言葉とは本当に大事で、自分の状況を端的にあらわせる言葉がないってのはマジで不幸だ。ブラックのひと言であらわせる2015年は幸せだ。
かといって新卒当時、仕事はホントに理不尽でキツく、それに対して辞めてく人はいたけれど文句を言う人は少なかったと思う。飲み屋で愚痴るくらいのもんだ。職場にはそれが普通の空気が充満していた。普通というのは本当に恐ろしい。「君が営業の新人か!」「よろしくお願いします!」「じゃ、明日から倉庫で働いて」こんなやり取りに、一瞬、疑問を持てども、周りにはそれが普通な空気が充満していて萎えてしまう。慣れてしまう。命じる方も悪気はなく、普通に命じている。
サービス残業・休日出勤、所定の時間内で終わらない方が悪い、働けるだけラッキー。意味不明の異動、様々なスキルを学べてラッキー。昇給なし減給あり、給料が払われるだけラッキー。病欠したいのですが…じゃあ欠勤扱いねアンラッキー。飛んでくる灰皿、熱血指導ありがとうございますハッピー。労組?ないよ?、直接会社と話が出来るラッキー。これが僕の働いていた世界だ。
そういうのが普通になってしまうと、思考停止というか、変な意味で慣れてしまう。実際、僕は勤めているあいだに残業代や手当を支払われたことはなかったけれども、営業職なのに、フォークリフトも運転出来るようになったし、玉掛けもやれるようになった。ラッキー。
って今だからおかしいと思えるけど当時は疑問に思うことはほとんどなかった。だってそれが普通だったから。直属の上司も、もしかしたらトップも、悪気はなかった、と思う。悪気ない方が自覚がないのでタチが悪い。あの、異常が普通の空気は悪気がない故に厄介だ。本当のブラックは、確信犯的にやってる会社ではなく、悪気なく無自覚にやってる会社だと思う。異常が普通の空気は不治の病だ。勤めている人間は病気だと思っていないから治らない。
2015年の僕は、もちろん、ブラック企業には大反対のスタンスだ。けれども若い頃に刷り込まれてしまった《それが普通》のブラック体質は確実に僕を蝕んでいる。基本的にマッチョな考え方をしてしまう。すぐ休んだり、繁忙期の致し方ない残業を拒まれたり、働いていない人を目の当たりにすると、甘えてんじゃねえ、とブラックでマッチョな顔が普通に出てしまう。もし僕が起業したら多分ブラックな会社になってしまうはずだ。僕も同じ穴の狢。染み付いたブラック体質。それが自分でも悔しくて悲しい。この悲しみはユニクロを着てワタミで飲んで癒すしかない。