昨年末に体調を崩して入院していた祖父が亡くなった。危篤の連絡を受けたとき、僕は仕事で都内にいて急遽駆けつけたが臨終には間に合わなかった。暖かくなるにつれ、体調も安定して、もうすぐ家に戻れると家族みんなで喜んでいた矢先だった。
僕は祖父に伝えるべき言葉を見つけられなかった。日に日に回復しているようにしか見えなかったので、感謝なのか、惜別なのか、わからないけれど僕は祖父に言うチャンスを失ってしまったのだ。尤も百歳という年齢のために手術が出来ず緩やかに死に向かっているのはわかっていた。でも、そんな現実をまえにしても百年続いた命がパッと消えてしまうようなことはないんじゃね?という変な確信があったのだ。
「棺桶にいれるとき釘は打たないでくれ。うるさくてかなわない」「ソンビになって出てこられても困るからさ釘はうつよ。また来るよ。じゃ」こんなどうでもいいやり取りが最後だった。その後、仕事が忙しくなり病院には行けずじまいだった。
入院後の一時は荒んでいた祖父だが最近は明るかった。ベッドから離れられないくせに活動的。酒なんてほとんど飲めないのに若い介護士の兄ちゃんと上大岡で飲む約束をしたり、突然、皮が気持ち悪いといって避けていた鰻を食べたいと言い出したり…。
どうしても蕎麦が食べたいと言い出したときは本当に困った。「蕎麦が食べたい蕎麦が食べたい蕎麦が食べたい」下手なお経のように抑揚なく呟き続けるので仕方なくナースセンターに足を運び「蕎麦の出前取っていいっすかぁ?」と多少ズレて常識がないが家族想いの現代青年風にライトな感じできいてみたら看護士おばちゃんにヘビーな感じで叱られた。
それでも蕎麦蕎麦読経をやめないので、家で茹でた蕎麦をタッパーに、麺ツユを水筒に入れ、見つからないようにして病室に持ち込んだ。こんな情けない姿、誰にも見せられない、だがしかしこの反体制な感じ、悪くない。ロックかも。って苦悩して持ち込んだ蕎麦、祖父は一本すするのがやっとだった。弱っていた。祖父と死の距離は縮まっていた。確実に。
そのとき僕はどういう顔をしていたのだろう?僕の顔をみた祖父は「こんな不味いものは食べられない!」と笑った。回復しているのではなく無理をしていたのだ。家族に心配をかけまいという祖父なりの気づかいのつもりだったのだろう。僕は余ってしまった麺ツユを捨てているところを看護士おばちゃんにみつかって超ヘビーに叱られた。
亡骸になった祖父が家に帰ってきた。皮肉にも帰ってきたときのために片付けておいた部屋が役に立った。親族が集まってきて順番に線香をあげた。祖父の枕元に木彫りの熊が置かれていた。僕が小さいころから祖父の部屋に飾ってあったものだ。北海道土産の、鮭をくわえたアレ。
葬儀の手続きを終えてから親族と話をした。「百歳、大往生だったね」「大病もせず意識も最期まではっきりしていていい人生だったんじゃないか?」皆が皆、もういない人のことを自身に言い聞かせるようにして話しているのが可笑しかった。
僕は叔父に尋ねた。「あの木彫りの熊なんなの?」「あれは俺の兄貴が北海道で買ってきた土産だよ」知らなかった。叔父の兄は僕が生まれるずっと前に起こった鶴見事故で命を落とした。まだ20代前半の若さだった。祖父はいろいろ話を聞かせてくれたけれど、その事故について語ることはなかった。事故や災害のニュースも極力見ないようにしていたように思う。
祖母は鶴見事故の一年後に亡くなった。詳しくは知らないが心労とかいろいろあったのだろう。別室で眠る祖父に線香をあげに行こうと腰をあげた。すると「あんた、野暮なことをするのはやめなさい」と母と叔母が声を合わせて妙なことをいった。「え、野暮?」と訊き返すと「八重さんが来ているのだから」「長いこと待たせちゃったんだから!」と母叔母姉妹はいう。
八重さんは僕の祖母だ。母が言うには、百年生きた祖父は死別した女房と長男を五十年待たせてしまっている、今、祖父は長い人生を終えて家に戻ってきた、やっと女房と長男に会えるようになったのだから気をつかいなさい、というわけだ。僕は想った。祖父と祖母と若くして亡くなった叔父の三人がこの古い家で一緒に暮らした、そう長く続かなかった時間のことを。女房と息子を亡くしてからの、祖父の、木彫りの熊を眺めてすごした長い長い時間のことを。母たちの言う物語も言葉で紡がれれば命を与えられるかもしれない。聖書のいうように言葉が神ならば。「野暮な男はモテないからスモークは後にするよ」と僕がおちゃらけて言うと皆、笑った。
棺には八重さんの写真と木彫りの熊をいれた。釘は打たなかった。打つフリもしなかった。約束だから。火葬場で亡くなる直前の祖父の様子を叔父から教えられた。病院から帰ろうとする叔父に祖父は突然、あらたまった様子で両手を揃え「今までありがとう。仲良くしてな。さようなら」と言い残したそうだ。最期まで…覚悟ができていたのか…泣くなといわれていたけれど、ごめん、さすがに、僕は泣いた。僕も人生の終わりにありがとうといえる人間になろう。
でもさ、残していく家族のことを思いやるのはカッコいいけれど僕らは大丈夫だから。50年も待たせたんだ。木彫りの熊は鮭を離さない。爺ちゃんも木彫りの熊のごとき力強さで奥さんと子供を離さずにうまくやってほしい。どこかで50年前に中断した物語がふたたび紡がれることを僕は祈るよ。本当にありがとう。さようなら。