挑戦することこそが生きることだ、サイコーなんだぜと語る人がいる。そういう挑戦することの素晴らしさや、失敗力とかいって失敗を語る人をみると僕は時々、背中とお尻がかゆくなってしまう。彼らから挑戦しないことへの軽蔑みたいなものが感じられるときだ。
挑戦は素晴らしいもので、そこに疑いはないけれども、毎日、何事もなく無事に終わるような、挑戦とは無縁の生活を望む生き方もあるのだ。実際、そういう生き方を望んでいる人の方が多いのではないか。でも僕は思うのだ。そういう生き方の多様性を認めないかのように、挑戦しないのは失敗して恥をかくのが嫌なだけでしょ、単純に捉えられる感性がもしかしたらビッグになるための必要条件なのかもしれない、と。嫌味でも何でもなく、皮肉なんだけど、その思考回路が羨ましい。マゾでも何でもないノーマル人間が、リスクを負いたくない、恥をかきたくないと考えるほうが自然だろう。
成功を語るときに、私はあなたと同じようにこれだけ失敗をしてきましたというストーリーの方が人を惹きつけるのも事実だ。失敗力とかなんとかってね。そもそも、失敗は成功の母だか元だかの一言で終わる話。そこで語られる失敗が僕には勲章を見せつけられているように思えてならない。失敗やリスクを恐れずに事を成し遂げたスゲー俺らを飾り立てる勲章。意地悪な見方をすれば致命的な失敗を犯してはいないだけだし、失敗しないで得る方がずっといい。普通の人はそうだ。
などと挑戦に否定的なことをいいながら、どちらかというと僕は挑戦する側の人間だ。挑戦サイコー!生きてる証!僕はリスクを恐れないし、失敗を恥としないメンタルもある。チャレンジ超気持ちいい!リスクを負うことも恥をかくことも厭わない。むしろ積極的に背負いたい。なぜなら僕がマゾだからだ。苦痛も恥も何でもござれ。もちろん、ボケ防止で始めたガンプラのように、うまくいった挑戦もあれば、うまくいかない挑戦もある。高速道路の逆走。1ダースの愛人。妊活。恥をかくのが嫌ではない僕は迷うことなく失敗をインターネットで公開してしまう。気持ちいいからだ。今は三代目Jソウルブラザーズの『R.Y.U.S.E.I.』のダンスに挑戦している。結局、挑戦する人種というのはマゾ体質とまでいかなくても、失敗して恥をかくのが好きな人たちなのではないか。それを誇るのは驕りだ。メンタルが普通じゃないのだ。
誰もがリスクを負ってIT企業を起こしたり、失敗を恐れずにアイドル女優と結婚するようなスターな生活を望んでいるわけではない。万難を排し、何事もない日々の暮らしを祈ること、平和な老後を望むことは、エキサイティングな挑戦の日々と同じ価値があると僕は思う。今はただ、40歳の僕の三代目Jソウルブラザーズへの挑戦に、年少の同僚たちが理解を示してくれないのが悲しい。