Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

自死遺族の生き方

   僕が迷子になったとき「死んだオヤジが連れて行ってしまった」なんてオカルトじみたことを言ったのは父である。迷子になったのは昭和52年師走、横浜駅。当時3歳。もっとも当事者の僕にその記憶はなく、ずっと後、中学生になってから母から聞かされたのだ。そのとき3歳の僕をなかなか見つけることが出来ず父と母は最悪の事態も覚悟したらしい。父は極めて楽観的で楽しい人なのだが、同時に諦めも早い人で、その前年に亡くなった祖父を持ち出して「オヤジが連れて行ってしまった」と母に話したらしい。

   当時、父が祖父のことでキズつき疲れていたのは想像に難くない。祖父の遺体は海で見つかったと聞かされている。姿が見えなくなってから富山県高岡の海岸で見つかるまで一週間かかったとも。祖父は何も語らずに死んでしまった。いつだって肝心なことは言葉にされないまま終わる。そういうものなのだろう。僕が迷子になったのはその直後だ。


「オヤジが連れて行った」父がそう言いたくなる気持ちはわからないでもないけど、僕が思ったのは、冥府から手を伸ばして可愛い子供を連れ去るなんていくらなんでも死人強すぎだろってことだ。


父も迷子になった。ハイティーンの僕は、そのとき風邪をひいて学校を休み、テレビゲームで遊んでいた。記憶が確かなら「スーパーマリオ3」だったと思う。家には僕ひとりだった。しばらくして買い物から帰ってきた母が自宅で仕事をしているはずの父が見当たらないと騒ぎ出した。子供っぽい父の、いつもの悪ふざけ。父を捜した。リビング。トイレ。ガレージ。車。物置。寝室。薄暗い寝室の父のベッドは、ちょうど父の体の大きさくらいに掛け布団が膨らんでいた。何やってんのと声をかけ、布団をはいだ。父はいなかった。父がいるはずの空間には洗濯物が丸めていれてあった。偽装工作。こういうことを父はよくやるんだ。ふざけてるな、と思い寝室の隣にある書斎のドアを開けた。父がいた。父は僕に背を向けて立っていた。何やってんの。母さんが探してんぞ。古い書物と畳から放たれる湿った草のような匂い。窓から差しこむ夕焼けでほとんど黒い影になっている背中に声をかけようとしたそのとき僕は父の異常に気づいた。まさか。そんなはずは。でも。父は、立って、いなかった。その足は床から離れていた。父も祖父と同様に何も言葉を残さなかった。父がいなくなった我が家は迷子のようなもので、その後のあれこれはいくらでも語れる。母を呼んだ。母は、ただバカだね、お父さんとだけ言った。僕は何も言えなかった。そんなときにふさわしい言葉なんてあるだろうか。そのときもやはり僕は死人強すぎと思ったものだ。


なんでこんな辛気臭い話を思い出したのかというと、最近、やたらいろいろな人から父に似ていると言われるからだ。「瓜二つ」「本人みたい」。ゾンビかよ。そう言われるたびあの日以来体に絡みついている書斎の匂いが、どこへ行っても僕を追いかけてくる気がする。父に連れていかれそうな気がする。そう。迷子だ。でも僕はそれはしない。僕が迷子にならずに踏みとどまれるのは、父の話をするたびにバカバカと笑う家族の存在もあるけど、何より、もし親子三代で、となったらダサいしカッコ悪いよなっつうプライドみたいなものがあるからだ。


  けれども僕はなぜ命を絶ってはいけないのか?という問いに「よくわからない」としか答えられないでいる。いのちは大事だから。残される者の存在。答えはいくらでも言える。でもどうなんだろ。本気で死ぬ人はそういうことを分かっていて、一線を越えていくんじゃないか?だからまだ僕は答えを見つけられていない。父を亡くしてからずっと探しているけれど、まだ。とりあえず答えは置いておいて「死ぬのはバカ」と答えてはいる。鏡の中の自分の顔に父の顔が浮かぶとき僕はバカと言ってやる。死ぬのはバカ。答えとか理由とかは後付けでいい。