Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

会社員生活20年の僕が新入社員教育セミナーを受けてみた。

 サラリーマン生活20年目になる僕だが、先日、新入社員向けのセミナーを受けてきた。教育訓練の必要性を感じた上層部が申し込みをした当該セミナーだが、悲しいかな、今年度、我が社に新卒はいなかったからだ。カネの無駄使いがボスに露見するのを怖れた上層部から「事業拡大のためにセミナー商法を盗め」と無茶な命令が下され、僕が受けることになったのである。一応、今年から僕の下で働いて頂いている部下に勧めてみたが「課長…年休も付与されていない私に所定労働時間外研修を受けさせるのですか…」とにべもなく断られた。
 
 当日、会場の席に置かれていたテキストに記された「企業KAIZENコンサルタント」「1秒で相手の印象に残る超画期的名刺交換法ロールプレイ」の文字で増すばかりの不安。
 
 開始時刻。勢いよく会場に入ってきた講師は僕よりも年下。男。デキる感じのする派手なシャツとネクタイ。快活なイメージしか与えないであろう短髪とよく日焼けした肌。その顔色は僕に、よく言えば内蔵疾患、悪く言えば日サロの通い過ぎを想わせた。僕が「日サロってパンツ脱ぐのかな…その人の事後にマシンに入るのイヤだな…」そんなことを考えているうちに講師は静かに話し出していた。
 
 「こんにちは~この講座は社会人になったばかりの新人、あるいは入社2、3年目の方を対象にしており…」会場の端から受講生を流し見ていく講師。そして会場ど真ん中に座っていた僕と目があった瞬間、ほんの一瞬だが、それまで淀みなく流れていた言葉が止まった。講師の目は「なぜくたびれた中年がここにいるのだ」と雄弁に語っていた。彼は、何事もなかったかのように僕から目を逸らし話を続けたが、その後もちょくちょく僕のことを見つめていた。ちょうど僕らが露出度の高い服を着たオバハンを見たくもないのにチラチラ見てしまうようにして。
 
 セミナーの内容は「絶対にウケる自己紹介」「絶対に失敗しない電話の応対方法」「ホウレンソウ絶対的約束」「絶対に間違えない車のマナー」という絶対な感じのレクチャーとロールプレイで構成されていた。 眠すぎるレクチャーのあといよいよロールプレイ。最初は名刺受け渡しのやり方。講師が見本になってくれるモルモットを募った。すかさず挙手。ピュアに超画期的名刺交換方法に興味があったからだ。講師は「他にいませんか、いませんか」と哀願するように会場に声をかけたが最近の若者は冷たかった。
 
 名刺交換のコツは「相手から目を離さない」という革命的なものであった。講師曰く、名刺交換をする際は名刺に注目するあまりにどうしても目線が下に落ちてしまう、そこで視線を落とさず相手が目線を上げた瞬間にロックオンしろ! 「じゃあやってみましょう!最初は失敗するかもしれませんが…」 講師が僕に失敗例を演じるように言っているように聞こえた。20年のサラリーマン生活、失敗を回避することだけを考えて生きてきた僕にわざと失敗することなど出来ない。それは自分自身を否定することだからだ。負けられない。
 
 僕は切開寸前まで目を見開いて講師の目を凝視し続け手元の感覚だけで名刺入れから名刺を一枚取り出しそれに両手を添えて講師に差し出した。軽く頭を下げているときも目線は逸らさない。ブルース・リーが初めて人生で役にたった瞬間だ。
 
講師も負けじと僕から一瞬も目をそらさずガン黒の顔で目を見開き僕に名刺を差し出した。もちろんお辞儀の際でも目線は外さない。交差する視線、交わらない想い。それから講師は「このように皆さんも隣の人とやってください」と乾いた声を張り上げた。僕は壇上から席に戻るまでの終始、講師から目線を外さなかった。講師が先に僕から目を逸らした。「戦争は勝っても虚しいだけだ」僕は、子供の頃、縁側に座ったひいおじいちゃんがそう呟いていたのを思い出していた。
 
 その後、チームに分かれて《利き手でない方の手だけを使って積み木を積み上げその高さを競う楽しいゲーム》を経て、絶対に途切れない会話テクをロールプレイで教えてくれることになった。隣にいる若者と組になって、会話を続けていく。自己紹介的からスタート。「私は課長です…」「私は新人です…」「私は仕事が好きではありません…」「私はまだ仕事が出来ません…」「鉛筆を削ったことはありますか…」「いいえありません…」
 
 そんな途切れ途切れの会話が会場の至る所から聞こえてきた。その様子を見た講師はしてやったりな笑顔で「絶対に途切れない会話のコツを教えまーす」と声をあげた。「会話の頭に《いいですね》と付けてください」それだけかよ!と思ったけれども「私は課長です」「いいですね!私は新人です」「いいですね!私は仕事が好きではありません!」「いいですね!私は仕事が出来ませーん」「いいですね!鉛筆を削ったことありますか」「いいですね!削ったことありません」「いいですね!シャーペンですか?」「いいですね!私はボールペン派です」いいですね!いいですね!いいですね!いいですね!確かに会話は途切れずに続いた。凄いテクだ。こんなんで金を稼いでいる講師に驚嘆するばかりだった。
 
 セミナーの終わりに設けられた質疑応答の時間に僕は質問してみた。「この商売って受講生が内容を完全にマスターして誰かに伝えたりしたら成り立たないのではありませんか?」 すると講師は「何回同じことをやらせてみても出来ない人間は出来ないので成立します。率直にいって今日の講座の内容を完璧にデキる人はこの中で1人いるかいないか…。今日の内容はビジネスマナーだけでなく多岐に渡ってましたよね。新人にいきなりこれだけの内容を押し付けるのは酷ですよ」と答えた。
 
 「どうして内容を簡略化しないのですか?」「それはありえないですね。クライアント企業様から新人に社会の厳しさを教えるようリクエストを頂戴していますから。潰してもかまわないと仰る方もいるくらいですので」 多くの新人達が五月病になってしまう理由だけでなくセミナー商法の真髄までわかって非常に有意義な時間だった。「いいですね!ありがとうございました」と教わったばかりのテクニックを披露する僕に、彼は、寂しげに笑った。