Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

2022年10月14日、神宮球場で泣きそうになった。

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2022年10月14日、プロ野球セントラルリーグクライマックスシリーズ東京ヤクルトスワローズ対阪神タイガースの試合(明治神宮球場)を観戦した。試合結果はヤクルトの逆転勝ち、3連勝で日本シリーズ進出を決めた。高津監督おめでとうございます。

試合は3人で観戦した。飲み屋で意気投合したひと回り年下の友人(35)が「クライマックスシリーズを現地観戦したい」というので誘ったのだ。彼がヤクルトファンの知り合いを連れてくるというので3枚チケットを手配した。

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▲3枚チケットを手配する中間管理職(48)

東京ヤクルトスワローズの本拠地、学生野球の聖地明治神宮野球場前で待ち合わせ。あらわれたのは知り合いと、知り合いといい感じの関係にあると一瞬でわかる二十代の女性であった。

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▲聖地 明治神宮野球場。

試合は3点リードを守らんとする阪神のエース青柳と、攻略しようとするも得点できないヤクルトスワローズの緊迫した展開。

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▲青柳さんの打ちにくいフォーム。アンダースローなのに球が速い。

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▲3冠王村神降臨

ヤクルトファンが陣取る一塁側は、トイレに行くタイミングがないほどの、歓声、悲鳴、ため息の連続であった。そこは野球の聖地そのものであった。僕はナイターだと平均10杯のビールを飲んでしまうが、日本シリーズをかけた熱い試合展開にビールを飲むのを忘れてしまった。

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▲7回裏に内野安打1本で5点入る奇跡が起こった。9番山田もかなりレア。

一方、僕の傍らでは年下知人カップルがオスナとサンタナのようにイチャイチャしていた。

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▲ヤクルト名物。仲良しコンビ、オスナとサンタナ。アップはいつも一緒。

野球観戦には人それぞれの楽しみがある。それでいい。これでいいんだ。試合は6対3でヤクルトの逆転勝利。ヤクルト勝利の後、胴上げや表彰式といった一連のセレモニーが終わるまで僕らは見届けた。球場を後にしたときは22時半を過ぎていたのではなかろうか。僕らはそれぞれ別のことに集中していたが、集中しているがゆえに、3人とも食事を忘れていた。空腹であった。何より祝杯をあげたかった。勝利の美酒を味わいたかった。

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▲最高に盛り上がった僕らは神宮球場を後にした…。

「このまま店に入って晩飯を食べながら祝杯でもあげよう。何か食べたいものはあるかーい?」と年上の僕は、若い二人に声をかけた。「祝杯いいなー」と友人、「サイコー」と彼女。よかった。聖地は性地じゃなかった。野球を愛する心は一緒だ。疑った僕の心が汚れていた。「神宮外苑の店入る?それとも渋谷?新橋でもいいよ。ビールに合うのは唐揚げかなー。焼き鳥もいいなー」と盛り上がる僕。48歳。そんな僕の、中年特有のウザさ、暑苦しさ、お気持ちを汲んだのだろうね、友人は多少申し訳ないような顔面をして「申し訳ないけど、俺ら二人で行きたいんで。今日はありがとうございましたー」とだけ言い残して女性と外苑の夜に消えた。最後までオスナとサンタナのようにイチャイチャしていた。

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▲深夜0時過ぎに食事を買う寂しい中年のレシート。カラダのことを考えてパスタサラダ。

僕は虚無になってひとり地元の駅まで電車で帰り、途中のコンビニで買ったサラダパスタを食べて寝た。僕はプロ野球を愛する1人の男。明日はいいことがあるさ、と思っているところに翌朝こんな追い打ちメールが着弾した。

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日本シリーズのチケット抽選当選せず。なんのためのファンクラブのプラチナ会員やねん。どうやら僕は野球の神に見放されたようである。きっつー。(所要時間20分)

