Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

予告された睡眠妨害の記録


 自分が叩き起こされる日、フミコ・フミオは、規則正しい生活を維持するために、朝、5時半に起きるつもりだった。彼はやわらかいオッパイの夢を見た。「あの子は、オッパイのことばかり考えてましたよ」と、彼の母親、フミコ・セイコは、忌まわしい朝のことをあれこれ想い出しながら言った。彼は前夜の忘年会の疲れを癒しているところだった。一人でディズニーランドに行ったときの戦利品であるドナルドダッグを象った目覚まし時計の鐘が激しく打ち鳴らされたにもかかわらず、ほとんど目を覚まさなかった。眠りながらヘッドフォンでメタリカを聴いていたからだ。


 妻に逃げられた男、謎のオッサンV3が初めて青年会に姿を見せたのは、一昨年の四月、つまり年忘れゲートボール大会の二十ヶ月前のことである。当時、五十歳くらいだったが、とてもそうは見えなかった。というのも眼は大麻漬けのオオノ・サトシのようにピカピカと光り輝き、肌は黄金町の日サロでこんがり焼いたみたいだったからである。彼はやってきたときパンツェッタ・ジローラモが雑誌「LEON」で披露していた、無駄に大きなバックルのついた鞣革のベルトを腰に巻いていた。


 彼は青年会の懸案事項、誰がゲートボール用具係をやるか、にあっさり終止符を打ってしまった。すなわち、彼はその役を買って出たのだ。ところが青年会会長メラ・ヨシカズの方は彼が係に就くことを望んでいなかった。「あんなのは若造のやる力仕事だ。なあ?」と彼はカウンター・テナーで同意を求めた。けれど、それも、青年会会計兼大奥であるサワジリ・エリカの一言であっさり片付けられてしまった。「別に」


 フミコ・フミオは不眠症に悩まされていた。ただ、その朝は前夜のどんちゃん騒ぎの疲れと寝る前に飲んだ風邪薬のおかげで深い眠りについていた。彼の妹、アラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコはバイト先に忘れ物を取りに行ってから帰ってくるとき、家のほうから、大勢が騒ぐ声が聞こえてきて、足を早めた。「もしかしてお兄ちゃんが起こされてしまった?」その足取りは兄を思っているときにのみ可能な、しっかりしたものだった。が、家のほうから駆けてきた老人が声をかけてきた。「もう心配しなくていいんだ。アラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコ」と、その老人は大声で言った。「フミコ・フミオは起こされちまったよ」


 翌朝に年忘れゲートボール大会を控えた忘年会も夜半ごろには収まり、青年会の人々も散り散りになった。フミコ・フミオは家に帰ると服を着替えることなく布団に倒れこんだ。サワジリ・エリカがすっかり眠っていた早朝、誰かがドアを叩く音がした。「なぜか三・三・七拍子でね」と彼女はフミコ・セイコに語っている。「だのになぜかよくない知らせを持ってきたという気がしたわ」彼女はドアを開けた。するとV3が立っていた。彼は真っ青な顔をして、エアジョーダンで足をガードし、中学校の教師が身に着けるようなベルトいらずのスラックスをはいていた。「ピッコロ大魔王のように緑色に見えたわ」彼女はフミコ・セイコに言っている。「すみません」と彼は言った。「用具箱の鍵をなくしてしまいました」


 五時ちょっと前、サワジリ・エリカからの連絡を受けた青年会オッサン1号と2号が公民館にやってきた。彼らはV3が会議室のパイプ椅子にうつ伏せになっているのを見た。2号よりは額の広い1号が、V3を抱き上げパイプ椅子に坐らせた。「さあ」と1号は早朝のオッサン特有のオエエという呻きに震えながら言った。「予備の鍵を持っているのは誰なのか教えるんだ」V3は、ほとんどためらわずに名前をあげた。それは、ただ忘れられていただけで、青年会の議事録をみれば真っ先に見つかるものだった。彼がなにげなく挙げた名は、年初の会議で決められていたのである。「フミコ・フミオだ」彼はそう答えた。


 そのとき「年忘れゲートボール大会」のために公民館に集まりだしていた老人の多くは、フミコ・フミオが叩き起こされることを知った。町長選挙で賄賂を行い失脚したイヌヤマ・マスオは、指を立てて挨拶をした。「わたしは現実的な理由から、彼が叩き起こされることはもうあるまいと思ったんだ」と寝言を言った。元貴族であるタケ・ルンバ神父もまた、心配しなかった。「公民館には『たった一分探せば誰にでも見つけられるもうひとつの予備の鍵』があるので、根も葉もないことだと思いましたよ」と彼は言った。


