Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

もし会社の上司が山下真司の『スクール☆ウォーズ』を観たら


部長が『スクール☆ウォーズ』に夢中になっている、というのが社内でもっぱらの噂。僕は、その噂を耳にしたとき、とても嫌な予感がしたんだ。


 金曜夕方、今月五回目の月次定例営業会議がおこなわれた。諸般の事情により(公式)、否、部長の遅刻により、開始時刻は予定より一時間遅れた。会議室に現れた部長は、大昔から席についているメンバーを見渡し「決められたことしか出来ねえ頭のかてえ奴らめ…」と言いながら腰をおろした。部長の身体から重苦しい空気が流れてくるような気がした。


 左から右へ黒鉛筆、赤鉛筆、ボールペン、定規、消しゴムという決められた順番で一定間隔に文房具を並べ、ふむ、と満足したように頷いたあと、「定刻となりましたので営業会議をはじめる…」と鈍重な感じで会議の開催を宣言した部長は、突如、「お前ら、このままで悔しくないのか!」と絶叫、激しく机を殴打した。会議室はしんと静まりかえった。部長の文房具が床にはじける音だけが小太鼓のように響いた。


 部長は一枚のB5用紙を取り出すと、ホワイトボードにマグネットで貼り、お前らこれをみてどう思う?と尋ねた。広い会議室に対し、B5の用紙はあまりにも小さかった。内容を確認しようと目を細めた牛島君が部長から、たいした成績もあげてねえくせに…、と絡まれているのをよそに僕はその資料を眺め、悲惨な内容に絶望した。そこには営業成績が描かれていた。



赤線がノルマ。


 苦しい状況のなか、営業部のメンバーは健闘、ノルマを達成していた。ただひとり、部長をのぞいて。部長はつづけた。「これをみてお前らはどう思う?」。《部長が頑張れよ》《部長が足を引っ張っている》。部長以外の人間は、たぶん、そう思ったはずだ。同時に、どうせ部長は現状を理解していないにちがいない、とも思ったはずだ。予想は裏切られる。「今期の俺は一件も契約もとれていない…」。自覚している。低レベルな世界になれてしまった僕は、部長が現状を把握していることに感動してしまった。もっとも、部長は今期どころか五期以上成約ゼロ、解約は三桁、出入り禁止は二桁だが。


 「俺たちはチームだ!」咆哮した部長はホワイトボードに張ったB5用紙を、こんなものは、俺の手で、こうしてやる、と細かく引き裂き、それから蝿の羽音のような小さいが、気に障る声で呟いた。「オール・フォア・ワン、オール・フォア・ワン、、オール・フォオ・ワン…」。それから部長は新たな資料をホワイトボードに叩きつけるように貼り付け、「俺たちはダメだ…」と言った。あんただけだろダメなのは…。やはりB5サイズはあまりにも小さすぎた。


次の瞬間、

会議室から呼吸音が消えた。


 部長が静かに、そして確信にみちた顔で口をひらいた。金歯に蛍光灯の光があたり輝きが一瞬放たれた。「お前たちの営業成績を合計し<チーム>全員へ平等に振った…。オール・フォオ・ワン…。すると…なんということでしょう…」《劇的ビフォー・アフター》を楽しく鑑賞している日曜夜の部長を想像した。おぞましかった。


「俺たちは…チームとしてはおろか、誰ひとりノルマを達成していない…。連帯責任だな…。チームの…。この実態を社長に報告するのは組織をあずかる長として、ひとりの営業マンとして、情けなかった…お前ら悔しくないのか!」悔しいです!心で叫んだ。ひとりの人間としてどうなのか。わけのわからない報告しやがって…。耳の奥のほうからスライ&ファミリーストーンの「アフリカは君に語りかける」というへらへらした曲が流れてきて、部長の「オール・フォオ・ワン」と融けていった。へらへら。


 絶望的な空気のなかで牛島君がたちあがった。「部長はどうやって今の地位にまで登りつめたのですか?」。明らかな嫌味。にもかかわらず部長は腕を組み、目をとじた。「俺が若い頃は…」朴訥な口調から真剣さがうかがえた。部長のまぶたには劣化する以前、熱血だった己の姿が映っているのかもしれない…と見守っていると「同僚たちのミスをいかにして集め、上に報告するか、そんなことばかり考えていた…」熱血はありませんでした。


 重苦しい空気の底で、部長以外のすべての生物がうなだれていた。「この話はここまでだ。今日からが勝負だ」部長は、殺人鬼のような笑みをうかべ、ホワイトボードの前でペンをとり、ナスカの地上絵的な図形を描きはじめた。



 部長がゾディアックだったのですね…。


「今、チームの状況はこうだ。勝てる。オール・フォオ・ワン」。部長の、絶望につつまれた会議室全体を励ますような、明るい声。なにか考えがあるのかもしれない、しかし、しかし…うんうん僕がやっている向こうで、この図はなんですか、誰かが尋ねた。部長は、待ってました、とばかりに全身を痙攣、白目をむいてから、ペンを走らせた。「こいつぁ…こういうことだああおりゃ!」会議室に奇声が響き渡った。絶望が骨の髄まで染み渡っていくような気がした。これは会議ですか?いいえ、これはジョンです。


 「これが今季のチーム状況だ。使えねえ木佐貫を追い出した…ヨシノブは復帰し、長野、小林が加入した…戦力にスキがねえ…年間100勝いける…」。毎度おなじみの読売ジャイアンツ…。


 このとき日時は平成二十二年三月二十六日金曜日午後五時五十分。「今日はこれまでだ!みんなはひとりのために!」そう、声を張り上げ、会議と、営業部の面々の夢希望とを木っ端微塵にすると、部長はテレビのリモコンを操作し始めた。「ポチっとな」。セ・リーグ開幕戦。巨人対ヤクルト。「オール・フォオ・ワン、オール・フォオ・ワン、俺は巨人が観たい、だから、お前らも観ろ、これは命令だ」部長、かく語りき。そしてついに野球中継の最後まで「ワン・フォオ・オール(一人はみんなのために)」というフレーズは、部長の口から出てこなかったのでございます。