Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

やっつけ仕事


 駅前のビルディングに囲まれ歪な多角形に切り取られた空には夕方になると大きな黒い影が現れびょびょっびょびょと諸声をあげて飛ぶ。黒い影の正体は鳥の群れであたかも一の生物のように大きさ、形状、濃度を絶えず変化させながら建物から建物、街路樹から街路樹へと飛ぶ。諸声のポリフォニーが空間を埋める。ただでさえ狭い夕空を狭く暗く塗る。夏の空ってこんなに暗いものだったのか。陰鬱にさせるものだったのか。花火大会へと向かう賑やかな人の流れに逆らって僕は歩く。一人だけ取り残されたような気持ちになって下を向いて。いつしか僕は陽射しを避け空を眺めるのをやめ一日をやり過ごしては酒に逃げるようになっていた。


 「お酒やめたら?」大学最後の夏の終わり、人気のない構内をビール片手にふらりふらりと歩いていた僕に忠告してくれた女の子がいた。同じ文芸サークルの黒目がちで丸っこい眼がキュートなオッパイの大きな子。ただし僕の方は大学に入学してすぐに文芸サークルのドアのノブをひねる代わりに酒の蓋を常習的にひねるようになっていたけれど。そのときから僕と彼女は学部も一緒だったので顔を合わせるたびに話をするようになった。共通の話題は映画だった。彼女はストーリーのしっかりした文芸作が好みだった。フェイバリットは『ニューシネマパラダイス』。娯楽作も好きだと言ってくれたので僕は会うたびにとり付かれたように、『スピード』の飛行機爆破シーンなんてストーリーにまったく関係なくて最高!『戦争のはらわた』で味方の機関銃でダダダダダってシュタイナー小隊が殺されるところいいよねスローモーションで血糊が背中からブワアー!『フレンチ・コネクション』の高速道路?あれ?鉄道だったかなよく思い出せないけれどなんかそういうやつの下をガガガガガガガガガガと車で爆走するだけで飯食べれるぜえ!『ブローンアウェイ』地味だけど爆破シーンが多くていいよ!これも地味だけど『キリング・ゾーイ』も銀行強盗とセックスが絡むと映画は面白くなるっていう持論を補強してくれたよ!ジュリー・デルピーのベスト作だよ!『燃えよドラゴン』のあっさりやられる助っ人黒人のハッタリぶりと意味なく出てくるオッパイィィなんて眺めるだけでスマイルでちゃう!もっと爆破を!もっと銃撃を!!もっと流血を!!!!そんな勢いで口からぴゃぴゃっと唾を飛ばしながら一方的にまくし立てた。僕は好きな映画の好きなシーンだけをカットして繋ぎ合わせてマイ爆発銃撃流血カーチェイス拷問女囚地獄絵図ビデオテープを作っていた。当時パソコンはまだ普及してなくて僕はビデオデッキを二台並べてバイト先のビデオ屋から借りてきては映画の好きなシーンだけをダビングしてラベルには「ローマの休日」とか適当な古い映画のタイトルを書いて休みの日はそれを眺めてアクションスター気分に浸った。


 彼女が僕の部屋にくることになった。巨大ゴミ箱化した部屋の処理をするために僕は真夜中午前2時過ぎにポケットに残った10円玉4枚を持って電話ボックスから高校からの悪友である西ヤンに電話をした。「どうした?」寝ぼけてやがる。「どうしたもこうもない。明日午後5時、部屋に女が来る。助けてくれ。部屋が死んでいる。部屋を蘇生させなければ僕が死ぬ。昼飯いっかい奢るからとにかく午前中に来てよ」「あーわかった」緊張感がないと僕らみたいな田舎者は東京に飲み込まれるぜ西ヤンと罵りつつも僕は西ヤンに絶対的な信用を置いていたのだけどそんな信用はあっさりと裏切られ奴はやっぱり自分のペースを崩すことなく午後4時に車でやってきた。僕も午後3時過ぎまで寝ていたので文句はいえない。残された時間は一時間弱。しょうがないので買ったばかりの西ヤンの『ジムニー』にゴミ以上家具未満の物体を詰め込んで一時的に預かってもらった。彼女が僕の部屋にやってきた。なにか料理をつくってくれた気がするけど覚えていない。西ヤンが着ていた「MCハマー」とプリントされたシャツは今でもはっきりと覚えているのにどうでもいい記憶だけがやけに鮮やかだ。時間か経って僕らの間に共通の話題が無くなると彼女は映画を見たいと言って僕の自慢のビデオライブラリを眺めた。その数約100本。僕の手によってシーンをカット&ペーストされ生まれ変わった「作品」たち。それから彼女は呪文を唱えた。「終電逃したらどうしよう…」


 僕は喉がガラガラに渇いてしまったので飲み物を買いに行った。逃せ終電。グッドバイ終電。軽やかなステップで部屋に戻ってくるとテレビを前にして彼女の背中が固まっていた。「ウーロン茶とコーラ買ってきたけどどっちにする?」と言いながら画面を見て僕は凍った。彼女は僕の『ニューシネマパラダイス』を見ていた。『ニューシネマパラダイス』は100ある僕の作品のなかでたった1本だけのアダルトビデオのハイライトシーンを編集したものだった。男女比2:1の3Pシーンが僕のご趣味だったので彼女の目前で3Pそれだけがひたすら繰り返されていた。3Pカット3Pカット3Pカット3P。3P。3P。3P3P3P。常時2本接続。「これは僕なりの『ニューシネマパラダイス』へのオマージュなんだ。ほらラストのキッスシーンの連続。あれを現代的な感覚で解釈するとこうなるんじゃないかなと思って…」苦し紛れだった。彼女の両の眼が僕を乱交好きの変態だと決め付けているようにみえた。彼女は呟いた。「銀座線終電何時?」「えーと…」時刻表を探しているうちに彼女の姿は部屋から消えていた。いつものこと。然して問題じゃないか。僕は苦い思い出をビールで胸の奥に流し込んだ。たった1本、1%の失敗だった。僕は千鳥足で電話ボックスまで行って西ヤンに電話をかけた。「僕は死んだ。ビールもってきて僕を蘇生させてくれ…」「しょーがねーなー」その後も大学で会うたびに挨拶くらいはしたけれど彼女とはそれだけで終わった。


 ネクタイを外し花火へ向かう人の流れに逆らって歩いた。僕の頭上を黒い影がびょびょっびょびょと哂いながら通り過ぎていく。畜生。空を睨むとまだ色の薄い丸い月があって、それで僕は丸っこいあの眼をしたあの子を思い出した。今どこで何をしているのだろう。相変わらず酒に逃げ続けている僕を見てなんて言うだろうか。言葉もなく哂うだろうか。たぶん彼女はこう言うんじゃないか。「酒控えたら?」そんな気がする。いつの日か再会してあのときのことを二人で笑えたら最高に素敵だ。昼間の突き抜けるような青空と入道雲、白く輝く陽射し。日中に熱せられた空気で歪む夕方の橙。僕の子供の頃に眺めた夏の空は今だってある。僕が空を見上げなくなっただけで。夏休みくらいはベランダに仰向けになって空を眺めよう。もちろんビール片手に。