(濃厚接触者)の自宅待機は感染者より3日短い。
・食料品や日用品は自分で買い出しオッケー(サポートはなし)。
・検査キットが送られてくることもなし。
・ライン登録を要請される。

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▲ライン登録。

 

5日目(ラインのやりとり始まる)
2月3日木曜日。自宅療養5日目。朝。熱はなし。症状もほぼなし(咳がときどきでるくらい)。油断大敵なので、家庭内ディスタンス体制は保持する。別室生活。触れたものは消毒。1時間おきの換気等々。もともとソーシャルディスタンスをとった夫婦生活をしていたとはいえ、奥様に感染による症状が出ていないのは予想外であった。食事も別。会話最小限。ことあるごとにファブリーズを噴射、アルコールで除菌という彼女の常日頃からの生活スタンスがウイルスを打ち負かしているのか、それとも持ってうまれた免疫力の強さなのか、狭く限定されたマンションで2人暮らしなのに、よくわからない。

僕は病院で診察と検査を受けたときをのぞいて一歩も自宅から出ていない。体調もほぼ元通りである。はっきりいって元気である。変調といえば、アダルト動画を視聴する気力は失われてしまった。以前インフルでたおれたときは、朝から晩まで猿のようにアダルト動画を視聴した。これがオミクロンのせいなのかは研究の結果を待ちたいところだ。そうそう、あまりにもヒマなのでリスタートしていたドラクエ3でゾーマを倒すところまでやった。ドラクエ3といえば転職と賢者だけれども、まさかコロナで賢者モードになるとは…。

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保健所で登録した神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。パルスオキシメーターはありますか?いいえ。それだけー。どんだけー。期待していたのとはちょっと違うが、おそらくAIで学習してよりよい対応がなされていくのだろう。それが全国の先を走る神奈川だから…。

・症状がなくなると自宅療養は退屈さとの戦いになる。
・保健所からの電話確認はない。ラインで健康確認をしているからと思われる。
・パルスオキシメーター

 

6日目(そんな装備で戦えるのかとゴーストが囁いている)
2月4日金曜日。自宅療養6日目。朝。症状はなし。油断大敵なので家庭内ディスタンス体制は継続。元気だ。元気ではあるがあらゆる欲望がなくなってしまった感がある。まったくアダルト動画な気分にならな。先日ネットニュースで見かけたコロナ感染でアソコのサイズが小さくなるという報告と相関関係はあるのだろうか。続報を待ちたい。

昨日は暇すぎたので本日行われる予定である会議向けの資料を作成した。自宅療養中に仕事をしていると会社の上のほうがますます在宅勤務と混同するのでもうしないことにした。というわけでヒマつぶしも兼ねて発症からの記録としてこの文章を書き始めた。やることないので始めたドラクエ3で隠しボス『しんりゅう』に挑戦するも全滅。この何もない、部屋にこもっている生活はネガティブにとらえがちだが、定年退職後の毎日サンデー状態の予行練習だとポジティブにとらえることにした。職場復帰したいというよりは、自由に動き回りたい。本日の神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。

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パルスオキシメーターはありますか?いいえ。もはやエルシャダイのそんな装備で戦えるのかみたいだ。

・高齢者に在宅勤務と自宅療養のちがいを理解させることの難しさ。
・パルスオキシメーターは届くのか。

 

7日目(パルスオキシメーターをください)
2月5日土曜日。自宅療養7日目。朝。症状はなし。平熱。処方された4日分の薬(咳・痰・痛み止め)が終わる。換気をしたときなど、室温に変化があると、咳が出てしまうくらい。この咳がおさまらないと復帰は難しいだろう(保健所からも復帰予定日前三日間に症状がおさまっていることを復帰の要件にされた)。

布団からでてリビングでボーっと安静にしているのはつらいものがある。五輪中継があってよかった。ヒマつぶしにはなる。本日の神奈川県療養サポートのやりとりはこんな感じです。

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パルスオキシメーターはありますか?いいえ。いえ。このやりとりからパルスオキシメーターが送られてくるようなことがないのがワンダー。これが神奈川モデル。

・パルスオキシメーター

 

8日目
2月6日日曜日。自宅療養8日目。朝。症状はなし。平熱。ほぼほぼ健康、元通りの体調に戻っている。一週間ほとんど歩いていないので足の筋力が落ちてしまった気がする。早朝か深夜の散歩を奥様に訴えるも「自宅療養期間だから」と却下された(当たり前)。あいかわらず、僕がリビング、奥様が寝室を基本スタンスにして、ダイニングキッチンは奥様のエリアにしている。僕がトイレや風呂といった水回りをつかうときは、奥様は寝室に引っ込んで、使用後は念入りに消毒するという方式でずっときている。今のところ奥様に症状は出ていない。このままでいけばよい。