「下請けが死んでも代わりはいるもの」と商談で言われた。

僕は食品会社の営業部門の責任者。中小企業なので、本来の仕事の新規開発営業に加えて、既存の取引先との交渉も任されている。最近、以下のようなやり取りが繰り返されている。

10年以上商品を納品させていただいているクライアントとの価格交渉だ。会社上層部からは価格アップをするよう厳命されていた。「最高幹部会議でコストを価格に転嫁するという方針で行くことになった」という上層部は真顔であった。「お世話になってます」「こちらこそ貴社にはお世話になっております」応接室で担当者と会う。いつもと変わらない商談のはじまりだ。担当者は「いろいろなものが値上がりしてお互い大変ですよね」と切り出すと、昨夜のニュースでスーパーの店長が値上げ改訂したシール貼り換えに追われているエピソードを話した。値上げ交渉をするには最高の出だしである。「どの業界も値上げで苦労してますよ」と同意する。

「皆、苦労してますよ」と担当者は、詳しい話はできないけれどと前置きしてから、「原材料だけではなく、ラインを動かす電力や燃料も値上げしてしまって…。当然値上げの影響を見越して事業計画は作成したのですが、値上げ幅が想定をこえてしまいましたよ。上からも詰められましてね、参りました」と苦しい胸の内を明かしてくれた。「見通し甘すぎじゃね?」と内心で思いつつ、「弊社もまったく同じです」と僕。担当者は「今までは、取引を失うのを恐れたり、ユーザーが離れるのを恐れたりして、商品の価格には転嫁できませんでしたけど、生き残るためには、もうまったなしですね。価格に転嫁させてもらうしかありませんよ」と言った。それから、これまで行ってきた経営努力が限界点に達しているのだから、と理由を付け加えて「かかったコストを価格に転嫁して、消費者やユーザーに負担してもらう世の中にしていかなくてはいけませんよね。我々のような立場のものばかりが損をするのは間違っていますよ、そう思いませんか?」と一気にまくしたてた。完全に同意である。「オッシャルトーリです」と同意した。

お膳立ては出来ていた。僕は、値上げを切り出した。値上げの理由は担当者自身が語りつくしていた。原材料、あらゆるコストのアップ。「なるほど。おっしゃることはわかりました。ここで結論を出すことは出来ませんが前向きに検討するので時間をください」担当者はそう回答した…ら良かったのだけれど現実は「ああ!それは無理な相談です。値上げは無理!なし!さっきまでの私の話聞いてました?我が社は厳しい状況にあるって言いましたよね。あの話を聞いて、値上げの話ですか。まいったなー」という回答であった。サイコパスかよ。それとも知らないうちに人が切り替わったのか。

「これからはコストを価格に転嫁していくという話では?」「いやー。それはウチの話であって、立場であって、御社とは立場が違うじゃないですかー」。きっつー。このまま押し切られるわけにはいかないので「弊社も御社と同様に苦しいので価格に転嫁させてください。もし価格を維持しろと仰るのなら、内容量を減らし、納期も緩和させていただくしかありません」と申し出た。「コストを価格に転嫁するのは一般論ですよ。御社とは特別な関係を築いてきたと思っています。特別な関係だからこそ、今の提案を取り下げてください。聞かなかったことにしますから。私を悪人にしないでください。本気を出させないでください」と担当者といった。「私に本気を出させないでください」まるで少年漫画の悪役がセーブしていた力を出す前に吐くセリフのようだ。

何を言いたいのかわからない。話の続きを促すと「納品される商品とサービスの質は落とさず現状の価格を維持してください」ということであった。「もしノーと言ったらどうなりますか」「他の会社さんの話を聞くことになります。私はそんなことはしたくない。だからノーと言わないと信じています。これからもうまくやっていきましょうよ」と担当者は話をまとめた。なぜ世の中全体が値上げで、コストを価格に転嫁しなけければいけない、という話から、ウチは除外されなければならないのか。

