Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

有料エロ・チャンネルで心の隙間を埋めたいの

 出張に行った。仕事を終えてチェックインした部屋は特徴がないのが特徴というくらいの代物で、僅かに僕のなかに残っていた旅行気分を払拭するには十分なつくりだった。労働環境を支える、凝り性な総務のいい仕事。舌打ち。近くの蕎麦屋でざるそばを食べながらビールと焼酎を飲んでいたせいか、どうしても温泉に入る気にならず部屋に備え付けのシャワーを浴び、ベッドの上で横になった。それから唯一の娯楽設備であるテレビのリモコンを手に取り電源を入れた。


 ニュースとスポーツをひと通り見てしまうと、いよいよやることがなくなってしまった。リモコンに目をやる。赤いボタンが目に付いた。3個あるボタンの上には「有料」の文字。有料だから映るわけないとなかば諦めつつ、とりあえず押してみた。極小の黒ビキニを着たお姉さんが5人、大きな乳房を揺らしながら踊っていた。右上に小さく「お試しタイム」の表示。


 お姉さんたちは全身がローションでテカテカと眩く輝き、身に纏うTバックは紐のよう。カメラが下の方に向けられると黒のブリーフを履いた男性が一人、仰向けになっていた。お姉さんたちはヌメヌメと妖しく踊りながら男性を取り囲み、その股間を交代で軽く撫でた。ブリーフはもう沢山だ。オッパイを見せろオッパイを。するとお姉さんたちはクネクネと動きながら水着の紐に手を掛けた。無意味に昂ぶる。待ってました!千両役者のオッパイのお披露目です!まさにその瞬間、画面が青く切り替わり「続きを見るにはカードが必要です」というメッセージが表示された。


 金を払ってまで見る必要ないよ。僕は仕事で来ているんだ。自分に言い聞かせた。息を深く吸い込み時が過ぎるのを待った。無理だった。自分に嘘をつくのは無理だ。確かに僕は仕事でこの土地にいる。それは誤魔化しようのない事実だ。だがそれはそれ。エロはエロ。文句があるならこの世に人間を産み落とした大いなる存在に言ってくれ。


 醜い自己正当化を成し遂げると、カードを売っている場所を目指した。歴戦の戦士は戦場を知る。これが戦場の風よ。ああいうものは階段やエレベーター近くの飲み物の自販機の脇に売っていると相場は決まっている。討ち取ったり!今夜はヌメヌメ・オッパイを肴に乾杯だ!カード販売機はあった。予想どおり缶ビールの自販機の隣に。自販機の前は小さなロビーになっていてソファーが四つ置いてあった。すべて予想通り。予想出来なかったのはそこに若い男女が4〜5人、ビールを飲みながら楽しそうに談笑していたことだ。


 躊躇した。このまま突き進んで有料チャンネルのカードを買ったなら、あの若者たちは僕のことをどう思うだろう。想像するのもおぞましかった。時は急を要した。今頃、エロチャンネルではめくるめくエロの式典が執り行われていることだろう。オッパイはヌメヌメテカテカと世界を照らしているだろう。アニメのヒーローなら手首のスイッチで光学迷彩をオンにして背景に溶け込んだり、スタンドで時間を止めたりして何食わぬ顔でエロ・カードをその手におさめるのだろう。


 生憎、僕は庶民なので特殊能力は一切持ち合わせていない。ちっぽけな自尊心が邪魔をしてカードを買えなかった。「独りで仕事に来たうえに電話やメールをする恋人もいない、趣味アダルトビデオ鑑賞の憐れな34歳の男」と若者に思われることは許し難かった。左目の端でカードを眺めながら、缶ビールを買った。ワザとらしく「エビスじゃん。ラッキー」と若者に聞こえるように呟いた。


 部屋に戻る途上、ふと思った。僕の夢見る頃は、いつはじまり、どこで終わったのだろうか。僕にはグループで温泉旅行に行って、女の子と楽しいお喋りをした記憶はない。男しかいないむさ苦しい理系クラスで「大人っていうのはいつも僕らをきまりごとやテストで抑圧するんだ」と騒ぎ、「いつの日かこんな汗臭い教室を飛び出して東京の大学で素敵な女の子と合コンとかやって毎晩遊んでやるぜ!」と明るい未来に思いを馳せているうちに、いつの間にか大学なんて卒業していて気付くと勤労10年超の大人になっていた。若者と大人の境界はどこだったんだ?僕はいつから被オヤジ狩り対象になっていたんだ?なあ。耳の穴を無理矢理に拡げて大声でちゃんと教えてくれないと。こんなの残酷過ぎやしないか。



 部屋に戻り、万に一つの奇蹟に賭けてリモコンのボタンを押すことにした。念を入れるように押す親指に力を込めた…。お願い神様。ユニバース!



 画面は青かった。そこに神の姿は見当たらなかった。僕は静かに電源を落とし、暗い部屋の中で温くなったビールを飲み干した。缶が軽くなるとそれを潰し絨毯に投げた。ベッドに入り瞼を閉じた。今頃、エロ・チャンネルではオッパイが乱れ飛んでいるのだろう。あの黒ブリーフの上で。ドアの向こうでは賑やかな騒ぎが続いていた。騒ぎは昔聴いた童謡にどこか似ていた。鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。エロ・チャンネルを眺めることも出来ず、若者の楽しそうな声を聞いているだけの僕は目隠しをされた鬼。