Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ふたつの胸の膨らみはなんでもできる証拠なの

 午前零時過ぎに海岸沿いの国道を車で流した。僕の住んでいる街には海岸があり、そのうちの何割かが海水浴場になっている。海岸では海の家の建設が始まった。昼間のうちに資材と人手を消費して先ずは土台、次に柱という順番で本来の姿を現していく。今はちょうど柱が立てられた状態で闇のなかに白くすっと浮かぶ様は博物館で観た大きな動物の骨格標本のようだ。骨格標本が横たわる海岸も7月になってしまうと人の波が押し寄せて昼夜問わず喧騒に包まれてしまう。静かにドライブできるのは今の時期の夜まで。秋虫が鳴くまで愛しい時間よ、さようなら。


 カーステレオからキャロル・キングの"SoFarAway"のイントロが流れ出す。聴いていたい気持ちもあったけれど、断ち切るように電源を切る。静寂が僕を包む。唸り声に似たエンジン音だけが響くなか、決まった間隔で街頭の青白い光が僕の腕を白く照らした。時間は流れている。平等に。一定の速度で。行ったり来たりで僕は何をしているのだろう。どこへ向かっているのだろう。どこにいるのだろう。答えのない問いが頭をよぎる。


 いろいろな人のことを想う。会えなくなって久しいあの人のことを想う。海が好きなあの人のことを想う。君は今でも海に潜っているのか。僕が今こうして眺めている海と繋がっているどこかの海に。地上の塵芥が、海では白く輝く粒になって雪みたいに降るらしい。マリンスノウ。優しい凪とマリンスノウが少し強情な君を柔らかく包んで欲しいと僕は思う。街灯に照らされた小さな虫の群れが光の粒になっている帯に車が滑り込んだ。粉雪が降るなかを走るのに似ていた。キラキラした綺麗な瞬間のつながりだった。僕は見たことのないマリンスノウの映像を重ねた。


 カーステレオをオンにする。キャロル・キングの声が再生される。"SoFarAway" 遠く離れて。しょぼい人生かもしれないけれど、素敵だ、綺麗だ、と思う瞬間は必ずある。そう思えば無意味にも思える毎日の繰り返しにも意味みたいなものがあるような気がする。ぼんやりとした朧月みたいに輪郭がわかりづらいだけで。海の家が組みあがり、夏が始まって終わって、いろいろな人の環が生まれては消えていく。秋になると海の家は跡形もなく取り壊されてしまう。だけど、人の環のいくつかは残って欲しい。千切れた環も再生して欲しい。次の季節へと繋がって欲しい。秋へと。


 赤信号で車を停めた。横断歩道を人が渡る。記憶にある顔。毎朝、僕とチャリンコレースを繰り広げている白チャリのオッサンだ。ランニングをしている。踵についた蛍光塗料がヘッドライトに照らされて交互の地面を蹴るのがよくわかる。僕に勝つために?ほら、ここにも。人の環がある。明日に繋がっている人の環が見える。


 キャロル・キングは唄う。「もう一度 あなたに抱きつくことができたらそれだけでいい。そうなれたらいいのに。でもあなたと遠く離れてる」僕ならどんなに遠く離れていても、もし君が悩んだり苦しんだりしているならバケツ一杯の海水を土産に埼玉まで飛んでいって無敵の呪文、魔法の言葉を大宮駅構内で叫ぶ。君の耳に届くまで。何度でも。「ふたつの胸の膨らみはなんでもできる証拠なの」と。僕は想い出のマリンスノウに埋もれたりはしない。物語が始まるのはこれから。ほら、もうすぐ真夏。君はどこの海に?僕らはいつだって再生できる。