世の中全体が値上げ、というのは表面的な現象である。実際には、値上げが出来るところと出来ないところがあって、ウチのような弱い立場、下請けは「代わりの会社はいる」というジョーカーを切られると弱いのだ。ここのところ、こういう商談が続いている。「わかりました。持ち帰って検討します」といって出たその足で新しい販路を開拓しに行った。こういう取引先の態度もクソだけれども、方針を曲げて現状の価格を維持してしまう我が社の上層部はさらにクソなんだよね。これじゃジリ貧だぜ。きっつー。(所要時間22分)

「胸を揉んでほしい」と妻に言われました。

妻から「胸を揉んでほしい」と言われた。私の記憶が正しければ11年ぶりである。当時の記憶は曖昧である。この夏の甲子園出場校にたとえるならば、鳥取商が11年ぶりの出場である。関係者と甲子園マニアをのぞけば、11年前の鳥取商の戦いを鮮明に記憶している人はいないだろう。「胸を揉む」というと、性的なコンテンツと思われがちだが、実態は「モミモミ~モミモミ~」という軽薄な行為ではなく、1冊の辞書をつくりあげる人々を描いた名作「舟を編む」のように、静謐な響きが聞こえてくるような崇高な行為である。舟を編む。胸を揉む。なぜなら、妻から要請されたのは乳がん予防のための触診だからだ。「自分ひとりでは分からず見落としかねないのでセカンドオピニオン的に揉んでみてほしい」妻はそう言った。この部分に着目すると、妻からの信頼を勝ち得ている平均的な夫という社会的評価を得られるだろう。それは違う。妻は「ビーチクに触れてはならない」とも告げたのだ。昨今の過激化したグラドルやコスプレイヤーはニップレスを貼りビーチクを隠せばだいたいオッケーという風潮である。言い換えればビーチク以外はおまけであるということ。つまりビーチクに触れてこそ信頼を勝ち得ている夫なのである。私は妻から「ビーチクに触れたら」と核の脅しを受けている。信頼を勝ち得ているとは到底思えない。ビーチクに触れた瞬間、股間のプーティンが膨らんだ瞬間、私は相模湾に浮かぶ土左衛門になるのだ。つまり、私に出来ることは大和市のホームページ(乳がんの早期発見・早期治療のため、自己触診をしましょう/図書館城下町 大和市)で触診のやり方を学び、完璧に遂行するほかない。大和市からの教えに従って己の胸を揉んでいる最中、きちんと胸を揉むことができるのだろうか、という疑念が浮かんできた。それはやがて怪物となり夜な夜な私を悩ませ、妻から「胸揉むってレベルじゃねぇぞ!」と恫喝される近未来しか見えなくなってしまった。そもそも一介の中間管理職にすぎない私に何が出来るというのか。長年の経験でしこしこすることに長けているとはいえ、それが胸のしこりを見つけることに役立つかといえば自信はない。若かりし頃、私は常に女性の胸を追い求めていた。かとうれいこ、細川ふみえ…数多くの水着クイーンたちが微笑みを浮かべ魅惑のステップで私の前を通り過ぎて行った。多くの戦友たちがいた。だが彼らはもういない。そして「高速道路を走る車から手を出して受けた風の圧が女性の胸だ」と教えてくれた旧友も、「父さんと高速道路を走ってみたい」という私の純粋な願いに何も言わずに車を出してくれた父も、すでに故人である。過ぎ去った過去やもういない人たちを思い出しても胸揉みは上達しない。30年経った今、EDを患った中年の私になすべきことは、人間をヤメ、一台の胸揉みマシーンに徹することである。亡き友の言葉を思い出した私は真夜中の高速道路で車を走らせ、掌で風の圧を感じた。ショッピングモールに置いてあるヨギボーを揉んだ。覆面パトから叱られ、店員から嘆かれ、志半ばで鍛錬は終わった。いずれにせよ無駄な鍛錬であった。揉む胸に不自由しない大富豪であっても、空気を揉んでいる者であっても、流れる時間の速さは平等だ。無慈悲に迫る、ジャッジメント・デイ。触診の日。私の人生の最後の日。私は泣いた。無力さに泣いた。48年生きてきて、胸のふたつも満足に揉めないふがいなさに泣いた。むせび泣く声を妻に聞かれないよう、私はシャワーを浴びながら泣いた。頭を垂れる私の視界には、張りを失った中年の体があった。それにしても長い時間が流れたものだ。かつて「胸の先っちょ」と表現していた20代後半の妻も今や「ビーチク」などという蔑称を口にする中年である。僕の肉体も老いた。前も後ろも垂れてしまった。若かりし頃はわずかの刺激で「たちあがれ日本!」と起立し未来100年を照らす大灯台が股間にあった。灯台もと暗し。私は両手で己の尻をつかんだ。ぶよぶよした尻の感触は、幼き頃、夢中で吸った母の胸を私に蘇らせた。私はすでに揉むべき胸を手に入れていたのだ。シャワーの滴のなかで歓喜に打ち震える私を、かとうれいこ、細川ふみえ、秘技・高速道路空気揉みを教えてくれた亡き友と父が祝福してくれていた。おめでとう。ありがとう。(所要時間17分)

