Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

twitterで知り合った友人が亡くなった

 彼女とはツイッターで出会った。共通のフォロワーがひらいた飲み会で初めて顔をあわせた。二月の東京だった。彼女が、僕の日記(つまりここだ)が面白いと言うので、調子にのり、ああ、よく言われますと冗談のつもりで言い返すと変なものを見るような目をしていた。それが彼女との最初だった。そして、それが最後だった。彼女は死んでしまった。

 訃報をきいてすぐに僕は彼女のツイッターのホームをひらいた。「つぶやき」は五月を最後に終わっていた。終わりのほうは体調不良をほのめかす発言の頻度が増えていた。僕はまったく気付いていなかった。彼女は、彼女の言葉、彼女に気付かないまま流れていく世界を眺めてどう思ったのだろう?そして、不安を感じさせる言葉のあいだあいだには、健康になりたい、元気な体が欲しい、という願いの言葉があった。


 仲間たちと彼女の通夜に行った。ツイッターで出会い、インターネットの向こうで知らないうちに病に斃れてしまった彼女の死を確かめたかったのだ、おそらく彼女の生涯において《最後の友人》である僕は。僕らは。インターネットで友人になったことを恥じることはないのに、僕らは、どこかうしろめたい気がして、親族に訊かれたら「趣味の友人です」と答えよう、なんて、いい歳してくだらない口裏あわせをしたりしていた。皆、動揺していたのだ。


 彼女の遺影を見た。東京で会ったときよりも、ずっとふっくらとしていて、それが、もうあのころには、と想わせ、かえって僕は悲しかった。若い女の子が。病気で。たぶん。ずっと。苦しんで。痛かっただろうな。辛かっただろうな。なにより。悔しかっただろうな。理不尽だと思ったろうな。なんて。焼香のまえには口数が多かった僕らも、棺に入った彼女を見たあとには言葉少なになり「いい遺影だったね」「俺には遺影にするような写真がない」「フミコ課長の遺影はヒゲガンダムですね」そんな中身のない話をしただけだった。通夜のあとに斎場で飲んだビールはまったく味がしなかった。


 帰り道に居酒屋で飲みなおした。くだらない話の合間には、彼女の話が出てしんみりとした。話題は生前の彼女がインターネット上に残したものになった。僕らはハンドルネームの彼女しか知らない。リアルの知り合いが知っている本当の彼女を知らない。リアルの知り合いが知らない彼女を知っている。だから。彼女は最後にこう、呟いていた。《まわりはなんとでも云える》《健康になれるなら死んでもいい》。誰かが、あれは本音だね、と言った。僕も、キツイよね、と言った。


 僕はいまさら気付いた。インターネットで出会った僕らにはリアルの付き合いでは知りえない本音に直面することがあるのだと。遺された発言は発言主が地上から消えてしまったあとも電子の海と僕らの心を漂うのだと。インターネットの付き合いはリアルのそれよりも深いものになりうるのだと。あんな言葉遺されてしまっても…なにもできないよ…悲しすぎる…そんなふうに沈んでいた僕らだったけれど、一人が、親族との会話から、彼女がインターネット上でサバをよんでいたかもしれない、そんな疑惑を見つけて、それがちょっと半端ないくらいのサバだったものだから、死んでしまったことは変わらないけれど、寂しいのも悲しいのも変わらないけれど、サバの分だけ彼女は生きられたんだと奇妙なカタチで本当に僕は癒されたんだ。飲んでいた仲間もそうだったんじゃないだろうか。本人の思惑はどうあれ、これはインターネットで出会った僕らだけへの彼女からの最後のプレゼントだったんじゃないだろうかと僕は思う。通夜に行くかどうか悩んだけれど、本当に、行ってよかった。


 神には地の底にいる人間が見えない。だからときどきくしゃみをして根無し草みたいな弱い人間を奪うように吹き飛ばしてしまう。でも神にだって絶対に奪えないものは、ある。それがなんなのか僕にははっきりとわからないけれど、とりあえず、なくした人を想って泣くよりも出会った喜びと生きていこうと思う。先にいってしまった人に笑われないように僕は。生きる。仕事をする。たまにいいことをする。でも馬鹿なこともする。失敗もする。たくさん笑う。ときどき怒る。しょっちゅう悩む。ごくまれに泣く。そして生きる。彼女より少し、長く、生きる。ありがとう。会えてよかった。空の上から、ちょっと寂しくなってしまった、僕らのアイもかわらずくだらないタイムラインを眺めて馬鹿だなーって思ってくれたらうれしい。ほんとうに、さようなら。 七月七日の告別式にはいけなかったけれど、僕は、彼女の魂が安らかに眠れるよう、どうか彼女の魂からつらく苦しかった病との闘いの記憶が消えてなくなるよう、七夕の夜空に祈った。