食事のあと汚れた食器を洗う。僕に任された家事のひとつだ。静かな台所に響くカチカチという食器同士がぶつかる音とちょぽちょぽと水が流れる音はどこか寂しくて好きになれない。壁のカレンダーをみると10/31に母の字。赤いペンで「任務終了」。母が定年退職する。65歳。父が亡くなった直後からだから20年近く働いたことになるのだろうか。
母が見つけてきた仕事は隣の市にある葬儀屋だった。事務から進行補佐まで。土曜・日曜関係なし。通夜がはいると夜遅くまで仕事。そんな環境だった。五十近くになっていた母には相当きつい仕事に思えた。働きはじめた当初、疲れきっている様子をみて、僕が転職をすすめると、ガクもない。シカクもない。何十年も前に電機メーカーで数年働いただけのオバハンだからといって母は笑った。確かに家計は火の車操業で大変だったけれど、僕には母がわざと忙しいなかに身を置いているようにしか見えなかったが、それが父の不在を埋めるために必要な行為だと気付いてしまうと何もいえなくなってしまった。人にはそれぞれ悲しみを癒す流儀がある。他者が口出してはならない流儀が。
迎えにいった帰りの車の助手席。夏の暑い夜も。吐く息の白い冬の夜も。母はよく僕の知らない明るい歌を歌った。歌が寝息にかわってもカーラジオはつけなかった。正しいとか間違っているとかじゃなく、要領がいいとか悪いじゃなく、僕はドナドナを歌って悲しみにくれるよりも母のやり方が好きだ。母は僕が就職して我が家の火車の火が小さくなっても葬儀屋をやめなかった。僕が無職になって我が家の火車の火勢が多少盛り返しても葬儀屋をやめなかった。僕が課長になって我が家の火車の火が鎮火しても葬儀屋をやめなかった。それが母の流儀。それが20年。お疲れ様。本当にお疲れ様。
母は言う。「来月からはただの主婦を取り戻すぞ!」その声に僕は思い出す。子供のころたくさん編んでもらったマフラー。セーター。手袋。道路工事のような騒音を出していたミシン。家もずいぶんと汚れてしまった。母が、夏に引っ越してきた妻に気をつかって「ごめんね、汚いとこで私掃除が嫌いなの、これからは二人で朝夕二回掃除しましょー」と申し訳なさそうに、それでいてなかばふざけた調子で言うのを見るのがつらかった。嘘。家の掃除が行き届かなくて一番くやしい思いをしているのは母だ。埃を被ったまま眠っているミシンが証人だ。
今、僕が願うのは父の不在によって消滅してしまった主婦生活を少しでも母が取りかえすことだ。不可能なのはわかっているけど、出来るなら、少しでも、同じ、ものを。そのためなら僕はできることは何でもしてあげよう。父の身代わりにでもなろう。炊事洗濯家事親父。母の体が動くかぎりは、母が納得するまでは、あんた自分でやりなさいとブチ切れるまでは母に。それが僕の流儀。日の当たるあたたかな物干しで主婦になった母が妻と二人で洗濯ものを干しながらハミングするのを聴いて僕の流儀は終わる。僕の。父の代わりの僕の。父の代わり。父の。
食器を洗い終えると指に味噌がついていた。味噌をみると僕はいつも脱衣所のカゴに脱ぎ捨てられた父のパンツを思い出す。鮮烈な印象として残っている白いパンツ。母のためにパンツも父レベルまで汚さなきゃとは思うがウンコのつけ具合が難しい。漏らしだと思われたらそれはそれで心外だし。味噌の匂いは昔の、父がいたころの家の匂いによく似ていた。
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