猫がいなくなった。

猫がいなくなった。ノラ猫だ。近所の道路や駐車場を歩いていたり、近隣の家の庭や僕の車の下で昼寝をする姿を見かけたオスのキジトラで、尻尾が短くて丸くてお団子みたいだったので、勝手に「ダンゴ」と名付けて呼んでいた。初めて見かけたのは2015年の春先だ。隣家の自家用車の屋根の上にいて、出勤中の僕と目が合ったのだ。口もとが真っ白なのが印象的な、子猫だった。それからは毎日のように姿を見かけるようになった。何日か見かけないときは妻さんと「今日はお出かけかね」「猫は自由でいいよね」なんて話をしたものだ。台風の日や雪の日は「あの子大丈夫かな」と心配した。ダンゴは鈴や首輪もしていなかったけれど、毛並みも綺麗で少し太り気味だったのでどこかのウチでゴハンをもらっていたのだと思う。さいわい、といってしまっていいのかわからないけれど、我が家の周りも高齢化の直撃を受けていて、毎日サンデー状態のおじさんたちが日中ぶらぶらしているので、もしかしたら世話をしてくれていたのかもしれない。ダンゴはカワイイ猫だった。声をかけてもニャアと大きな声で鳴かない。ニャ、と呟くように声を出すだけだ。基本的にのんびりしていて全力で走らない。日なたぼっこをして寝ているときは、だいたい白目。

ダンゴの姿を見かけなくなった。当初、妻さんと「最近見ないね」と話していた。数日見かけないことはときどきあったので「いつもの小旅行かな」つって二人とも気楽に考えていた。1週間、1か月と経って「どうしてるかな」「大丈夫かな」と不安は増していった。外国の動物園の動物がコロナに感染したというニュースをテレビで見たときは「もしかして感染した?」と余計な心配を募らせ、「野良猫の寿命」をインターネットで調べて、「野良猫はハードな環境で暮らしているので寿命は5年から7年」という情報を見つけて、勝手に絶望した。小学生のとき友達のセト君の家で飼っていた猫のポチのことを思い出していた。つい最近までポチは僕が触れることのできた唯一の猫だった。セト君の家に遊びに行くと、ポチはいつも寝ていた。ゲームをして遊んでいた僕らが大きな声を出しても、ポチは関心なさそうな顔をしていた。ポチの最期は誰も知らない。ある日、いつものように散歩に出かけてそれっきりだった。セト君は祖母から「猫は最期のときは人間の目の届かないところにある動物しかいない国に行く」と教わって、信じていた。僕も信じた。人間のいない動物だけの国なんて平和でいい、ポチはそこでのんびりと暮らしているのだ、と。ダンゴもその動物だけの国に行ったのだろうと考えることにした。妻さんにもポチの最期の話をした。「動物だけの国が本当にあったら素敵ね。ダンゴも無事に辿り着いてほしいな」と彼女は言った。

