未明から降りしきっていた下痢は、まるで僕の不安を晴らすように正午にはすっかり上がっていた。奇跡だ。
「「風立ちぬ」を観に行かないか?」僕は妻にいった。数日前のことだ。席は押さえてあった。「ノン!」即座に断られた。妻はジブリ作品が嫌いだった。テレビ放送も観たことがない。僕も観させてもらえない。嫌う理由は、絵とかストーリーはファンタジックで一見素晴らしいけれど、それをおっさんたちが汗を流して作っているのだと思うとキモイから、美しくない、というものだった。僕には妻の大好きな少女革命ウテナもおっさんがつくったものだとは言えなかった。「風立ちぬ」は義理の父と見に行った。号泣する義理の父の姿は確かに美しくはなかった。
尿に血が混じった。「先っちょから血が噴出してたよ」僕が告げても「女の子みたいですねー」と努めて明るく振る舞ってくれた妻には感謝してる。夕飯の赤飯、とても美味しかった。それから極度の緊張と不安とで僕は腹をくだした。
泌尿器科へ赴き受付を済ませ名前を呼ばれてから診察室に行くと熊のようなドクターがいた。「どうされました?」「昨夜、血尿が出てしまいまして」云々。「他に気になることは?」「そうですね。不妊治療の一環で精液検査をしたのですが精液量が少ないと言われました」「そのときの結果はお持ちですか?」「JR藤沢駅で紛失しました」「なるほどどのくらいか覚えてますか」「初回は0.3mlですね。二回目は0.2」「なるほどわかりました。ちょっとパンツを膝までおろしていただけますか」
躊躇した。ドクターが怪訝そうな顔をしていた。誤解だ。僕は真性かぶってちゃんではない。恥じることはない。猛烈な下痢のあとである。もし、下ろしたパンツが汚れていたら…という恐怖が僕を躊躇させた。けれども血尿はおそろしい。僕はパンツを下ろした。汚れてなかった。奇跡だ。
ドクターはゴム手袋をはめて、僕の棒状のものやボール型のものに触れ、「見たかんじ、特に病気というわけでも」と言い、下半身丸出しのまま僕は「そうですか」と言った。「そのまま膝を抱えてください」ドクターに言われるまま下半身裸の僕は膝を抱えた。油断していた。ぺニスの問題だと。
次の瞬間、僕の尻の穴、それが雄しべなのか雌しべなのかわからないけれど便宜上ここでは雌しべとさせていただくがそこに、ドクターのゴツゴツした屈強な指がねじ込まれていた。可憐な雌しべは無惨に拡げられていた。屈強な指がくいくい動くのを僕は雌しべで感じていた。目をとじた。そして僕は見た。爆発する恒星。燃え落ちる吉原の遊郭。それからゆるやかに流るる大河のイメージを。僕にはわかった。僕のなかでなにかが変わってしまったのだと。
ドクターはゴム手袋をぱちんと外しながら「特に問題はなさそうですね。様子を見てみましょう」と言った。その声は、僕には、ドクターのごつごつした指の節々が音符になって語っているように思えた。
家に帰ると僕の雌しべは少し裂けていた。妻に診察の一部始終を話した。副産物として雌しべが裂けたことも話した。「それでどうだったの?」妻は食いつくように聞いてきた。「なにが?」「先生に入れられたときよ」「そうだな…なんか別の世界が見えた気がするよ」と僕は言った。妻は優しく微笑んで言った。「ようこそ。ようやくキミは私の世界の入り口に立ったのよ。詳しくそのときその瞬間の感覚を説明して。ムハー」
それから「Free!」という水泳アニメーションをテキストに解説されたがあの世界への扉はひらかれなかった。あの指でなくては、ダメなのだ。
ユートピアはおっさんによってもたらされる。おっさんは美しくないと言って、ジブリ嫌いを公言する妻がその己の矛盾を知る日がいつかやってくる。そのとき妻の世界が終わり、僕と妻が共に歩くことのできる美しい世界が孵化するのだ。
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「人間だもの。」http://kamipro.com/series/0013/00000