Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

マザコンとバカにされても構わない。

一匹狼といえば聞こえがいいが、ただの部下無しのひとり営業課長なので比較的自由に行動が出来る。その自由を活かして営業活動中、時間が空いたとき、折を見て実家の様子を覗きに行っている。僕のマンションから車で30分もかからないところにある実家で70才になる母親はひとり暮らしをしている。超高齢化社会を迎えているせいか、最近、一人暮らしのお年寄りを狙った犯罪のニュースを見かけるようになった。そんなニュースを見るたびに僕は不安でたまらなくなる。母親は、幸いなことに持病もなく健康だが年齢も年齢、万が一が今日明日にでもやってくるかもしれない。僕がたびたび実家に立ち寄るようにしているのは母親が心配だからであり、自分の不安を緩和するためでもある。

 
四六時中見守ることは不可能なので、万が一のときや不測の事態には間に合わないだろうことはわかっている。警備会社と契約もしているけど万全ではないだろう。この世界に完璧なものなんてないのだ。実際、僕は在宅していながら父親を救えずに亡くしている。間に合わないときは間に合わないものなのだ。そんなの、あんたの自己マンじゃないか。と言われたら返す言葉もない。やらないより、あとで後悔するよりはマシだと割り切って、出来るだけ実家に顔を出すようにしている。そんな話を同僚にしたら「課長、それマザコンですよ」と笑われてしまった。
 
母親にも笑われている。心配しなくていい、ダメなときはダメだから、と。彼女の覚悟だ。時に覚悟は必要だけれども、その覚悟を口にさせてしまったことに僕は申し訳なくなってしまう。母親が心身共に元気なことだけが僕の救いだ。彼女は僕に輪をかけて口が悪く、僕が実家に顔を出しても「別に来なくてもいい」「なんでそんなに出来が悪いの?DNA検査してみる?」「あなたが羽生君だったら良かったのに!」「来なくていいから送金して」と憎まれ口のオンパレード。僕はいつもその憎まれ口になぜか安堵しながら実家を後にするのだ。
 
最近、変わってきたことがある。憎まれ口を叩くだけ叩いたあと、母親が僕の出庫を見守るようになったのだ。夕刻、実家前の道路は比較的車が少ないので近所の子供たちの遊び場になっている。実家前のアスファルトにはチョークで書かれた横断歩道やケンケンパや不細工なジバニャンがある。母親は僕がガレージから営業車を出すときに子供がいると危ないからと言って出てくるようになった。母親は出庫を終えると「寒い」といってさっさと家に入ってしまう。ケンケンパは今に始まったことではないのに、本当に僕は信用されていないのだなと少し悲しい気分になる。
 
昨日も母親はアホな僕の出庫を見守りにきた。僕は「じゃあ、また来るから」といって車を出した。ふと気になって、バックミラーを見ると母親がいつまでもこちらを見ていた。小さなバックミラーの中の母親は対面しているよりもずっと小さく見えた。『まんが日本昔ばなし』に出てくる背中の曲がった老婆そのもの。僕はバックミラー越しに母親の子供を見守る気持ちや寂しさが強く感じられて、ありがたさと申し訳なさや後ろめたさがごちゃごちゃになり、その大きさから逃げたくなってアクセルを強く踏んだ。
 
僕はアホなのでわからなかったけれど見守っているつもりが見守られているのだ。いつも。何十年も。お互いに年を取って、僕が中年オッサンになっても母親にとってはいつまでも子供なのだ。マザコンとバカにされようと憎まれ口を叩かれようとも明日からもちょいちょいと実家に顔を出そうと思う。実家の二世帯化にはまだマネーが足りない。まだまだ頑張らねばならぬ。マザコンやらキモいやら他人からどう思われようと全然構わないし気にならないけれども、せめて、いいマザコンでありたいと思う。