それでもダンゴのいない寂しさは消えなかった。勝手だ。何度もウチに迎えるチャンスはあったのだ。それでも「今のマンションではペットは飼えない」「野良猫の自由を侵害する権利は僕にはない」と自分に言い聞かせた。それでダンゴがいなくなったあとで、「寂しい」「やりきれない」と言っているのだからどうしようもない。何もしなかったのだから何も起きなかったのだ。僕が感じていた寂しさとは、いつも見かけた猫がいなくなった寂しさではなく、いつも見ていた風景の一部がなくってしまった寂しさだったのかもしれない。人間と猫では生きる時間のスピードが違う。ちゅーるちゅーるチャオちゅーるでも、猫を人間の生きる速度に留めることはできない。こんなふうに理屈になっていない理屈で納得して、後悔しながら、諦めながら、生きていく。

ダンゴを最後に見たのは2年前、2020年の初夏だったと思う。「思う」と曖昧なのはダンゴのいる風景が突然なくなってしまうとは想像できず、それが最後になると意識していなかったからだ。近所を歩いていて似た猫を見かけては「ダンゴが帰ってきた」とガッツポーズを決め、次の瞬間、落胆した。勝手に期待と落胆の対象にされた猫には申し訳ない。酔っぱらって変える途中の夜道に落ちていたマフラーをダンゴと勘違いして「おおお!」と涙を流しながら拾おうともした。アホすぎる。いつしか、そんなこともしなくなった。ダンゴはポチのいる動物の国の住民になったのだと完璧に諦めたのだ。

2022年の夏が来た。ダンゴがいなくなったあと、ウチの周りでは猫たちが暮らしている。彼らもいつかはいなくなる。そのときまた自分勝手に寂しさを感じるのだろう。諦めることが人生なのだと割り切って。諦めて。とにかく夏だ。日が長くなって会社からの帰り道、午後七時近くになってもまだまだ明るい。うだつの上がらない人生なので、普段は視線を落として歩いているけれど、そのときはたまたまだった。はじめてダンゴを見かけた隣の家を見た。あの日ダンゴが乗っかっていたクルマが今もあった。その家の塀は低くて、軒先は丸見えだ。雨戸を閉めようとしているその家に住むおじいさんがいた。夕焼けを眺めていた。その顔の下に猫の頭があるのに僕は気付いた。口の周りが白いキジトラだった。ダンゴだった。間違いない。おじいさんに抱きかかえられたダンゴは一緒に夕焼けを眺めているように見えた。ノラネコのダンゴはイエネコになった。タイミングさえ合えば、抱きかかえられて外を眺めているダンゴにはいつでも会えるのだ。本当に勝手だけれど僕の知らないところで勝手に生きていてくれたことがただ嬉しいしそれ以外に言葉がない。(所要時間45分)

かつて2世信者と交際したことがある。

具体的な団体名称は明かせないが、新興宗教の2世信者と付き合ったことがある。当時、僕は30才で相手は20代前半だった。彼女は母子共々の信者だった。彼女自身も、親の影響で無理やりというわけではなく、積極的に青年部に属して何とも表現しにくい会合に出席していたし、事故で人が亡くなったニュースに「きちんと加護を受けてない人間だから死んでも仕方ない」と発言したりしていたので、そこそこ厚い信心をお持ちになられていた。

カルト教団が世間を騒がせてから10年も経っていない時代だ。宗教ガールと付き合うのがリスキーであることは僕も分かっていた。なぜ付き合ったのか。一言で言ってしまえば隠蔽されていたのだ。いたした後、「実は私ね」とカミングアウトされたときの衝撃は忘れられない。合体グランドクロスのあとで「私と付き合いたいのなら青年部に来てよ。仲間たちもいるから」と恐ろしいことを言われても関係を絶てずにいたし続けたのは、ただただ20歳そこそこの若い女性の肉体が発散するエロに抗えなかったからである。据え膳食わぬは云々と自分に言い訳しつつ、仏壇を食ったのだ。負けたのだ。煩悩に。合体グランドクロスの快楽に。