 町で営業していたのは駅前のファミレスと非合法スナック「戦国」だけだった。そして「戦国」で、フミコ・フミオを起こそうと待ち構えるオッサン1号2号が、ほとんど泣きそうな顔をして時間を潰していたのである。「私たちは六時になったらフミコ・フミオを叩き起こしに行くのだ」とオッサン2号は言った。「お願いだよ」店のママ、コブラ・アサコが言った。「彼は不眠でなやんでいるんだ。起こさないでおくれ」その声を遮るように1号は言った。「五時五十五分。時間だ」二人の男は料金を払わずに店を出た。コブラ・アサコはせめてもと思い、彼らにメチルアルコールを飲ませたが二人の足取りに効き目はないように見え肩を落とした。「あたしはつくづく思ったよ」と彼女はフミコ・セイコに語っている。「やっぱり女は女。駄目ね」


 「フミコ・フミオが起こされた」「フミコ・フミオが起きた」家の周りで騒いでいる老人たちの壁をアラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコは掻き分けて行った。フミオ・フミオが昨夜と同じユニクロにサンダルという出で立ちで覚束ない足取りで家から出てきた。「お兄ちゃん!」アラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコは大声を出した。「大丈夫ー?」フミコ・フミオは両腕を前に伸ばし、公園に向かって歩いていった。「あのときのお兄ちゃん、幽霊みたいだった…」


 意気揚々とフミコ・フミオのもとへ向かうオッサン1号2号の姿を、駅前にあるファミレスで曲作りをしていたエム・ケーとアシ・タカは見ている。エム・ケーは気にも止めずにFのコードを押さえた。「フミコ・フミオのことなんてすっかり忘れてましたよ」「オッサンのことなんてどうでもいいです。Perfumeが遠い存在になってしまったことに比べれば…」と彼らはフミコ・セイコに語っている。同じファミレスではモンスター・ヒロンが動画を撮っていた。「僕は何も言いませんよ」彼は言った。「微妙に有名なフミコ・フミオなんて紹介したってしょうがないじゃないですか」

 
 アラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコはバイト先に向かう途上、鼻息の荒いオッサン1号2号とすれ違った。「アラガキ・クリヤマユマエビハラクリステル・リコ!」1号は挑みかかるような勢いで言った。「フミコ・フミオに言うんだ、これからお前を叩き起こしに私たちは行くってな」彼女は「寝ているお兄ちゃんにどうやって言うの?私が起こすことになるじゃない!バカ!」と返した。彼女はなんとかして計画を阻んでやろうと思った。「お兄ちゃんは空気銃を持っているのよ」と彼女は怒鳴った。「寝起きで空気銃が撃てるものか」彼は怒鳴り返した。


 それからはなにもかも三丁目の老人全体がかかわることになった。ゲートボールをやりたい一心で犯行に立ち会おうとフミコ・フミオの家に集まりだした。1号と2号は雄たけびを上げ彼の家へ走った。彼らのすぐ後をゲートボール用のスティックを持った老人たちが追いかけていた。2号は呼び鈴を叩いた。反応がないのを確認すると庭を回り寝室の窓を叩き、「用具箱の鍵を出せ」と叫んだ。すると埃っぽい部屋のなかでうつ伏せになっていたフミコ・フミオが、ゴミの山のなかから立ち上がろうとしているのが見えた。彼は身をよじるようにして起き上がると、朝立ちを忘れた股間を両手で隠しながら、ふらふらと歩き出した。彼は枕カバーに隠したゲートボール用具箱を取り出すと裏口から出た。


 フミコ・フミオの友人である覆面レスラーは、彼の家から5mのところで起きたできごとを知らなかった。「老人がわいわい騒いでいるのは聞こえましたよ」と彼は言った。「でも僕はただの年末恒例ゲートボール大会だと思ったんです。フミコ君は青年会ですから」彼は朝食を食べようとしたときフミコ・フミオが両手を前に突き出しながらキョンシーのように飛んでいくのを見た。そして男性にしては長い睫毛と奥田民生風の顔が、いつになく美しかったと、そう語っている。


 フミコ・フミオは老人に急かされるように公園へ向かい、隅にある用具箱にぶら下がった南京錠を開いた。彼に付いてきた老人たちは我先と用具箱へ首を突っ込み、年忘れゲートボール大会の準備を始めた。彼はオッサン1号に鍵を預けるとフラフラと家に向かって歩き出した。


 イラストレーターのヨネザワ・ヨシミは、フミコ・フミオが酒の抜けない千鳥足で自分の家を目指し、階段を上がるのを、天窓の掃除をしながら見ている。
 

 「フミコ!」彼女は彼に向かって叫んだ。「どうしたの?」


 フミコ・フミオはそれが彼女であることがわかった。


 「おれは、叩き起こされたんだよ、ヨネ」彼はそう答えた。


 彼は明治牛乳の宅配箱につまづいて転んだ。が、すぐに起き上がった。「箱からこぼれた牛乳を、瓶についた泥を気にすることもなく一気飲みしていたよ」とヨネはフミコ・セイコに言った。それから彼は、四六時中開けっ放しの裏口から家に入り、布団に突っ伏したのだった。