Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

カープ黒田投手のように転職活動してみた。

もう限界、仕事のストレスで頭痛、目まい、不眠が酷く、救いを求めるようにウン万社登録の大手転職サイトに希望・条件を入力し検索したが該当求人はゼロ。そんな絶望的な状況から転職活動をしようと思ったのは、今期広島東洋カープに復帰した黒田投手に勇気づけられたからだ。大金を蹴ってでも己の信じる道を行く。ファンへの感謝を忘れない男気。それに比べて僕は何だ。能力がないうえ若くもない量産型サラリーマン(41才)の分際で、抜け抜けと転職サイトに今の月給の3倍もの額を入力して検索している。なんて恥知らずなのだろう。
 
カープ黒田の生き様は、五百円玉貯金と通帳記入だけが生きがいの僕にとって衝撃的ですらあった。自分の信じる道を行くこと、それは金の問題じゃないのだと教えられた。野球に詳しくない妻も「大金を捨ててまで自分の生き様を貫くって、キミのように口先では言えても実際的にはなかなか出来ることではありません」と感心しきり。マイナー中小企業でサービス残業や自主的休日出勤をしている僕も、黒田同様に金を捨てて戦っているわけだが、感心されたことはない。理不尽だ。
 
《余談だが野球知識ゼロの妻がスワローズ検定受験に向けての勉強がガチすぎたのをここでお伝えしておく》
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こんな僕でもかつて、カープ黒田のような男気を見せたことがある。今の会社にやってきて2年ほど経った2006年の秋。自分の夢を追って転職の目処がついた僕に対して、同時期に入社した同僚たちが集まり「もう一度一緒に頑張ろう」「俺たちと戦おう。会社を変えよう」「共に喜びの涙を流そう」「見捨てないでくれ」などと口々に言ってくれた。
 
同僚たちの姿は当時、大リーグ行きの夢を叶えようとする黒田にダメ元で残留を願う広島球場のカープファンの姿と重なって見えた。僕は僅かに存在していた男気を見せて夢を諦め会社に残った。その1年後には一緒に戦おう見捨てないでといった同僚は一人残らず僕を見捨てて会社を去っていた。以後、僕は陰陰滅滅、敗戦処理のような仕事をし続けて現在にいたる。
 
 
転職サイトの転職エージェントが沈黙を続ける中、同業他社の知り合いから声をかけられた。ヘッドハンティングだ。喫茶店でヘッドハンターに話をきいた。一人一人に当てがわれるウインドーズビスタパソコンをはじめとする快適な仕事環境。明確な企業ビジョン。今と変わりばえのしない仕事内容。西日の当たらないオフィス。心惹かれる話だった。
  
問題もあった。課長の僕をヒラ社員で迎えること、給与が今よりも若干下がってしまうこと、一年毎更新の契約社員であることだ。のこのこ釣られてきたそこそこの人間にはそこそこの待遇でいい、そんな思惑が透けて見えた。ヘッドハンターは僕に、弊社ではあなた程度の人物に支払える金はどう頑張ってもそれだけですと広島東洋カープの球団社長のように言ったあとで「弊社の一ヒラ社員となり、今までの経験を活かして思う存分に手腕をふるって欲しい。一緒に頑張りましょう」と続けた。
 
ひたすら個を殺すことを求められる今の会社では、思う存分とか、手腕をふるう、は敵性語、あるいは禁忌とされているので、とても魅力的に聞こえた。働いてみたいとピュアに思った。ヘッドハンターの口ぶりに冗談めいた色はなく、熱苦しさしかなかったのも僕を後押しした。気圧されるように「わかりました…しばらく時間をください」と僕は前向きに答えたのだった。
 
帰宅して妻に相談した。今よりもいい環境で楽しく働けること。「御意」と妻。変わりばえのしない仕事内容なので比較的スムースに馴染めること。「御意」と妻。 苦労して掴んだ課長の地位は失うこと。「御意。そんなの別にいいじゃない」 そんなの…。
 
続けて月給が若干下がること、具体的なダウン額を伝えると妻は「この話ここまで!」と僕の話を遮り「1円でもお給金が下がるなど容認できません。却下」と言った。僕が「黒田のように納得した生き方をしたいんだ。大金を捨てた黒田を君も讃えたじゃないか。下がるの二千円くらい、治療代と思えば…」というと「何か勘違いしてませんか」「ハイ?」
 
「黒田さんは大金を稼いだあとだから出来るんです。もしその条件で転職したら実家に帰らせていただきますからね」と妻はフリーエージェント宣言をチラつかせて僕を牽制した。カープ黒田のように生きるのは本当に難しい。恐るべしは黒田のメジャー仕込の投球術でもなく男気でもなく家庭内調停能力なのである。なお、転職エージェントは謎の沈黙を続けたままだ。