父の遺影が嫌いだった。遺影に使えそうな写真が見つからず、大勢で写っている集合写真を切り抜き、強引に拡大して遺影に仕立てたおかげで、輪郭がぼんやりとなってしまい、そのモヤっとした輪郭が醸し出す《死んじゃってる感》が本当に嫌だったのだ。父の遺影は、湿気取りとペアで押し入れの奥に押し込まれて、行方不明になっている。
父は徹底的に撮る側の人だった。入学式や卒業式。運動会に演奏会。お正月。家族旅行。父は、ほぼ完璧に撮る側であり続けた。写真を撮られるのが好きではなかったのもあるけれども、構えたカメラの向こうに半分だけ見えた父の顔は本当に楽しそうだったので、自分の家族をフィルムにおさめることが彼の喜びだったのだろう。父が撮る側にあり続けた結果、父と母そして僕ら兄弟、家族4人がおさまっている写真は1980年の冬に油壺マリンパークの写真ブースで撮った一枚しか残っていない。
カメラを構えている父の目は見えなかった。僕ら家族は、父に見守られているばかりで、ちゃんと父の目を見てあげていただろうか。カメラで隠されていた父がどんな目をしていたのか想像したことがあっただろうか。父が亡くなった直後、写真アルバムの中に父を捜しているとき僕はずっとそんなことを考えていた。
父の遺影にふさわしい写真は見つからなかった。遺影ぐらいでって思われるかもしれないけれど、遺影選びで家族を困らせないと決めている。これは僕からこの文章を読んでくださっている人全員へのお願いだが、もし、本当に家族のことを思うのなら、遺影ぐらいは自分で残しておいてほしい。どうか遺された者の負担を減らしてほしい。今は、父が死んだときと違ってスマートフォンでいつでも簡単に写真が遺せるのだから。
僕は自分が死んだときのために遺影候補を撮り続けている。なぜ候補なのかというと、自撮りをしているブスにありがちな、自分ではキメてるはずだが外からはギャグにしか見えない地獄絵図を回避したいからだ。人間は自分を客観視出来ない。だから僕はいくつかのパターンの遺影を用意しておくに留め、遺していく家族に選んでもらうことにしている。
《窓際で仕事をしている死んだ目の僕》《真顔でアイロン掛けをしている僕》《寝ぼけて歯磨きをしている僕》 あらゆるシーンの自分を撮って、遺す。家族を困らせないためにはまだ選択の幅が少ない。圧倒的に足りない。これらの写真たちはいわば僕の生き様を編んだタペストリー。まだだ。まだ僕の人生のすべてを表し切れてない。僕の人生はもっと別の絵柄がある。照れがあった。つまらない自尊心が邪魔をしていた。これからは心のリミッターを外して、ありのままの姿を撮っていきたい。《キャバクラ嬢や地下アイドルと一緒に撮ったチェキ》《行きずりの女子大生からハードに責められてのアヘ顔ダブルピース》ありのままの僕を。
どれを僕の遺影にするのかは家族に託したいと思う。生きるってのはハードコアで本当にしんどいものだ。僕の遺影選びが、遺していく家族、それが妻なのか妻の実家にいる猫のダンゴチャンになるのかわからないけれども、そのいずれかが強く逞しく生きていくための最初のハードルとなって、それを乗り越えることで少しでいいからタフになってくれれば、嬉しい。
今、僕が望むのは、1日でいいから、母よりも後にこの生を終えることだ。僕は生きる。親に自分のアヘ顔を見られないたくないから。油壺で撮った唯一の家族写真は母が亡くなったときに棺に入れると決めている。あの写真は母のもので、母だけのものだから。