ヤバいことになる前に関係を終わらせなければいけない。そう思いながらズルズルといたしていたのは、ヤバさとエロさとの狭間の快楽から抜け出せなかったのだ。僕「入れたい」宗教ガール「入信させたい」。お互いに入れたいものは違っても入れたいという気持ちは一緒であった。とはいえ「今度本部に行こうよ」「分かった分かった」合体グランドクロス!「いつ行く」「うーん、まだ気持ちの整理が…」こんな関係がいつまでも続くワケがない。

何回かいたしたあとで彼女の部屋に行った。部屋には神棚と仏壇の雑種のようなインテリアがあって、中にはビニ本サイズの大きな冊子が飾られていた。僕がそれらを指差すと彼女は「何指差してんねんコラ!」とブチ切れた。すべてを悟った僕は信仰リスペクトの気持ちと煩悩から甘い言葉をささやき、怒りをなだめ、いたすムードに持ち込んだ。仏神棚壇を買わされるのではないかという恐怖が煩悩に火をつけて、僕史上最高硬度を記録した(当社比)。信仰リスペクトの心から、彼女の信仰心と立場に配慮して、いたした。僕の身の安全のためでもあった。指を差して「おいコラ!」である。僕自ティンで指そうものならチョッキン!される危険性もあった。なのでワンルームマンションの隅に置いてあった仏神棚壇のある方向に、モロ見えにならぬよう工夫して、いたした。

結果から申し上げると最高に燃えた。ハイになりすぎて真っ白な灰になった。途中から、彼女は仏神棚壇にモロ見えになるのも構わなくなった。怒張した僕自ティンが仏神棚壇を指し示しても気にしなくなっていた。彼女が人生をかけて信じているものを忘れてしまっている、そう気づいた瞬間、僕は神を超えた気分になった。「宗教合体グランドクロスサイコー!やめられねー」と丸出しで浸っていると攻守交代となり、彼女は僕を仏神棚壇の目前に引きずっていき、その場でここでは描写出来ないようなポーズを取らされた。ポールのないリンボーダンス(全裸)のようなムーブをキメさせられた。仏神棚壇の前で。神の前で。彼女はそれまで見せたことのないほどエキサイティンしていた。その一方で僕は醒めていた。めちゃくちゃ醒めた。うまくいえないが、僕という存在が供物にされたように感じたからだ。内心を占領されたように思えたのだ。なんなんだよ。信仰をリスペクトをしてマネジメントしたのにこの扱いかよとマジでムカついた。彼女とはそれで終わりだった。嘘。それから2回ほどハードにいたしてから終わった。

宗教、信心、マネー、煩悩、資格、学歴、仕事…人が何を大切にするのか、その順位は人それぞれである。僕だったら煩悩やエロを第一に考え、宗教ガールは宗教や青年部や家族を第一にしている。それだけのことだ。同じ人間のなかでもTPOに応じてそれは変わる。仏神棚壇の前の彼女のように。つまりその順位に絶対などないのだ。それに気づかないふりをして「信じれば絶対に良いことばかりだよ」つって入信させようとするのは欺瞞だろう。少なくとも僕は仏神棚壇の前で強制的にご開帳されてドン引きした。「え?神様の前だよ。いいの?」」つって。もし絶対的なものがあってそれを信じるのなら、徹底的に絶対的なものとして扱えよ。たとえそれが嘘であっても。人の心の中はわからないし、変えられない。僕は宗教や信心を否定しない。ただ、人を巻き込むな、そう思うだけだ。宗教ガールはその後、教団で知り合ったパッとしない外見のメガネ男と結婚した。めでたく、子供が産まれて3世信者として順調に成長しているらしい。もう中学生になるはずだ。そういえば彼女はゴムをイヤがった。肉欲と煩悩に溺れて3世の親にならなくて良かったと思うばかりである。地獄の淵で僕の目を覚ましてくれた強制リンボーダンスには感謝しかない。(所要時間42分)