友人の部屋でこれを書いている。今は日曜の朝だ。僕はこの、初めて訪れた新百合ヶ丘の部屋で、僕の二十世紀末を再生した。違う。自分にしかわからないクロニクルを語るときは正確に記述するんだ。スポーツマンが、ソテーから慎重な手つきで脂肪を切り離すように、曖昧さは排除しなければならない。言葉よ、贅肉を削ぎ落として正しいフォームを獲得しろ。雑食主義を否定しろ。必要なのは正確さ、そしてピュアネス。違うかい?僕は訊ねる。闇は答えない。友人も答えない。僕も、答えを求めていない。僕はこの部屋を知っている。友人の部屋は僕の部屋と同じにおいがした。前世紀の終わり、僕は、この部屋にいた。
2000年の初夏、多くのロックスターが黄泉へダイブした年齢に並んだ僕は、突発性の熱病に冒されたように誰にも相談することなく会社を辞めた。金曜の夜。中華料理屋のカウンター席。飛び交うチャイニーズ怒号。乱雑に扱われがちゃがちゃと悲鳴をあげる食器。そこで僕はガールフレンドから「顔が死んでる」と言われ、翌週、辞表を出した。「マッドマックス」で意気投合した彼女はナイス・オッパイの持ち主だった。
彼女が僕を軌道修正させたいと考えているのが、僕にはわかっていた。仕事に疲れ、このままでは駄目だと何かに追われ、焦り、酒を飲んでは彼女のアパートに転がり込み、英会話が流れていたMDプレイヤーのダイアルを捻ってAFNを鳴らし、オッパイを揉みながら愚痴をこぼすばかりになっていた僕を。会社をクールに辞めた僕は、僅かな退職金でプレイステーション2を買った。
彼女を驚かそうと、会社を辞めてからの六日間を髭を伸ばすことにあてた。そして七日目に無精髭で、頭にバンダナを巻いた僕が部屋を訪れ、プレステの入ったヨドバシカメラの手提げを目の高さまで上げると、彼女の肩がすっと落ちた。「それで?」彼女は力の抜けた腕を持ち上げ組むと言った。「何をするの?」何だ?何がしたいんだ?答えに窮した僕はオッパイを揉んだ。彼女の部屋にはすでにプレステ2があった。二つのコントローラーが双子のようにグリーンの絨毯を泳いでいるのを目の縁で見た。
僕は、何かがわからなかったので、何もせずに毎日を過ごした。出勤する家族と顔を合わさないように昼過ぎまで部屋で息を潜めてドラクエ7の石板収集に精を出し、布団から出るとつっかけを履いて自転車に乗った。ペダルを踏み込んでパチンコ屋に行き、勝つと焼き鳥で祝勝会、負けるとさくら水産の魚肉ソーセージで残念会。自分に言い訳をしながら酒を飲み、彼女の部屋でオッパイを揉んだ。
ドコモは料金未納のために弁護士の名前が記載された督促状が送りつけられるありさまだったので、彼女の部屋には約束もなく突然訪れた。彼女がいるときもあればいないときもあった。彼女がいないときは134号線に並ぶラブホテルの灯りが点滅するさまを眺めてから帰った。彼女はなにもいわなかった。僕は暗闇の底でオッパイを撫で彼女が眠るのを待った。オッパイは僕を、いろいろなものから、切り離し、忘れさせてくれた。
本や衣服が無造作に積み上げられた自分の部屋に帰っては寝転び、眠るまで天井を眺めた。天井を眺めながらいろいろな音楽を聴いた。たいていは古いロックンロール。クラッシュ。テレビジョン。ザ・ストゥージズ。一番聴いたのはマニック・ストリート・プリーチャーズのファーストアルバム「ジェネレーション・テロリスト」。ギタリストのリッチーはどこかへ行ってしまったままだった。音楽の前で、自分と天井のあいだの僅かな空間に淡い何かが見えた気がした。月が明るい夜は窓から射し込んだ光が、部屋を舞う埃をちりちりと照らし、命のない蛍を生んだ。
夏の終わり、僕はサービスエリアに停めた車のなかで心臓発作を起こし、スーツ姿のまま腐乱した友人の通夜に顔を出した。式の帰り、久しぶりに会ったクラスメイトたちに強がりを言った。「会社を辞め、夢に生きている」。街灯に群がっていた蛾が埃の蛍と同じ光を放った。蛾は、僕らの声が近づくと夜に散っていった。時折、部屋の扉が開いて、母や弟が大きな声を出した。ヘッドフォンをして何かを眺めている僕を認めると、音のないため息を残して扉は閉まった。そんな暮らしが半年ほど続いた。
そして彼女はいなくなった。郵便受けのネームプレートだけを残して消えた。探すことも追いかけることも僕はしなかった。彼女は彼女の意思で選択して消えたのだ。消えてしまったものは永遠に追いかけられない。ネームプレートの彼女の名は雨に染み出していた。
僕は寂しさを紛らすためによたよたと走った。そして21世紀初頭に電話が鳴り、次の舞台に立つことになった。スーツを買いドコモの料金を支払った僕は唐突に彼女に再会する。彼女は何通もの未読メールへと姿を変えてやってきた。
「がんばれー」「がんばって」「諦めちゃダメ」「世の中を驚かせるんでしょ」「負けちゃダメ」「逃げるな!」「メールみてる?」「目を背けるな」「やりたいことをやって」「腐っててもなにも始まらない」「楽しかったけどもう限界」「やりたいことができたの」「さよなら。21世紀によろしく」。
僕はドコモのアドレス帳のなかで生きていた20世紀の彼女を21世紀から消す。消去しますか?はい。僕は、僕の掌のなかで彼女をもういちど失った。痛みが僕の掌から心の隅々までを引き裂いていった。人は噛み合わないギアみたいなもので、互いに干渉しあい、時に傷つけあったりもする。僕はギアチェンジをうまくやれなかったけれど今はなかなかいいところに着地している。代償として失ってしまったものもあるけれど。
久しぶりに天井を眺めてみた。何もみえなかった。何かは僕の心と体と時間に吸収されたのかもしれないし、どこかへ消えたのかもしれない。何かを見つけた者は去っていく。彼女。マニックスのリッチー。彼らはそれぞれ、何かを見つけ、違う舞台を選んだのだ。何かはもう僕を焦らせない、追いかけてもこない。それを今の僕はすこし寂しいと思う。あのジリジリとした感覚。そうだ。僕は新しい何かを自分で見付け、追わなくてはいけない。ふと、あの頃聴いていた音楽を聴きたくなり、埃の被ったCDラックを探してみた。CDは見つからなかった。きっと僕は、あの頃の音楽をもう必要としていないのだろう。