新型コロナ(オミクロン)は「重症化しない」といわれているし、「ただの風邪」という極端な意見もある。実際にかかってみると確かにそのとおりと思うところもある。だが、発症したときにいつもの風邪にかかったときとは様子がちがったので(激しい喉痛。咳の出方)、「これは新型コロナだな」とわかったのもまた事実。基礎疾患をもっている人や体調を崩している人は注意したほうが良い。本日のやりとりはこれです。

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・パルスオキシメーター…。

 

9日目
2月7日月曜日。自宅療養9日目。朝。症状、発熱なし。ヘルシー健康体。復帰に向けて生活リズムを元に戻すべく活動。奥様は規程?では本日から復帰可能であったが、職場の判断で9日からの復帰になる。念のため抗原検査の陰性も必要とのこと。どこで感染したのか、行動を振り返っているが、特定できない。在宅勤務が基本で、出勤しても職場と自宅の往復で寄り道はしていない。謎だ。本日のやりとり。

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パルスオキシメーター!メーター!

 

10日目(パルスオキシメーターとは何だったのか)

2月8日火曜日。自宅療養10日目。朝。症状なし。ボスに連絡して明日からの復帰を告げる。神奈川県とのやりとりは自宅療養最終日まで変わらなかった。

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パルスオキシメーターという言葉が刷り込まれた。奥様の代理で買い出しと、たまっていた用事を済ませるために少しだけ外出した。健康体に戻ったのでいよいよ明日から仕事に復帰するが、話をするとノドがイガイガするのでしばらくはノドを使わない業務に従事することになるだろう。

10日間の自宅療養生活でわかったのは、公のサポートはあまり期待しないほうがいいということだ。僕の場合、家庭内でソーシャルディスタンスを保っていたこと(別寝室、室内でのマスク着用)、奥様の衛生意識の高さ(コロナ前からアルコール消毒をさせられていた)、非常食の備蓄(買い出しを最小限にできた)、僕と奥様共に基礎疾患がなくラッキーなことに軽症で済んだ、といった自宅療養に移行できる条件が整っていたから良かった。神奈川県は自主的に食料品を調達しなければならない(市町村で対応は異なると思われる)が、上にあげた条件が整っていなければ少し難易度は高くなるだろう。この体験談を参考に準備してもらえたら嬉しい。あと軽症とはいってもノドの痛みは半端なかったので二度と経験したくない。気を付けてほしい。(所要時間10日間)

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朝、会社とは逆方向の電車に飛び乗りたくなるときありませんか?

その日も僕は、いつもの上りホームでいつものようにいつもの電車を待っていた。1月の寒い朝だ。吐く息が白い。話のわからない上司。ルーティーン化した仕事。課せられたノルマ。「会社行きたくねえなあ」思わずつぶやいてしまいそうになる。ふと周りを見る。新聞を読んでいるおじさん。スマホでゲームに興じる若者。ぼうっと前を見つめる僕と同年代のスーツ姿の男。いつもと何も変わらない。少し落胆が混じった落ち着きを覚える。スピーカーから駅員の声がした。踏切に車が入って…安全確認が…とかなんとか。誰も反応しない。受け入れているのか。諦めているのか。僕の中にある「会社行きたくねえ風船」が少し膨らんだ。「この風船が破裂しないように」と祈るような気持ちでずっとやってきた。同じホームで25年。会社や仕事は変わってきたが、上り電車が職場へ向かうもので、下り電車が海へ向かうものであることは、太陽が東からあがるように当たり前で、変わらない。変わらないものの上に、会社行きたくねえ風船を乗せて、落ちないよう、転がっていかないよう、見守ってきたのが僕の25年だ。

「そろそろ限界かもしれない」「25年間破裂せずによくやってきた。潮時だぜ」そういう声が聞こえる気がした。アナウンスふたたび。電車は少し遅れるようだ。スマホに興じる若者が異変に気付いてワイアレス・イヤホンを外した。前に立つスーツ姿の男が苛立たしげに腕時計を見た。新聞を読んでいるおじさんは動じない。いつもの変わらない朝が歪み始めていた。変わる気がした。マイ・レボリューションの胎動が聞こえた。その瞬間、海へと向かう、会社とは逆方向へ進む下り電車がホームに入ってきた。僕は列からドロップアウトして上り線に背を向けた。海へ行って叫びたかったのだ。ずっと。会社バカヤローと。俺は生まれ変わるぞと。こんなのは本当の人生じゃないと。ネクタイを緩めて冬の海岸線を歩きながら、空に何にも縛られない明日を描くのだ。誰もいない平日の海水浴場で15年ぶりに煙草を吸ったらどんなにうまいだろう?スマホの電源を落として縛られなくなったらどこまでいけるだろう?そんなことを想像しながら、僕はホームに入ってきた電車に飛び乗った。笑えよ。僕という人間の不器用な生きざまを。

こうして僕は遅れてやってきたいつもの電車に乗った。そして時間調整でなかなか動かない車窓から、海へと向かう電車が豆粒のように小さくなって朝靄のなかに消えていくのをずっと眺めていた。今度はきっと、いつか絶対、って思いながら。そんな25年だ。(所要時間10分)

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