元旦、早朝。正月気分を盛り上げようと思い、少し遅くなったけれど飾らないよりはいいだろうと、ドアの横に注連飾りを付けてみた。我ながらシブイ趣味。こんなお飾りひとつで、正月を過ごしているような、何か新たなことが始まるような気分になってしまうのだから、僕もなかなかの日本人だ。東京タワーのてっぺんから西洋に胸を張れるくらいは。僕くらいになると、年初めの朝食も純日本的。過度に。サトウのごはんに納豆を乗っけて、あとは味噌汁。味噌汁はもちろん永谷園のあさげ。お・せち?OSECHI?そんな言葉、僕は知らない。教育されていない。
初詣はコンビニ。焼酎とビールを浮ついた黄色のカゴに入れてレジに持っていき、若い店員の女性から代金を言われ、ポケットにそのまま突っ込んであった千円札を三枚、白いテーブルの上に置く。千円札はくちゃくちゃで、一枚は完全に丸くなっていた。ひん曲がったり、日の目をみれなかったりして、哀れな野口英世たち。くちゃくちゃになった紙幣が哀れで、貧しくみえてしまうのは、たぶん、印刷されている偉人たちの悲しみが伝わってくるからだ。
哀れな千円札たちは店員の手によって伸ばされてレジに入っていった。そのうち、「〜円のお返しになります」みたいなことをいって彼女は、僕のお椀みたいな形をしている手のひらに、小学生の頃ベビースターを友達同士で分け合ったときにやったあの手のひらのかたちに、20センチ上空から何枚かの硬貨を落とした。それから硬貨を落とした手でレシートを差し出し、僕が受け取ると、残像が残るんじゃないかと思うようなスピードでその手を引っ込めた。
確かに今朝の僕は、徹夜で飲んでいたから酒臭かっただろう。髪も洗っていないし、歯も磨いていないので、頭と口からは異臭がしただろう。三日もヒゲを剃っていないから無精ヒゲも小汚い感じに伸びているし、そのうえ納豆まで食べている。汚くて臭いオッサンだ。ああ、そうさ、僕は汚い。臭い。でもさ。でも。避けることはないんじゃないかな。正月くらい緩んだっていいじゃないか。休みが終わるとまた無味乾燥のコンクリートジャングルに帰らなきゃいけないんだ。緩むことが罪なのか?僕と世界、変わってしまったのはどっちだ?
地球上から戦争がなくならないのは、地球上のいつもどこかで、瞬間瞬間、人と人の間で、こういう些細な齟齬が生産され続けているからだろう。あるいは憎しみともいえないような小さな、小さな、憎しみが連鎖し続けているからだろう。僕は世界を愛する。新年の誓いだ。こんな齟齬や連鎖は断ち切らなければいけない。自分勝手な義務感、正義感その他もろもろによって。負けず嫌いの性分を心の底に沈めて。
僕は、静かに息を吐いて彼女の仕業に笑顔を返し、レジの傍らに置いてある募金箱に返された硬貨をそのまま入れた。ガジョン。少々力が入って大きな音がした。大人げないその音は、僕の器の小ささのあらわれだ。予想外の音量に彼女は驚きの表情をみせた。僕はしてやったりの顔をしてたはずだ。僕はあまりにも子供っぽく、そして醜い。そして醜さをアルコールで忘れようとして、飲んで、飲んで、明朝一段と臭くなる。腐っていく。まあ、あの、自棄の募金で誰かがちょっとでも救われるなら、臭くなる価値はあるってもんだ。明日の朝、腐った脳みそはきっとそう思うんだ。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。この日記を見ている人たち全てに大きな幸せが降り注ぎますように。今年の目標はノーベル平和賞と空耳アワーのジャンパーです。