もうひとつ理由があった。ブラックな食品関係で働く僕は仕事納めが12月31日なのでストーカーと鬼ごっこをしている暇などないのだ。「悪いけど」って話を終えると女性は「課長が悪いのよ」と聞き捨てならないことをいう。僕が悪い?心当たりが多すぎてわからない。「私たちが離婚したのは課長と毎晩飲み歩いていたのも原因なんですよ。少しでも良心の呵責があるなら手助けしてくださいよ。方法は考えてありますから」と女性は言った。
良心の呵責などないので反論しようとしたが、女性から、母の手ひとつで子供を育てる苦労や協力しなかったらどういうことになるかをくどくど執拗に語られ白旗をあげてしまう。断れないから課長止まりなのだろう。
ストーカーは彼女の顧客で、契約した後、関係を求めるようなキモ・メールを寄越してきたり、キモ電話をかけてくるらしい。ストーカーのことをこのブログに書くのは、僕の生活圏が湘南エリアと明かしている以上危険極まりないがパン工場に勤める30代妻子持ちの男である。そのパン・ストーカーが生保の契約を盾に「今度二人きり、秘密厳守で会えない?」「旦那を忘れさせてあげるよ」とキモ・メールを送り続けているのだった。
喫茶店で事情を聞かされた僕は激怒した。必ず、かのパン・ストーカーを除かねばならぬと決意した。僕には性事がわからぬ。僕は不能の中間管理職である。僕の怒りはパン・ストーカーにとどまらず「旦那のことは一刻も早く忘れたいけれど…」などと、いい女風情で語る見た目ちんちくりんな女性にも及んだ。僕が苦しんでいるあいだに、こいつらは、枕営業だかなんだか知らないが、ちんちくりんのくせにちんちんくりんくりんの贅沢な争いをしていたのだ。ふざけている。必ず除かねばならぬ。
さいわい、あいつには離婚したことがバレてないのよーと米倉涼子のようないい女風情語りにイライラしながらも、僕が彼女のスマホから旦那に扮してパン・ストーカーに電話をすることになった。「もしもし」とパン・ストーカーの声。パン食中心のせいで顎が弱っているのだろう、若干滑舌が悪い。揉めて長期化すると、あいだに立った自分に危険が及びかねないので簡潔に「俺はあいつの旦那だ。人の女房にわいせつな電話やメールをしてきて許されると思っているのか。ふざけんなよ、コノヤロー。保険の契約のときに勤務先教えたよな。この電話でちょっかい出すのを止めないとそれなりの対応をするからねパン屋さん!」と一方的に恐喝し続けた。「ウチのちんちくりんのどこが良いんだよ?マニアか?」という僕の問いに対するパン・ストーカーの返答は僕の想像を上回るキモさが故に当該関係者の名誉のために墓まで持っていくことにした。
パン・ストーカーは何か捨て台詞を残して電話を切ったが滑舌が悪くて聞き取れなかった。「毛で焼くのは白子ぞ」こんなふうなことを言っていたように聞こえた。女性には、万事抜かりなくやった、これで終わりだよつってスマホを返して別れた。
その日の夜、サービス残業をしている僕に女性から電話があった。「ちょっと〜本当に困っているんだけど」心底イライラするいい女口調だ。僕は彼女の言うことがなんとなく予想出来ていた。パン・ストーカーから解約の申し出と共に逆に会社へ訴えると脅されたという。事前に僕は彼女から契約を失うことだけにはならないよう注意してくれと懇願されていた。
入社1年目の生保レディーである彼女は、契約が2件しか取れなかったのでパン・ストーカーの契約も極めて大事だと言った。もし解約されたら解雇されるかもしれないとも。無理すぎる。ストーカーとはキッパリ縁を切るくらいの強い意志が必要なのに。僕は委細承知のうえで、ストーカー対応に慎重を期したつもりだったけれど、結果は期待したものにならなかっただけだ。残念。今後は法廷あたりで正々堂々と争って欲しい。
僕は訊いた。「契約を取るときに思わせぶりな言動をしなかった?」返事はなかった。それが答えだろう。思わせぶりとガチ。男女のトラブルなんて元を辿ればこんなつまらんものなのだ。最悪、両者とも仕事を失い破滅するかもしれないが、まあそれも人生というやつだろう。今、僕はこの紛争が僕の思惑どおりの結末を迎えてそこそこ満たされている。世界から戦争がなくならない理由は案外こんなものかもしれない。
前日譚→離婚の原因は僕だってさ。 - Everything you've ever Dreamed